2016年12月29日木曜日

宮前一明さんによる上祐史浩氏批判

オウム真理教の初期の幹部をし、現在死刑囚として贖罪の日々を送っている宮前一明さんの手記(草稿・武田頼政記者とのやりとり)の一部です。平成11年頃書かれたものです。草稿のため、読み辛い部分があることをご了承ください。
上祐史浩氏について書かれているところを抜粋して掲載します。

宮前一明さんについては、wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%B8%80%E6%98%8E)、手記(http://kazakimiyamae.blogspot.jp/)をご参照のこと。



<上祐出所後の動向>
 まずメディアを最大限に活用し、大々的な記者会見をおこなうだろう。表面は幹部(当たり障りのない)の誰かを代表に見立て、謝罪表明と意味不明な補償プランを発表するでしょう。
 その目的は、オウム信徒の救済である。決して社会に受け入れられるための社会復帰とは違う。
 彼が被害者やご遺族の心痛を思いやり、思いを馳せることなどあり得ない。謝罪・補償の本質はオウム空間の維持であり組織防衛的なものだ。そしてオウム法案への牽制と世の非難をかわすためだ。
 多くのダミー会社を設立して教団の資金を分配し隠匿していきたシステムの延命を巧みに企てるためのパフォーマンスに過ぎないだろう。彼も他の幹部たちも、ご遺族や被害者への謝罪・補償が当然であることを全く分かっていない。だから今まで無視し続けて来たのだ。
 謝罪・補償表明と引き替えに上祐はこう訴えるだろう。
「オウムの信徒たちを見守って下さい。罪のない、多くの弟子達にどうか優しく接して下さい。お願いします。」と。
 謝罪・補償さえ済めばもう終りだ、と考えているだろう。
 被害者、ご遺族の心の傷跡は一生消えないことを知る由もない。
 真の苦しみとは修行ではなく、他人へ与えた苦しみの深さを知ることであり、罪の深さから逃れることなく退治し内省することではないだろうか。彼らにはオウムに入信する前の純粋な信仰心に戻っていただきたい。そう心から祈るばかりです。


<上祐氏の素顔>
 饒舌で能動的な人。
 周囲を鼓舞させ邁進するタイプ。しかし言葉で他を納得させたかに見えても心を動かす事まで出来ず、独走するため反感を買うこともしばしばある。
 論破しても、相手を感銘(共感)させ賛同を得なければ徒労であることを未だに分からない人。聴き役に徹することが出来ず、相手の真意がつかめないまま押し通すので齟齬を来すことがある。
 用件以外の前置きや後付けもしない言動はオウムの体質そのものだが彼は自信家ゆえ、当初から無駄のない語り口だった。その為、周囲に多くのストレスを与えていることに全く気づいていない。男性幹部(大師)の中では真面目な修行者といえよう。性欲や食欲に惑わされない、そして情の薄い人。でも、当時、私が尊敬した法友のひとりであったことは確かです。
 麻原との個人的な霊的体験が多く、師弟関係の絆は深い。しかし信徒や法友から特別な能力を認められるような噂は出なかった。T以外で弟子の中では唯一、麻原に否定的な意見を述べ、議論を挑む意固地な人。「おらが大将」の気質は麻原と同郷の九州男児ゆえのものかも知れない。

<麻原との確執>
 麻原はときどき入滅後(麻原の死後)のオウムを憂い、弟子同士の対立セクトを予言するかのように語っていた。
「私が死んだら、多分、マイトレーヤ(上祐)派とX派に分かれるだろうな。お前たち・・・どちらの派閥に付くか?」と言って、ひとりひとりに問いかけたことがあった。昭和63年秋ごろの会議の席上だった。すでにこの頃から麻原は上祐氏をオウム分裂の萌芽と見ていた。
 その後平成元年の夏、選挙(出馬)反対を最後まで訴えていたのは上祐氏、K氏、G氏だった。結局、出馬と同時に参謀のひとりとして活躍したのは上祐氏だった。
その頃、ある会議中に麻原が突然、
「私は、マイトレーヤ如来なんだよな・・・」
とポツリと一言漏らした。間髪を入れず、その場にいた上祐氏が
「ええッ、じゃあ、私は一体何なんだろう?」と頭をかきながら笑った。
 事故の存在を否定されたような麻原の一言に、困惑と皮肉を交えた苦笑いだったように思う。
 上祐氏を無視した麻原の発言かも知れないが、上祐氏はそれ以上に「弥勒菩薩(マイトレーヤ)」の使命を強く意識していた証だと思われる。上祐氏は麻原氏を差し置いて己をマイトレーヤ菩薩(=仏陀の化身)だと自覚していたように思われた。
 同じ頃、麻原が
「私が死んだらお前たち、どうする?」
とひとりずつ訊いたことがあった。
 上祐氏は「3女(アーチャリー)を守護し、オウムの教義を守っていきます」と。
 早川(紀代秀)さんは「どこかの山に篭って瞑想に耽るでしょう」と。
 私は「オウムを広めます」と。
 新実(智光)氏は「死ぬかもしれません。グルについていきます。」と言った。
 最後に麻原が、
「多分、女性大師のほとんどが自殺するだろうな、そして男性大師は対立するだろう」と言った。

 麻原はことあるごとに、上祐氏を引き合いに出して将来のオウムを案じていたことは確かだった。

 平成元年冬ごろにオウムの体制を変える議題になった。その中で教義の強化部長の選任をするにあたり、麻原はこう述べた。
「(教義の強化部長には)マイトレーヤ(上祐氏)しかいないだろう。オウムの教義については、討論したら、多分、私の方が負けてしまうよ」と。
 当時麻原は上祐氏をもはや、教義や理屈では説得不可能な弟子、と見ていたのかも知れない。
 しかし、麻原が生きている限り師弟関係が逆転することはないだろうと思っていた。

 上祐氏は95年10月、破防法の発動を強くおそれ、「麻原を切る」とある政治ジャーナリストに漏らしていた。
「麻原を切り、オウムの名前をなくし、単なるサークルにする」とまで告白していたという。
 その後、上祐氏は荒木広報副部長宛に獄中書簡でこう述べている。
「教祖・代表を辞した尊師には公の責任さえない。又、教団は現実、多様化していくと思う。今の長老部の長の正大師(3女)や新しい教祖の方が日々成長されておられるからだ」と。
 要するに、麻原はすでにオウムの挙措・代表でないから教団の将来については公の責任さえない。と断言したのだ。今、信徒10名が麻原の私選弁護人を目標に司法試験に挑戦していると噂されている。
 この意味合いについても上祐は、
「仮に尊師の私選弁護人が誕生しても、それは全く関係ないことである」
と無碍もなく言い捨てた。
 上祐氏には、麻原をオウムの将来に不必要な存在として映っているのかもしれない。
 麻原を捨て、新たな教祖を庇護する体制を虎視眈々と構築しつつあると見るべきかもしれない。
 ちなみに、上祐氏はその書簡の中で、マスコミや世論の糾弾を「誤解だ」と言い切り、「尊師の予言であり未来予測のための貴重な示唆であって、すべての人々に対する重要な警告のメッセージであると考えている」と言っている。
 だが、笑止千万、詭弁もここまで来ると児戯としか言えない。

 昭和63年11月15日午後10時から開かれた大師会議の<オウムの方向性>の内容をご覧いただきたい。
この中で上祐氏は
「信者集めのプロパガンダとか国家転覆計画と結びついているという誤解と不安があるため、自分の考えているところを十分詳しく書くことによってそれを取り除きたいと思うからだ」
と息巻いている。彼は、自分でもわからずに欺瞞の弁を重ねている。
 11年前から麻原はプロパガンダのためには何をどう為すべきか、と大師会議の場で独断場のごとくと滔々と述べていたのである。
 それを知りつつ、よくもまあ、シラを切り、ヌケヌケと「誤解だ」と言えたものだ。
 麻原やオウムに不信を抱きつつある純粋な荒木(浩)君に欺瞞と詭弁を重ねつつ、どうにか教団に引き留めようとしても、もはや遅いのではないか。観念するときが来た、と諦めるべきだ。
 当時、「尊敬に値する法友」と心から賛辞した、私から一言。
 上祐氏よ、麻原を捨てるなら、オウムの教義も捨てよ、そして詭弁をなくし、真実を語れ・・・と。



<上祐の危険度>
 当時、上祐氏はポアを強く否定する弟子でした。
 昭和63年11月17日深夜、名古屋支部営業のH君が自損事故に遭い、病院の集中治療室で生死をさまよっていた。その知らせを受け、麻原は富士のサティアンからH君の意識をコントロールしていた。脇待するIH、上祐に向かって「今意識を肉体に戻したぞ」と告げ、「確認してみろ」と言った。病院でH君を見守る弟子にその旨を知らせると、H君の意識が戻ったという返事があった。それから数時間、麻原は意識の出し入れを繰り返し、H君の将来を見据えた結果「ポアするしかないな」と判断し、ポアに至ったと言った。その直後、H君を見守っていた弟子から死亡の知らせが来た。
 上祐氏はこの時、「どうしてポアしたんですか」と猛烈に抗議した。
 麻原は「生きていても修行できないじゃないか。功徳が積めないならポアするしかないんだよ」と弁明した。
「それでもいいじゃないですか。いくらなんでもポアする必要はないでしょう。」と上祐は食ってかかった。憤りは納まらず、上祐氏はドアを勢い良く開け、走るようにして部屋を出ていったという。私は上祐氏が目を赤く腫らして麻原の部屋から出てくる場面に遭遇した。
 私は入れ替わるように部屋に入った。
 椅子に座っていた麻原は、話の途中だった。
「仕方なかったんだ。それが一番なんだよ」と繰り返していた。
 最後に、ポアの決断を逡巡するかのような渋面な面持ちのまま、上祐氏の座っていた方に向いて、つぶやくように言っていた。

 ことの経緯を知り、当時の私は、ポアされたH君よりも「グル」の判断に対して猛烈に非難した上祐氏の方に衝撃を受けた。当時の私はポアを信じていたからだ。今は違います。
 以前から麻原の過激な発言や突飛な発想に対し、悉く意見(討論)していた上祐氏が、教団の行く末について憂慮する思いは感じていた。
 ただ、「グル」と弟子との霊的な領域にまで鑑賞し、強く反発するとは、当時の私は夢にも思わなかった。
 それからの麻原の上祐氏の印象は<決して、どんな理由があろうと、無理難題な麻原の指示・命令には従わない人>と意識していたように思う。

 その後に起こった田口さん殺害事件や坂本さん一家事件に上祐氏は呼ばれることもなく関与していない。選挙出馬にも最後まで反対し続けた。
(※この後、宮前氏は選挙期間中にオウムを脱会し事件を隠したまま生活を営んでいた)

 それから、のちの上祐氏はロシア渋のトップとして布教活動に尽力し、オウムの表看板(プロパガンダ)として活躍していたと仄聞する。
 95年10月に上祐氏が逮捕された時も、まさか凶悪犯罪に関与するわけがないと信じていた。
 だから、たとえ上祐氏がオウムに戻ったとしても、<まさか、ヴァジラヤーナを肯定し、発動するわけがない>と、安易に思っていたのです。

 ところが、今年の春頃、オウムの信徒数が増え続けていることがわかりました。又、全国各地で住民とのトラブルが相次ぎ、ダミー会社の収益がオウム拠点作りの資金源となり、上祐氏の手記が荒木(浩)君を介してオウムのHPやマスコミで公表され、上祐復帰の不安情報が湧き上がってきました。その頃から、徐々に憂慮せざるを得なくなったのです。

 新たな情報として上祐氏の一面を知ることとなり驚愕したのも、一つの原因でした。
 それは、M君と井上(嘉浩)君の公判証言です。サリン量産計画の中で上祐は、
「7トンのプラントを造るんじゃないですか」
と言ったとか、炭疽菌の生成指示で、麻原が井上君に
「上祐にやらせるから、上祐の下で仕事しろ」
と言ったという内容です。
 上祐氏はまさにヴァジラヤーナの先鋒に立って指揮する立場にあると思いました。
 一体、いつから上祐氏はヴァジラヤーナを肯定したのか、私は悩みました。

 そういえば、こんなことがあった。
 平成元年11月15日の三面記事に、坂本(堤)さん宅の寝室に<プルシャ>(教団で霊的エネルギーが宿るとされているバッジ)が落ちていた、という写真が掲載された。その日、麻原と実行犯6人が図書室で密談していると、突然上祐氏が入ってきた。
「何ですか、これは『プルシャが落ちてた』といってこんなにデカデカと載ってるじゃないですか!」
と新聞を拡げ、右手でパンッ、パンッと叩きながら皆を蔑視するかのような嘲笑を投げかけて、言い切りました。
 麻原は「もしかしたら在家信徒が殺ったとしても、おかしくはないなァー」と惚けていた。
 上祐氏は間髪を入れず、
「どうせやるなら、こういうミスだけはやってほしくないですねェー」
と暗喩めいた皮肉を訴えた。
 この時、私も早川(紀代秀=坂本弁護士事件の実行犯の一人)も、上祐氏は全く事情を知らないと思っていた。又、麻原の態度を見て、疑うことはなかった。

 しかし、よくよく考えると上祐氏の言葉にはすでにポアを肯定していた節があった。
<どうせやるなら>とか<ミスだけはやってほしくない>という内容だ。
 1年前(H君の事故のとき)の上祐氏ならば
「何ですか、これは、もしかしたら尊師が指示を出したんじゃないでしょうね?」
とか、
「オウムと関係あるんですか、本当のことを教えて下さい」
とか、
「オウムを潰す気ですか、こんなバカなことをやって・・・」
と怒声と共に烈火の如く怒り狂っていたにちがいない。しかし、この日上祐氏は、皮肉だけを述べ、あとは冷静になり<プルシャ>からオウム信徒につながる<犯人像>を否定する記者会見の弁明を考えていた。やはり、平成元年10月31日夜の報告の席で、上祐氏が坂本弁護士から言われた言葉が原因だったのだろうか?
 当時、上祐氏は坂本弁護士との話し合いの後
「親が家に戻れ、といえば子供は戻らなければいけないんだ。そして私(上祐)にでさえ『そうだ、あなたも戻らなければいけないんだ』と言うんです。どう思いますか。」
 と言っていつになく憤り、憤懣やるかたない勢いだったことを覚えています。



 激怒した上祐の勢いに便乗して麻原は坂本さんのポア(殺害)を決断したのだろうか?
 しかし、26日に中川(智正)君はすでに注射を用意していた。


 当初の標的は坂本弁護士ではなく、(オウム真理教について批判的な記事を書いた)牧太郎氏だったと彼らの調書で知ったが、いつ坂本弁護士に決定したのか、未だに分からない。


 事件後、世間の目を交わすためにトンズラ旅行をしていた。その旅行の終わりの頃にインド奥地のあるホテルで、Nさんが戒律をおかし、麻原に懺悔した。
「私をポアして下さい」
と言うNさんに対して、麻原は上祐氏を呼びNさんと話をさせた。
すると「本人が望んでいるなら、そうするしかないでしょう」と、いとも簡単にポアを肯定した。
 私は、麻原から上祐氏がすんなりポアを肯定している、と聞いた時に、驚くと同時に<もう、彼は人間界のしがらみを超えてしまったのか>と無機的な侘しさを思った。
 結局、Nさんは他の大師からの反対もあり、ポアはされなかった。


 帰国してすぐに、上祐氏はオウムで3人目の正悟師となった。
 間抜けな私は当時、まったく気づかなかったが、すでに上祐氏はヴァジラヤーナの道程に踏み込んでいたのだと思う。
 だからこそ、<プルシャ>の記事を見ても堂々と揶揄できた。
 また、フィアンセだったNさんがポアを望んだ時も、是非もなく肯定できたのだと思う。


 そういえば、こんなエピソードがあった。あれは平成元年の春頃、私、早川(紀代秀)さん、上祐氏、G氏が図書館にいたときだった。麻原から、
「今から上祐とMが対立してディベート合戦をしろ。題は、輪廻生が存在するのを納得させる側とそれを否定する側に立って、やってみろ」と言われた。
 しかし結局、討論はもつれてしまい、ディベート合戦とは呼べなかった。すると唐突に上祐氏が本音を語り出した。
「実は僕は、未だに尊師の全てを信じていません。本当に最終解脱の世界が存在するか分からないからです。しかしいままで体験した実体験は本物だった。尊師の言われたままのものでした。だからこそ、今、ここに居るのです。これからもまだ最終解脱というレベルに到達するまでは100%信用しないでしょう。でも現時点までの消えは疑うことはありません。まだ内面に不安や焦りが心のそこにあるかもしれませんね。」と。
 聴きようによっては、麻原への反乱と思えるような告白ですが、上祐氏らしい本音と思いました。
 彼はひとつひとつの事象を見つめ、確認し、納得しなければ前に進めない頑固な人なのでしょう。


 また、彼はあるインタビューでこう答えていました。
「最初の1年ぐらいは現世と出家修行の間を心が行ったり来たりして、現世に戻ろうかな、と考えたこともあるし、2年目ぐらいになって修行で成功できるか分からないが、現世に戻っても、先が見えているなという感覚になって、4年目くらいで修行のある一定ので以下が出て。」
と告白している。4年目とはマハームドラーの成就の年です。
 彼は平成元年11月ごとからすでにヴァジラヤーナを肯定する弟子のひとりだったのです。
 そして、今、上祐氏は麻原を開祖と呼び、新たな教祖(長男)を祭り上げようとしている。
 上祐氏は自分自身を<弥勒菩薩=仏陀の化身>だと信じている。パラノイアの疑いがあると言われても仕方がないように感じる。


 95年、麻原逮捕の後、信徒でもない政治ジャーナリストに、上祐氏は<麻原を切る>とまで言い切った。
 師弟関係が逆転することはあり得ないが、将来、上祐が教祖となった長男の手綱をさばく傀儡師となる可能性は十二分にあり得ることだと感じる。もちろん教義が変わらなければ、ヴァジラヤーナの封印もいつでも解かれる恐れが存在する。


また、2016年現在の宮前さんの手紙です。

上祐とひかりの輪を叩くために、愚生の名前を出してもかまいません。(ひかりの輪はオウムと同じ偽装勧誘そのもの。上祐は未だに他人の自由意志や真の幸福も、心の平和とは何かを全く以て分かっていない)兎も角、どんどん、岡﨑、佐伯、宮前を利用して、ブログで公表すべきですね。


平成11年に書かれたとは思えないほど、今後の未来を予見しているように思います。何かのご参考になりましたら幸いです。
本日は以上です。

2016年11月18日金曜日

オウム対策住民協議会第33回抗議デモ・学習会

オウム対策住民協議会第33回抗議デモ・学習会が千歳烏山で行われ、200人もの人が集まったそうです。
私は今回行けず、残念でした。
デモと学習会(講師:滝本太郎弁護士)の様子はディオゲネスの樽さんのブログに詳しいです。

住民運動/ディオゲネスの樽

脱会/ディオゲネスの樽


まず、オウム真理教家族の会代表である永岡さんが来られてお話をされているのに驚く。前回もみえていた。毎回みえているのだろうか。オウムの危険性語り続けておられること、お詫びを続けられていることに本当に頭が下がる。永岡さんのお詫びには、いつも胸が苦しくなる。

ひかりの輪は今回も抗議文をうけとりに来なかった。
さらに、HPで「これは誤解だっ」ということをなにやらだらだらと説明している。

「ん?」となる内容である。

「抗議があるので直接対話しにきてくれ」って言われてるのに「誤解だっ」は変だ。
あと予定があるのでと逃げるのもへん。講話会?や勉強会?の予定なんてしょっちゅうかえているのに。


滝本先生の話もわかりやすくて興味深かったようだ。
上祐案については、滝本先生の別の講演かなにかで知っていた。上祐は炭疽菌はもとより、サリン製造にもやる気まんまんだったのだ。

やっぱり現状のひかりの輪の存在意義はないように思う。
各々の自立を願って止まない。


私事ですが、(このブログに書いたかどうか忘れましたが)入院して退院して療養してます。ご心配おかけしてすみません。

毎回毎回、このブログがうまく書けなくて「あーーー」となる。言いたいことがうまく表現できた気がしない。
でも不器用ながら続けていきたい。


本日は以上です。

2016年10月19日水曜日

ひかりの輪が卑劣な話

昨日のエントリ
ひかりの輪、偽装勧誘をしているかも
これを書いていて思い出したことを書きたいと思います。
ひかりの輪って本当になんていうか・・・やることが卑劣だなあと思います。

私は、今年3月に、「地下鉄サリン事件21周年の集い」に参加しました。
ずっと恐ろしくて、おおやけに書くのをやめていたのですが、その時に、実はすごい嫌がらせを受けました。

今更個人攻撃をしたいのではない上、偽名で今あるかどうかもわからないアカウント名なので、イニシャルで書きますが、ツイッターで「I」と「S」と名乗るアカウントが、去年くらいから私に執拗にツイッター上で嫌がらせをしてきました。

で、「地下鉄サリン事件21周年の集い」シンポジウムで、IとSはどこからか私の顔を特定し、直接「お前は嘘つきだ」「ひかりの輪や上祐さんをバカにするな」といったことを、怒鳴られ、叩かれ、本当に恐怖しました。

あまりに騒ぐので、シンポジウムの運営の方が取り押さえたり、いろいろな方が私を守ってくれようとしてくださり、周囲が騒然としました。

狂信的な人もいるもんだなあ、と思いましたが、シンポジウムの集まりを騒然とさせるのは、やりすぎだと思います。
IやSが、ひかりの輪幹部さんや上祐氏から、「地下鉄サリン事件の集いをメチャクチャにしてこい」と言われたのか、自主的に感情が高ぶってあのようになったのかわかりません。

でも、被害者・ご遺族がいたり、お話をしている中で、本当に酷いと思いました。
このような方が来ては、純粋にお話を聞きに来る人が恐怖して、参加者が来なくなってしまうかもしれません。

このことは、公安も警察も知っているので、今後同じようなことがないといいなと思っています。

2016年10月18日火曜日

ひかりの輪、偽装勧誘をしているかも

【ひかりの輪】偽装勧誘疑惑


このようなtogetter(ツイッターの発言をまとめたもの)を作成しました。

気になった発端はこちらのツイートです。



実は、前からちょこちょこと怪しいアカウントがあるとか、「ひかりの輪」の名前を隠した勧誘っぽいことをされるという噂は聞いていました。でも確証は持てませんでした。
しかし、最近ひかりの輪をやめたというこの「あずき」さんが言っていることが、まんま別方面から聞いていたことなので驚き、確証につながるなあと思っております。


あずきさんのお話によりますと

・SNS(facebookやtwitter)で知り合いになる。

・LINEやメール、携帯番号など個人的にやりとりできるツールを交換する。

・仲良くなり、直接会ったりする。

・「一緒に行こうよ」とひかりの輪の講話会に誘われる。

という流れでひかりの輪に連れて行かれるそうです。


まんま偽装勧誘ですね。


同じオウム真理教後継団体であるアレフと同じやり口です。



ただ、わたしもSNS上でうかがったのみの情報であり、確証を持って言っていることではありません。

しかし、限りなく真実であろうと思っています。

ひかりの輪は、多分、いや、ほぼ絶対、偽装勧誘をしています。
主に、一連のオウム真理教による事件をしらない世代で少し事件に興味を持っている人や、当時上祐ギャルをやっていた人たちがターゲットになるんじゃないかなと思っております。
気をつけてください。

最後に、あずきさんからブログに入れて欲しいという一文を置いておきます。


ワタシはネットで上祐を批判するひとや団体に疑問をもつひとに大丈夫だよ、安心だよ言ってしまいました。ネットの上のことでもその人達が今どうなってるのか思うと毎日反省しています
今は必死に擁護していてもワタシのようになる可能性があるので今団体に関わってるひとはよく考えてほしいと思います。



団体に関わることで、悲しい思いをされる方が、一人でも減りますように。



10/19 あずきさんの希望により追記します。


以上です。
団体のはやい解散と、現在の会員さんたちの自立を望みます。

2016年10月12日水曜日

SNSで残念な活動をおこなう「ひかりの輪」

いつもご訪問ありがとうございます。
自分の気持ちをまとめて言語化するのが難しく、更新がおろそかになっております。

えーと、「ひかりの輪」がツイッターでいよいよ猛威を振るおうとして空振りし続けているので、簡単にまとめたいと思います。ハッキリ申し上げて卑劣だと思います。


最近、ツイッター上でひかりの輪を脱会したと思われる方が、上祐史浩氏やひかりの輪批判を繰り返していますが、そのアカウントに俗に言うクソリプ(明らかに迷惑なリプライ)を送りつけては、アカウントを消去して行方をくらますというアカウントが増えています。

例えば昨日出現したこちらのアカウント。






このように、突然全く知らない人から大量にリプライをもらうって不快以外の何物でもないと思うのですが・・・



このアカウントは、相手の気持ちなどおかまいなしに、「あなたは怒りをもってる」「幼少期に家庭不和やいじめを受けてる」と決めつけ、延々とリプライをしています。

はたから見てるだけでも気持ちの良いものではありません。

どこかで見たなぁと思った方はこちらも参考にしてみてください。

ひかりの輪が一般人にからむ

「キャラメルラテ」さんも、クソリプを大量に送りまくった挙句にアカ消し逃亡してしまいました。

リプライの口調や、誤字脱字の雰囲気は、こちらと照らし合わせると良いかもしれません。
ひかりの輪広報がひかりの輪元信徒にからむ


というわけで、

ひかりの輪を批判し続けていると謎の即席アカウントがクソリプを送りまくってくる

ということがありますということでございました。

で、謎のアカウントはひかりの輪の中の人(上祐氏とか)だろうなあということです。


酷いと思います。
まず、ツイッターというのは楽しくコミュニケーションをするツールです。
それを、即席アカウントを作って人を不快にしまくるという使い方をするのは、悪用です。

また、ひかりの輪を脱会してなお、問題定義をしようとされる方を、クソリプで黙らせようとするのは、本当に卑劣だと思います。問題定義をされている方たちは、時々言い過ぎっぽい時もありますが、怒りをもって、ひかりの輪の問題点について語っています。

このひかりの輪の行動の根底には、オウム真理教時代から脈々と受け継がれる思想とマインドコントロール手法があると思います。やることなすこと、オウム時代から全く変わっていません。

ひかりの輪に関わっている人は、マジで離れた方がいいんじゃないかなあと思います。

脱会は、いきなりすぱっとやめなくていいと思います。疑問を感じたら、まずは相談するところから。私でも構いませんし、ひかりの輪の元信徒であるディオゲネスの樽さんもお話し聞いてくださると思います。

あと、さくらねこさんはご連絡くださいね・・・(そろそろしつこい)

私のメアド akaneyamada0322@gmail.com


本日は以上です。

2016年10月4日火曜日

ひかりの輪と霊感商法

霊感商法/ディオゲネスの樽

この記事読んで驚いたんですけども、ひかりの輪は霊感商法もやっていたようです。

"ある方の親が亡くなった時には、「どす黒い青色(のバルドーが)見えるので、このままでは人間に生まれるが凄く不幸な人生を送るだろう」などと脅し、「毎日道場に通って修行すべきだ」なんていってポアの儀式などをさせて保険金を巻き上げたりしたこともあったな。"

さらっと書いてありましたけど、驚きました。だめでしょ・・・ポアの儀式=保険金巻き上げとは。

広隆寺で購入した弥勒菩薩像を10倍近くの値段で転売していたという話もありましたね。

もう、すごいです、このブログとひかりの輪。目が離せません。

ちなみに、ひかりの輪代表の上祐史浩氏はfacebookやtwitterで、しきりに賠償をしていることやアメリカのテロ対策に協力してることを書いているようですが、賠償をしていることは当たり前だし、テロ解決以前にロシアやウクライナからテロリスト認定をされて入国拒否をくらっていることも忘れてはいけない事実です。セカンドチャンスは心から反省している人に送られるものだと思います。現オウム真理教後継団体やその代表が与えられたらおかしいでしょう。


あと、被害者の方達はけしてお金だけがほしいのではありません。
解散を強く望んでおられます。
それを、賠償をしているから存続してていいよね、というがごとく毎月の賠償をアピールしているのは、なんだか解せません。私ですら不快ですから、被害者やご遺族の方達はどれほどのお気持ちでおられるかわかりません。

そんなことを思いました。

本日は以上です。

2016年10月1日土曜日

ひかりの輪被害者交流の輪「インコの会」



ということで、藤倉さんとディオゲネスの樽さんを中心に、インコの会がはじまります。

私も、できることは少ないですがアシスタント的な位置で協力しようと思っております。
あと私自身も一応、ブログやツイッターで荒らされた被害者であります。

最近のひかりの輪をめぐる出来事といえば

・「やや日刊カルト新聞」藤倉総裁の誕生日プレゼントがヤフオクに出品される
上祐さん、ファンからの誕生日プレゼントをヤフオクに出品
上祐さん、誕生日プレゼントがヤフオクで売れず=入札ゼロで出品取り下げ
売れませんでしたけども。ひどい展開です。

・イベントバーエデンさんが上祐氏を呼ぼうとしてるのは良くないんじゃないかなあ


といった感じです。


「インコの会」をよろしくお願いします。

2016年8月27日土曜日

ひかりの輪とディオゲネスの樽さん

イラスト:いらすとや

告発

ひかりの輪の元在家信徒であるディオゲネスの樽さんが、ブログでひかりの輪を告発している。とても興味深い。

ディオゲネスの樽

「立入検査と検査忌避」
ひかりの輪が、公安の立ち入り時に検査忌避を行っていたという問題について告発されている。
公安に見られてはマズい書類を一般信徒にあずけたり、検査の時に資料を持ってドライブに行かせたりと、発想が犯罪者っぽくて残念に思う。

こちらのエントリーをupされた時には、ひかりの輪のツイッターアカウントに早速絡まれていたので、またまとめさせていただいた。

ひかりの輪広報がひかりの輪元信徒にからむ

ついに元信徒さんにもからみだしてしまったと思った。


頭の良い方は、ひかりの輪の理論はまるっきりデタラメで、どういう意味なのかわからないと思う。必死で話をそらして、都合の悪いことは見ない事・無かった事にしている感じを受ける。


この件に関しては、やや日刊カルト新聞・藤倉総裁のまとめ記事もわかりやすい。
ひかりの輪が公安調査庁の立入検査で“検査忌避”か=元信者が内部告発


さくらねこさん


また、最近ツイッターで、ひかりの輪元信徒と思われる方の告発が相次いでいて、その真意や真偽はちょっと計りかねると思っているけども、以前このブログでも大変お世話になったさくらねこさんについても言及してくれているので、ちょっとさくらねこさんについても書こうと思う。

さくらねこさんは実在するし、真面目な方なので嘘を書いたりはしない。
ひかりの輪は場合によって「実在する・しない」と分けて言ってるようだが、わたしは実在することは知っております。

その上で、ちょっとわたしはこのブログで晒しあげすぎたのかもしれない、と反省をしている。あのころは探究心が勝っていたので、不快だったら申し訳ない。

で、全くの別件で、わたしはさくらねこさんとコンタクトがとりたい。
ツイッターでもなんども言ってるけど、反応がないので、もう無理なのかもしれない。
寂しい限りである。
その別件とは、さくらねこさんのアイデンティティに多少関わることなので公表はしない。でも、ひかりの輪が直面しているお金とか、介護とか、そういう事は一切関係ないことである。ただのわたしの発想である。でも絶対楽しいと思うので、お誘い申し上げたいのだ。

そんなダメ元の感じです。


ひかりの輪の内実


ディオゲネスの樽さんのブログに戻ろう。
大阪秋の陣
ひかりの輪がアレフと分裂する時に、M(マイトレーヤ=上祐氏)派とA派に分かれていたのは有名な話で、そのころの騒動について言及されている。
「無視した方が相手のためになるから」という言葉は、いじめている相手の一方的な言い分という感じがして、読んでてとても悲しくなる文章だなと思った。わたしがそんなこと言われてたら泣く。いじめられてたトラウマもこじ開けられそう。

ひかりの輪もアレフとともに現在、内部で人を排除しているらしい。とってもカルトっぽい。
敵味方に分けて、二元論に陥っているところは、オウム真理教時代と何も変わらない。
仏教には中庸という教えがあるが、そういうものを真面目に学んでみたらどうかなと思う。

智慧袋
ディオゲネスの樽さんが、ヤフー知恵袋に書き込まれたひかりの輪擁護発言を、華麗に論破している。
また、ひかりの輪・上祐氏はこのヤフ知恵の回答を見せて勧誘に使っているらしい。
ヤフ知恵の回答をそのまま信じる人はあまりいないとは思うが、ひかりの輪を肯定的に見ている人がヤフ知恵回答を見たら、肯定感に拍車がかかるのかもしれない。

ひかりの輪は、在家信徒だったり講話会や旅行に行くだけでも公安にマークされる。
未曾有のテロ事件を起こしたオウム真理教の後継団体であり、その元スポークスマンでありさらに現在も「過去に後悔はない」と断言している人が代表を務めている団体なので、当たり前と言える。普通は近づかないと思う。

ただ、その代表・上祐史浩氏は嘘をつくのが上手だ。最初は騙されてしまうと思う。
でも、SNSのやり取りなどを見てみたら、いかに彼が支離滅裂かわかると思う。

最後に

もうこれ以上カルトに騙されて悲しい思いをしてはダメだと思う。
ディオゲネスの樽さんのブログは、これからもチェックしていきたい。

ひかりの輪・アレフの早い解散を望みます。


今回の件なども盛り込んで改訂しました。
ひかりの輪(代表:上祐史浩)はオウム真理教?嘘つき?最近の動向まとめ

2016年6月24日金曜日

「極限芸術2 死刑囚は描く」パンフレット発売

「極限芸術2 死刑囚は描く」が広島県福山市クシノテラスで2016年8月29日まで開催されている。
http://kushiterra.com/gallery/2016/03/74.html


そして、先日この展覧会のパンフレットが発売開始された。
http://kushiterra.base.ec/items/3440347


かつて、死刑囚の作品をここまで丁寧にまとめたパンフレットがあっただろうか。
作品たちは綺麗に撮影され、印刷されている。圧巻。

宮前一明さんの「糞僧衣」(宮前さんが獄中でぼろぼろになるまで着用していた下着)も、撮影でつぎはぎがよくわかるようになっている。

作家の田口ランディさんと多摩美術大学教授の椹木野衣さんの論考もとてもよかった。
特に、田口さんは実際に死刑囚と交流をしているため、その処遇の理不尽な様子がよくわかる。

松本健次さんに知的障がいがあることは存じていたが、拘禁症状がひどくなっているとは知らなかった。

他にも、拘禁症状が悪化している人はたくさんいる。心配でならない。

死刑囚の作品をみて、描いた人の背景などを読んでいると、その人ひとりが悪い奴で、そいつのせいで事件が起こった、というわけではないように思えてくる。
ただの善悪で判断するわけでなく、例えば犯人の生育歴や当時の環境など、さまざまな因果が絡み合って、悲しい出来事につながってしまったのではないか、と、事件についてのさまざまな文献を読んでいてもそう思えてくる。
私は、もっと死刑囚と語り合いたいと思う。

2016年6月3日金曜日

どうして死刑囚の支援をしているのか

「どうして死刑囚の支援をしているのか」ということをリアルでよく聞かれる。

「オウム真理教事件は、麻原にだまされて事件をせざるをえない状況に陥った人たちが犯人とされ死刑囚になってて気の毒だと思ったから」と答える。

「もっというと、サリンをまかないと自分や自分の家族が殺されるような状況だった」
などと補足をする。

「えー!!そうなの!?」
とたいてい驚かれる。

「あんまりそういうこと考えてる人いないでしょうね」
ともいわれる。

わたしにはそっちの方が驚きだけど・・・

みんな、「他人」が「死刑囚」になったとたん「死刑囚=悪い人」で思考停止してしまうらしい。

事件は個人の責任に押し付けて、起こった背景や環境は考えないらしい。

すぐに過去のことにして、再発防止や研究はしないらしい。


わたしはもうちょっと事件について知りたい。

でもメディアはというと、テレビでは「真実は・・・わからない!終!」みたいな感じで、本はどれが真実かわからない。

裁判資料は膨大で、しかも手軽に見れるようなものではない。

公安調査庁の現在の後継団体の資料はあるけども、公的な総括はない。

それで「オウム真理教の元幹部の死刑囚の人たちはまだ生きてるんだから直接聞けばいいじゃん」と思い至った。

そうしたらレスポンスをくださる方がいた。
確定死刑囚の方ばかりなので、処遇的に直接は無理だけど、事件についての思いを何人かに聞かせてもらうことができた。

そのお礼もこめて支援をしている。

それだけの話です。

2016年6月1日水曜日

東京拘置所洗濯事情と処遇がひどい

イラスト:いらすとやhttp://www.irasutoya.com/


東京拘置所の洗濯事情がひどい。書いていいようなので書きます。

他の拘置所はわからないが、東京拘置所で囚人の服を洗濯するには
①交流者に宅下げ(房内から交流者へモノを渡すこと)して洗濯してもらい、また差し入れしてもらう。
②拘置所に一回何円かで洗濯してもらう。

のどちらかの方法がある。
ほとんどの囚人は、ほぼ毎日交流者に来てもらうことは不可能なので、②の方法が多いと思う。
で、その②の方法がひどいらしい。

なんでも、洗濯機の能力が強すぎて服がすぐぼろぼろになるというのだ。
昔は洗濯板で囚人各々で洗濯していたが、東京拘置所が今の状態に建て替えになった時に洗濯機を新調したらしい。
洗濯機を新調したのに、服がぼろぼろになるなんて・・・とわたしはちょっと笑った。


わたしは、ある死刑囚の方の支援をさせていただいている。
しかし、交流者ではないので(※交流者など処遇についてはこちらの記事を参考にしていただきたい)交流者の方に協力してもらっている部分がある。


先日、死刑囚の方が、もう服がない、ユニクロのステテコ(リラコの男性用?みたいなやつ)でいいので欲しいというので、いつもお世話になっている気持ちをこめて、何枚か購入して交流者へ送付した。そして、他の郵便物とともに交流者から拘置所へ送付してもらう手はずとなった。
ちなみに、主人のアイデアで、洗濯ネットをおまけにつけてみたが、それはあっさり不許可になった上、洗濯ネットはすでに使用しているらしい。

洗濯ネットで太刀打ちできないなら、もう本当にどうしたらいいかわからない。
東京拘置所はどんだけ強力な洗濯機買ってしまったん・・・?

それはさておき、何日経ってもステテコが死刑囚の方へとどかない、と連絡がきた。
交流者の方は「確かに送った」というが、拘置所職員は「そもそも郵便物の中に無かった」の一点張りらしい。

わたしは、わたしが書いたちょっと死刑囚の方の名前が入っているようなメモが、拘置所に切り取られて捨てられたり、一生懸命書いたメールが黒々と墨塗りになってしまうということはよくあることで(もちろん伝言行為はない)、差し入れ品がどこかへいくことなどよくあることだと思ったので、ステテコを購入したお金が勿体無かったなあ、と半ば諦めたが、今回は死刑囚の方と交流者の方が粘った。粘って職員に何度も確認をさせた。
粘り続けたら、ある職員が、独断でステテコを別にして放置していたらしいということがわかり、謝罪して差し入れられたということでほっとした。

一体なんの意味があった一件なのかわからなかった。
怪しい差し入れ品なら、「今調べているからちょっと待って」って言ってもらえれば済むはずだ。今回は、調べようとしたのかわからないけど放置している職員から他の職員へ申し送りがされておらず、拘置所側から「そもそも無かった」と逆ギレされる始末になったようだ。

本当に、一体なんの意味があった一件なのかわからなかったけど、書いていいみたいなので書いてみました。


ステテコがなるべく長く拘置所の洗濯機に耐えられるように、祈ります。


本日は以上です。

2016年5月4日水曜日

よくわかる(多分)日本の死刑囚の処遇など

よく質問されるので、死刑囚の処遇について、わたしの話せる限りのことをお話ししたいと思います。
ソースは実際に聞いた話やユニテ希望です。

何かの参考になれば幸いです。


1.確定死刑囚は限られた人しか交流できない、死刑囚とはいえ未決なら誰でも会える

・確定死刑囚は、家族と外部交流者と定められた人としか面会・手紙のやり取りができません。

・家族や外部交流者以外の一般人は、お金か切手のみ直接送ることができます。死刑囚からは、お金か切手をもらった人に対して「お礼状」を送ることができます。(参照:東京拘置所収監中の確定死刑囚への支援金送付方法


・未決囚の方は、初対面でも面会申し込みをすると会ってくれることがあります。



2.処遇は拘置所所長の裁量で変わる

・上記の外部交流者は、拘置所所長の裁量で決定することが大きいと言われています。
突然、外部交流者を切られたり、増やせたりすることはすべて拘置所所長が定めると言われています。
その理由は知らされないことが多く、謎です。
松本麗華さんが突然不許可となった例もあります。これは、本の回し読みが理由とされますが、本は拘置所内で読んで良いものなのな上、金品の拝受は行われる以前の話なので、実際何が問題なのか不明です。

・死刑囚が使える画材も、拘置所所長の裁量によるようです。個人、または拘置所単位で、使える画材・文具が異なる場合があります。
その理由も謎です。



3.被害者も弁護士も研究者もみんな死刑囚の処遇が厳しくて困っている

以前「地下鉄サリン事件から21年の集い」でも書き起こししましたが、処遇が厳しくて直接訴えたいことや知りたいことを知ることができない、再審請求の方法が難しい、研究者だろうが面会は10分程度など、いろいろな関係者がこの処遇に困っていることがわかりました。

これでは、被害者の方たちの気持ちが報われないことがあったり、冤罪を野放しにしてしまう、事件の研究・総括ができないなどという弊害が生まれると思います。



まとめ やっぱり処遇がおかしいと思う


わたしが知る限り、オウム真理教事件について、元オウムの元幹部死刑囚の方たちは、事件について猛省し、このような事件が二度と起きないようにと考えている人が多いです。

しかし、そのような彼らの考えはあまり知られていません。

反対に、アレフやひかりの輪についての報道が多いです。
その名前を出すことで、逆にアレフやひかりの輪の宣伝をすることになってしまうことはないでしょうか。アレフやひかりの輪が、事件のすべてだと思われてしまうこともあるのではないでしょうか。

特に、麻原隠しをしているひかりの輪は悪質です。
反省しているフリをして、事件を知らないような人をとりこもうとしています。

そのような人たちをのさばらせるのではなく、当事者である死刑囚や無期懲役の方たちが生きているので、もっと積極的に取材されて、彼らの言葉が広まればいいのになとよく思います。

なんでもそうなんですけど、わからないことがあったら憶測だけで答えないで直接きいたらいいのに、と思います。
憶測だけで事件について何かいうことは、被害者の方たちにとっても失礼だと思います。

死刑囚たちの声を、多くの方に知っていただくことを望みます。




今日、「極限芸術2 死刑囚は描く」を見にいき、櫛野さんともお話させていただき、色々と考えさせられました。

ちょっと忘れっぽいので、他にも死刑囚の処遇についてこんなことを聞きたい!ということがあったら、お答えできる範囲でしたらお答えいたします。

もし、少しでも死刑囚へお気持ちを寄せられる方がみえましたら、お金か切手を支援するだけでも、彼らはとても助かり、感謝されると思います。



本日は以上です。

2016年4月24日日曜日

極限芸術2〜死刑囚は描く〜 告知


死刑囚の芸術を展示する展覧会が、この4月29日からはじまる。
前回の「極限芸術」は、広島県福山市鞆の浦の、鞆の津ミュージアムというところでやっていて、すごく話題になっていた。

その第二弾、今度は「クシノテラス」で行われる。

わたしは自分の気持ちを言葉にすることが苦手で、「死刑囚のアートはいいよ!」ということをちゃんと言い表すことができない。いいよってもちろん良いよっていうことでも善いってことでもなくて。うーん。

「クシノテラス」の櫛野さんが書いていることを引用する。

 そもそも我が国においては、死刑判決を受けた人たちのその後は、ほとんど語られることがなく、私たちもあえてそれを知ろうとはしていません。しかし、極限の状況においても制限された画材を駆使して描かれる絵画は、ひとが表現するという芸術の根源を私たちに気付かせてくれます。死刑制度の是非を問うのではなく、社会的に「悪」とされる人たちの芸術を通じて、既存の常識や価値観が再考されるきっかけとなることを願います。


本当にこの通りだと思う。

ちなみに、オウム元幹部の死刑囚の中から宮前一明さんと広瀬健一さんの作品が展示されます。宮前さんは「フォーラム90」の「死刑囚の表現展」の常連ですが、広瀬さんはあまり作品を発表したりされない方なので、貴重な機会だと思いました。



全く関係ないですが、最近自分でつぶやいて、いいなあと思った言葉
威嚇・恫喝しながら「自分は間違っていない!」と主張する人は、99.9パーセント間違っている。
そもそも威嚇や恫喝をする時点で人として99%間違っている。
そして威嚇や恫喝で他人が自分に従うと思っていることもかなり間違っている。
と思いました。
ツイッターとかでよく言い合いを見ますが、ワーってすごい量のリプを送っていたり、質問に全く答えずに「おまえ」「バカ野郎」など酷い言葉を使ったりする人は、結果的に鍵をかけたりして消えてしまうことが多いなあと思いました。


体調が悪くて耳鳴りが酷いです。

本日は以上です。

2016年3月31日木曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー「被害者遺族の本音」

高橋シズヱさんがインタビューした「被害者遺族の本音」とされる映像の書き起こしをupします。


2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ①
こちらの文中と合わせてどうぞ。





映像「被害者遺族の本音」
※高橋さん以外の名前は全て伏せました。


1人目
男性(負傷者):
えー・・・やっぱり目ですね、完全にこう、瞳孔が縮まっちゃって、あの、ちょうど夕方の薄暗い・・・ああいう状態の目に、完全に薄暗くなりましてですね。


死刑っていうのを、早めに、もう決まってるんですから、してもらいたいっていう気持ちは持ってます。
それは、ここはやっぱり悪いことしてるんだから、犯罪してるんだから、やっぱり死刑は死刑で執行していただきたい、という気持ちは持ってますね。あの、それをあの、廃止したりなんかするってことは、今まで決めてきた人に悪いんじゃないかと思います。はい。


(自分は事件について)残すよりとか、(事件の背景を)みなさんに語ったり、いろんな取材に出たり、出来るんだったら、友人同士や知り合いでも、なるべく語るようにしています。


2人目
男性(負傷者):
(事件当時について)(目の前が)薄暗くなってきたので、あわてて、自力で、逃げました。細い、道に逃げ込みまして、50mくらい行った時点で、目が一瞬で見えなくなりまして、そのまま行き倒れみたいな、記憶を失って倒れてしまいました。


林郁夫の裁判を傍聴しましたけどね、あれでわたしね、すごく緊張しましてね、裁判の難しさとかね、感じましたねえ。


そうですねあの、わたしはね、なんであんな優秀な人たちがね、ああいう悪い道に入りこんだのか、非常に強い憤りを感じますねえ、なんの権利で、われわれのこの、社会の・・・今でも・・・わかりませんねえ、なんであんな道に入ってったのか。


やっぱりあの、司法がやったことは納得してますけど、まだまだあの、死刑執行までいってませんからね、執行してもらいたいですねえ。


高橋さん:もし(死刑囚に)会えたら、どうしてあんなことをしちゃったんだ、って聞いてみたいですか?


男性:(質問に食い気味で)あ、聞いてみたいですねえ!一歩踏み出した時の分岐点ですか、気持ちをね・・・できれば聞きたいですね、聞きたいです。
林泰男ですか、あの人、サリンの袋を3個、1個(を他の人より)余計に持ったってことで、気になってますけどねえ・・・聞いてみたいたいと思いますね、今の、(自分たちの)辛さというものを、わかっていただきたいですねえ・・・


3人目
女性(遺族):
(亡くなった妹さんが事件にあったところをみたという)女性の方の、名前も住所もわかったので、その方に連絡をしました。そしたら手紙をくださったんですけども。
その手紙の中に、日比谷線のホームに、でたら、すごく苦しんでいる人がいて、ものすごいケイレンを起こしてるのをみて、その女性は「あ、これはすごい、てんかんの発作かもしれない」と思って、ちょうど近くの娘さんが看護婦さんをその頃していたので、その娘が言った、胸を広げたりとかいろんなことを教えてくれて、それで、もう一人女性が、売店の女性に「助けてください!!」ってもう、すごい状態で言ってるのをみて、そしたら売店の女性はもう、「救急車を呼んでほしい!!」ってことを、悲鳴のように言って、大声をあげたんですって。そしたら、「もう、救急車は、呼んであるよ!」という声とか、いろいろな人がこう・・・すごい騒ぎになっていたんだけど、そこへ、「わたしは医療のものです」ってことをいう男性が来たので、その方と一緒に、人口呼吸をしたり、しているうちに、妹はもうぐたっ・・・としてしまって、ものすごい・・・こう・・・唾液を出すので、それを拭いたりしました、っていうお話を聞きました。

死刑制度があって良かったんじゃないって、思います。

もし妹が、サリン事件にあってなく、親族がだれもあってなかったら、わたしの場合、えー・・・刑罰200年とか、刑罰300年というふうなことを言って、「死刑は、反対!」って言ってたと思うんですけど・・・


その先に、どういうことが起きるかっていうことをね・・・考えてない人がいるんじゃないかなって、決めつけてはいけないんですけど、そう思うんですけど、多分オウムの人たちも、そうだったのかなあって・・・とても、狭い範囲の中で、考えを固まめてしまって・・・もし、違う意見があっても、「あー、そういう意見もあるのかあ」って、思えたら、違う世界が広がると、思いますけどね。


4人目
高橋さん:(事件当時)何が起きたと思いましたか?

男性(負傷者):全然わからなかったですね。霞が関までの車内で、みなさん、周りの方々が、咳き込んで、なんか、バタバタしはじめて、そのとき、いつもなら座れないとこで座って、寝てたんですね、全然状況がわからなかったと。
で霞が関についたところで、みなさんバタバタ降りて行って、目の前、一番先頭車両の、前のところに、駅員さんが、なんか誰かに言われて、たくさん入ってこられて、袋?を出していたとこを見てて、何があったんだろうな〜とこの騒ぎは何なんだろうなと、ニオイも正直、かいでみたりとかしたんですけど全然、わかんないし、果たしてなんでみんな咳き込んだのか、アレ(袋?)が原因なのか、なんなんだろうなこれは、っていうのは覚えていて、水があって・・・で、全然あとの被害は、わかんないまま、そのまま会社に行って、体調がおかしくなってきたんで、一時間くらい、でやっと、赤坂病院いって、何が起きたのかさっぱりわからないっていう・・・わたしは目が見えないんで、声だけ聞いてると、病院の方が、眼科に電話するようなことを、聞こえてて、でわたしの番になったとき、何も言わずに「即入院してください」って言われたんですね、なので、何が原因だとか、何がどういう症状だからこうだとかいうこともなくて、この状態なら即入院してくださいと、いうことでしたね。

死刑が確定したことについて、それは、あの、必ずしも・・・(司法が)判断されたことですから、いま自分が、うーん、異論はないですし、ただ死刑っていうのは、死んでしまえはそれだけのことになってしまうので、そういう意味では、無期懲役でなくて、終身刑のような、ずっと責任を負うような、・・・ことを、望みたいかなと個人的には思いますけども・・・

高橋さん:(死刑囚と)面会が、できるとしたら、どうしますか?

男性:僕は別にしたくはないですね・・・うーん、実際自分の職場とかで、自分の経験を話していると、まだ今の段階で、20代のコとかは、わかんない、何かで見たとか、そういう程度で、それを実際に聞いたことないということで、(体験談を聞いたことあるような人は)一人も居ないですから、今の段階で、知らない世代が多い・・・たったの20年かもしれないけど、それだけでもこんなギャップがあるんだな、っていう・・・まあ知らないと怖いなっていうことですよね・・・


5人目
男性(負傷者):えっとですね、築地で、外に出て、六本木の会社に向かうまでに、タクシーで避難したんですけども、目の前が暗くなる、視野がだんだん狭くなる、涙が出る、それから、鼻水ですね、鼻水がやたら出てくる、で、若干こう、心臓が苦しいっていうか、息が苦しいというそんな状態がだんだんだんだんと、六本木に向かうにしたがって、強くなって、で、会社に行ったらもう、ほんとにもう、一部爆破騒ぎだどうのこうのって言いながらも、わたし一人が会社に行った中で、すごいやっぱり、症状が悪くなってきたと。

高橋さん:裁判を傍聴したことはありますか?

男性:麻原のも聞きましたし、そのー、ほんとに、こいつら(オウム信者)何を考えてるんだろう、っていうのと、彼らは、何もほんとのことっていうか、なんであんな・・・そんなことをやったんだってことを、ほとんど語られてない。

それは、しっかりと、極刑は極刑で、されるべきだと思ってるし、その判断を今持って下せないっていうのは、おかしなことだと思っている一人ですけれども。
やっぱり、罪というのは償ってほしいなと思っています。

ある意味抑止力にもなるし、これから同じようなテロを企てようとするような、まあ世界的にみれば、ISのようなこともあったりするんですけどね、ある部門でちゃんとした情報をその、専門家がですね、訪ねて行く、でなんでなんだ、どうなんだっていうね、やっぱりその辺は、しっかり、分析をして、抑止力っていうか、犯罪の抑止力の糧にするっていうのは、絶対必要だと思いますね。

ほんとに、量刑としての、終身刑みたいな制度も一つだと思うし、やっぱり量刑としての終身刑、そして、死刑というのを、絶対残すべきだな、と思っています。

高橋さん:終身刑は死刑の代替案にはならない・・・?

男性:ならない!それはならない。よく、ありますよね、無期(懲役)っていう。無期も、途中で出てきたりとかあるじゃないですか、だから、そういうことではなく、終身。終身ってことは全く出られないってことで、ただ、死刑イコール・・・代案ではない、っていう風には思います。

感情として、それこそ昔の時代だったら「敵討ち」ですか、そういう考え方のDNAが日本人の中にあるんじゃないかなと思うし、それは、宗教的な意味でも、それは、償いとして、ありうる、というような・・・感情論・・・あの、DNAの中にあるんじゃないかなって、僕は思うんですけどね。


6人目
女性(娘さんを亡くされた遺族):T(娘さん)が身につけていたものをわたしも身につけると、自分も勇気が出るんです。
(事件当日)Tが(警察署の)下にいる、っていうから、入った時にお巡りさんが、迎えに来てくださいって言われたから、行ったんですよ、迎えに行っていろんなこと聞かれたんですけど、あたし、答えることができなかったんですよ。死んだこともよくわかんないのに、しゃべることできるわけないじゃないですか。お父さんが一生懸命しゃべってましたけど、まず第一に、Tに合わせて欲しいって言って。
そしたら地下室まで、エレベーターで降りて、「ここです」っていうから、わたし「え、なんでこんな地下室ですか」って聞いたんですよ、そしたら「ちょっと待ってください」って言われて、それで冷蔵庫みたいのをガチャンって開けて、冷たい風がぴゅーってきたんですよ、冷蔵庫から、出して、棺が、入ってて、「お母さん触らないでください」って言われて、それで開けて、ビニールが張ってあって、つめたーい冷蔵庫に入ってるから、一回触った時冷たかったです。「なんで姉ちゃんこんな冷たい中にいるのお父さん!」って言ったんですよ・・・

高橋さん:警察の人はなんて説明してました?

女性:わたし聞いたんですけど、覚えてません。

高橋さん:サリンで亡くなったってことは、いつ知りました?

女性:主人から聞きました。お父さんがね、「Tはサリンで死んでるから、ビニール張ってて触れない、Tには直に触れない」って、サリンがなんだかわかんないから、「なんで触れないの!!」って、「そういう決まりだから」ってお父さんは一生懸命わたしをなだめてくれたけど、わたしは自分の頭では、ほんと「お姉ちゃん帰ろうよ」って抱きしめて帰りたかったです。でもビニールでびちっと目張りしてあって・・・あの時は、自分でも帰りどうやって帰ってきたか覚えてません・・・

高橋さん:なにか言いたい、って思う被告人はいましたか?

女性:林泰男です!・・・何を言いたいかというと、わたしの娘を殺して自分は、逃げて、まして女性と二人で逃げたってのがわたし許せないです。
(死刑確定して)よかったと思いました。わたしはよかったと思う、すごい親だと思うけど、って主人も言ってました。お前は気の強い女だけど、って。母親だったら娘殺されて、笑ってる母親はいないと思います。

高橋さん:今からでも(林泰男に)会って聞けるとしたら、聞きたいですか?

女性:あたしはもう、娘は死んでいないんだから、何聞いても娘は帰ってこないのでわたしは聞きたくありません!
親としてわたしは、あの人の死刑のボタンを押したいと思います。あの人たちに対して、何も悪いことしてないと思います。それなのに、ああやってしたんだから、わたしは親として殺したい。死刑がどうのこうのじゃない。自分のこの手でボタンを押し、親の仇として、仇を討ちたいです。
これはね、身内がこういう立場になってみないと、死刑があっていいか悪いかって言われると、困るって思うんですけど、自分はわたしの娘がああやって殺された以上、殺した人は死刑になってほしい。

高橋さん:死刑に反対してる人たちがいますけれども、その人たちはどうしてそういうようなことを主張してるのか、聞きたいですか?

女性:あたしは、聞いてもあれなんですから、自分たちがどういう・・・ほんっとに・・・・真の底から悲しい思いをしてないからだと思います。

高橋さん:「いや、してるんだよ実は・・・」ていうことを言われたらどうしますか?

女性:そしたらわたしは、あなたは仏さんみたいな人だねえ、って言います。あたしはそこまで、人間穏やかでないから。そういう気には全然なりません。


7人目
男性(妹さんが重体となった方):
(事件当日、病室にて)もう・・・痙攣してる状態だったし、わたしが病室の中には行って触ろうとしても、「触らないでください」って言われたし、体にはいっぱい器具が付けられていて、人工呼吸器から、さまざまなものですね、管を通されて、おしっこも含めて、そういった状態で顔を見ても、もうほんとに、生きてるかどうか分からない。で、いつ死んでもおかしくないという状態だったので、まあたまたま どうしたんだろう、とにかく助かってほしい、なんとか助かってほしいという、その気持ちだけでしたね。

高橋さん:泣いたことはありますか?

男性:その控え室で僕は一晩、そばにいることは出来ないんですけども、一晩いていいよってことだったので、ずっと一晩いて、その翌日に・・・ま、安定、少し、してますから、「一回お家にお帰りになって」ってことで、うちの家内の車に、迎えに来てもらったんですね。車で運転をしてもらいながら、一度だけ「ごめん、泣かせてくれ」って言って、かなり大声で・・・ほんとに、大声で、助手席で泣きましたね。
それから、うちの母たちもずっと泣いてばかりだったので、なんかいろんなこと、死んじゃえばよかったって、うちの母が言ったんですけども、そのことがあったんで、それから、両親を含めて、僕は絶対泣かないようにしようって、だからそういった意味では、一度だけ大きく泣いて、その後は、極力、家族の前で泣かないようにしてます。

高橋さん:奥さんだけには見せる?

男性:そうですね、うちの家内、しか、しらないですね、はい。

高橋さん:どうして泣きたいと思ったんですか?

男性:なんでなんでしょうねえ、今思うと全然分からないんですけども、悔しい気持ちですとか、なんでこんなことになっちゃったのとか、なんで僕の妹がとか、いろんな複雑な気持ちだったと思います。

そうですね、一番僕の中で、記憶に残ってるのが、松本智津夫の傍聴したときに、前から、僕は、真ん中くらいの席だったんですね、で本当に・・・少し歩いて手を伸ばせば届くところにいたので、その時は本当に体がわなわな震えて、ほんとに・・・そばに行って、殴りつけたい、そんなような心境でしたね。

あのー、ぼくの中では、特に、印象に残ってるのは、やはり、広瀬健一死刑囚が、出てきた時、どうしても一番最初に聞きたかった部分だったので、そこは、「一生懸命に、いろいろなことを思い出しながら話そうとしている広瀬健一」というのが印象に残っていて、それがいい悪いとかではなく、彼は彼なりに、いろいろなことを思い出して、話をしようとしてるんだろうなということは、印象に残ってます。

事件当初の本当の気持ちと、今、うちの妹に対して、また、何人か亡くなってますから、その人たちに対してどういう気持ちなのかは、聞いてみたいですね。
ただ多分、返ってくる答えは「すまなかった」で決まってると思うんですが、本当にどうしてそういうことになってしまったのか、ということであれば、今であれば、少し聞いてみたいという気がしますね。本当に話せる、ってなるなら、やっぱり聞きたくないっていう気持ちの方が、強くなってくる気がします。
・・・今、話をしていておもったんですが、やっぱり、仮に、ということで、頭の中で想像したんですね。自分の中で。広瀬と面と向かって話ができるということになったら・・・やっぱり聞きたくないですね。うん。聞きたくない・・・聞きたくないです・・・想像した時点でちょっとイヤだったので。
うん、事件当初は、やっぱりニュースにも触れたくないし、見たくもないし、ニュースが出て来れば、自分から拒絶していて、でその中で、このままじゃいけない、と、被害者の会に出席させてもらって、いろんな人のお話を聞いたり、さまざまな人たちのお話を聞くことによって、なんていうんだろう、最初の、妹が助かればいい、そこから、なんとかしたい、で、時間が経つにつれ、少なくとも、事件当初に比べれば冷静にみることができるようになったとは思いますね。でそれによって、自分が、裁判員裁判に参加させてもらうまで、時間だったり、経験だったり、様々な人たちのアドバイスを受けることによって変わったっていうことは、あると思います。

死刑制度があるというなら、YESなのかなあと・・・で、その人の、犯罪者である、死をもって償うってことだと思うんです。
でも死をもって償うのは、ある意味、その人にとってもしかしたら、ラクかもしれない。なぜかというと人が変わってしまうわけですから。でも、もっと長い間、たとえば、何年も・・・海外では終身刑ということがあると思うのですが、その間辛い思いをして生きて行くほうが、もしかしたら辛いかもしれないし、ただ、犯罪をした人たちが、辛い思いをすることがいいことなのか、ってことは、疑問なんですけども、ほんとにイエスかノーかっていうのが、僕の中で、決めかね・・・ますね。
死刑が、契約書などで入ってる部分、そこは、国の税金なりなんなりでまかなわなければならないと思いますね。
そうするとうちの妹は一人で生きていけないですよね、じゃあ、もし、それって僕たちが何かあった場合、妹はどうしたらいいのだろう。被害を受けた人たちが、生活していける環境を作るべきだと思うので。そういうの改めてできないのかな、って思ってしまいます。
話の中で、わたしの大事の人たち、周りの友達、友人、その中で、僕の事件に対しても、周りの人たちは、死刑にしちゃえばいいじゃないか、って簡単に言葉が出てくるんですね。それは、多分自分が事件の当事者じゃないから言える言葉だと思うんですね。僕ももしかしたら、この事件の当事者じゃなくて関わってなければ、死刑にしちゃえばいいじゃないって思うかもしれない。でも、自分がその当事者になったとき、死刑によって、全てその事件が終わるわけではないですよね、ていうことを考えていくと、死刑制度が本当にいいのかどうなのか、終身刑のほうがいいのかどうなのかっていうことを考えると、何が一番いいのかって、僕の中で答えが出てこない、というのが本音ですね・・・




映像は以上になります。


2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑦

引き続き、学生さんと井上嘉浩さんの弁護人として有名な神山弁護士のご意見です。
そして住民運動をされている方からの質問です。
書き起こしは今回で以上になりますが、序盤の被害者の方の映像をなんとかして明瞭に起こしたいです。


①はこちら
②はこちら
③はこちら
④はこちら
⑤はこちら
⑥はこちら


武井弁護士「ありがとうございました。11ページを参照にした以降は、個人的発言ということで(笑)それでは、慶応大学の学生さんであるKさん(仮名)お願いできますか。」


Kさん:
ご紹介預かりました、Kともうします。僕みたいな学生が発言していいのかちょっとわからないんですけど、僕なりに、学生目線から、思ったことを発言しようと思います。
僕たち大学三年生はおそらく、この地下鉄サリン事件が発生した時に生まれて、事件とともに年をとっていく世代で・・・と、ある意味、感じるんですね。僕も、個人的に気になってこういった事件を調べていて。
大学で、周りの友達とかに聞いてみると、やっぱり「知らない」と。「オウムとは何か」と。
僕は、個人的に個別指導塾で、塾講師をやっていて、小学生の生徒たちに聞くとやっぱり「知らない」と。「オウムって何」って、同じような回答が・・・それはまぁ、小学生の方がもっと知らないんですけども。

僕たちの世代はどういう世代かなあって考えた時に、やっぱりこう、バブル崩壊後に生まれて・・・基本的に未来は明るくないだろうっていう、悟った姿勢がありますし(笑)何かに打ち込むことも、ちょっとダサいかな・・・って。
基本的にそういった中で、「熱くない」。そういった、なんか、夏報道されていたようなシールズのような若者の運動が、「あれは、若者の象徴だ」って言ってた報道もある一方で、基本的に若者はあれを、冷ややかに見る姿勢が、それが若者の明示する意味じゃないか、って僕は感じてるんですね。

そういった中で、オウムの事件が起きたみたいに社会のエリートの若者が、オウムの教団に入って、衣食住すべて、コントロールされた中で、破壊的カルトに進んで行くような動きは、起きるのかなって僕の中で考えた時に、一見、起きないだろう、ってまぁ僕たちの世代の中から、何かに熱くやるってことはないのかな、っていう一方で、「ひかりの輪」とか、そういった後継団体の入信者は増えてるわけで。
そういったことを考えると、やっぱり、今の世代っていうのはきっかけがすごく見えづらくなってるのかな、って思います。当時よりもかなり、そういった意味では危ないのかな、ってことを感じてます。

僕も親に、「オウムって大丈夫なの?」って幼い頃に聞いてみたりしたんですけど、「オウムは公安が見てるから大丈夫」っていう通り一辺倒な答えで、ほんとにそんなんで大丈夫なのかなって、感じたんですけど(笑)まぁもちろん大丈夫じゃないんですけど、僕たち若い人はそういった、なんか「熱いモノ」を排除したり・・・何かに取り組むことがダサいっていうムードがあるからこそ、そういったことに心を寄せる人が言えなかったり、オウムの後継団体がそういうものをこう、示してくれると、そういったとこにするするーっと行っちゃうのかな、って、そういった動きが・・・なんていうんですかね、進んでるというか、視野が狭くなってるんじゃないかなって、僕は個人的に思います。

やっぱそういった中で、これは、一般的な意見じゃないんですけど、家族とか、そういったもののつながりが大事なんじゃないかなっていう風に、感じました。

次にですね、僕らが育ってきた世代っていうのは、やっぱり凶悪な事件っていうのがたくさんあった中で、僕は個人的に、彼らには彼らの論理があるって思うんですね。ワイドショーとかで言うところの、いわゆる、「心の闇」とかそういう風なものなのかもしれないですけれど、まあ、犯罪者ってのは生まれた時から、犯罪者として生まれたわけではないですし、オウムもオウムとして生まれてきたのではないと思うんです。

オウムは、いつから犯罪者になったのかっていう、そういうことを細かく紐解いていくような作業が、やっぱりすごい大事で、こうやって僕も生きてても、いつそっち側に転がるか・・・それは無いと思うんですけども、何かのきっかけで転がることっていうのは、皆、一様に、あると思うんですね。「ある」ってしていた方が、僕はいいと思うんですね。

僕たちの世代的には、そういう風に転がるものの動きを、基本的に排除しようっていう動きが、やっぱりある中で、そこはすごい危ないんじゃないかっていう、考え方ができると、僕は思います。
江川さんが先ほどおっしゃっていたように、オウムっていうのはすごくいい教科書のようなもので、僕たち若い人っていうのはほんとに、オウムって教科書の一単語でしかないんですね。「地下鉄サリン事件があった」って。じゃあ何があったか、って、何が起きたかって、どうったのか、被害者がどう苦しんでるか、死刑囚はどうなってるか、例えばこういった講演会に行かないと、本当にわからないことで、そういった意見を若者に向けて、発信してほしいなということも感じました。以上です。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございました。それではもう一人、神山啓史弁護士・・・信者の弁護も担当されていた、神山さん、お願いできますか。」


神山弁護士:
弁護士の神山です。わたしはですね、井上嘉浩くんの国選弁護人を務めました。
そういう意味では、今日本当に、いろんなことを聞かせてもらって、改めて事件の大きさを感じたところです。

わたし自身は、どんな事件でも死刑は廃止すべきだと思っていますし、井上くんの弁護をした立場からいえば、先ほどから出ているように、麻原さん以下の信者とはですね、本当に麻原さんを信じてマインドコントロールされた中で、犯罪を犯してしまったわけですから、今、本当に悔いているとすればですね、それを死刑にする必要があるのか、その思いを・・・・裁判のためにも弁論で述べた通りです。

今日、話を聞いていて、やっぱり絶対にやってほしいなあと思う、やり残してきたなあと思うのは、カルトに引っかかってしまって、カルトの中で、なぜあんな風になってしまったのか、で、なぜ、助けることができなかったか、なぜ、あんな大きな犯罪に手を染めてしまったか。それがなかなか・・・なぜ解けなかったのか、そういったことについて、本当にもっとよくよくですね、本人に話を聞いて、あるいは、専門家がインタビュー等をしてですね、もっともっと解明すべきであるし、解明することが必要なんだなあと思います。
そうしないと、せっかくの、裁判・・・というとおかしいですけども、彼らがやったことが、日本の歴史の中で埋もれてしまう。非常に残念なことで。

今、カルトにとらわれてしまうことをなくすために、何を考えなきゃいけないのかという、一番いい材料があるということですから。もっともっと、やっておくべきだったと思うし、やらなきゃいけないんだと。

それを考えた時に、先ほどから言われている刑事裁判はやっぱり限界があると思います。所詮は証拠に基づいて事実を認定するというレベルのものですから、ともかくすると、先ほどお話があったように、今ですね、やっぱりあの、死刑囚の人たちにですね、多くの人が面接をできるようにすると、あるいは、研究の対象としてインタビューを試みるとかですね、そういうことをやって、彼らがやったことをですね、後世の材料になるようにですね、作っていかなきゃならないと、そういう仕事をやらなきゃならないなと思います。

高橋シズヱさんにも反対尋問しましたし、滝本さんも反対尋問しましたし、西田さんも反対尋問した弁護士としてはですね、やっぱり我々が法廷でやっただけではダメだったんだなあと。もっともっとやっぱり、やり残したことがあるんだなあということを、今日改めて感じましたし、もし、この会の中でですね、「やり残したことがあるね!やっていこうね!」ってことになるのであれば、非常に、いいことだなあと思って聞いております。ありがとうございます。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございます。それでは、ここでご質問を受けたいと思います。限られた時間ですが、ご質問ある方は、挙手をお願いいたします。」


質問者:
腰が痛いもんで、座らせてもらいます、すみません。
今日は非常に、有効なお話ありがとうございます。実は私ども、足立区にオウムの信者たちが大勢いますんで、それに対して反対運動をしてます、xx会のA(仮名)と申します。
わたしたちは今までの話を聞いた限りだと、裁判の、死刑の反対っていうお話に反するような・・・わたしたちは、あの人たちに対して、非常に不安を持っております。この不安は、あれから20年(ママ)ってことで、あのー、あの人の、松本智津夫の子供達が成長してるでしょうから、その、成長の過程というか、さらに、心配になるようなことが起きるのか、そこいらの話は全然出ませんので、今日は・・・こうやって、聞かせてもらっても、その不安はとれません。
その不安をとってくれるのは、どなたかわかりませんけども、わたしたちは、活動を、まもなく6年にわたるんですけども、その恐怖と不安をとってもらうのはどなたなんですか。・・・っていう、聞きたいんですね。
死刑廃止のことも、当然、治安のいい日本ですから、そういう話は結構ですけど、現実に、迫ったような不安を抱いてる地域の方も目を注いでいただきたいんです。
なかなかあの、わたしらも、素人でお話は、下手なんですけど、切実に感じているもんで、質問させていただきました。どなたか・・・適切じゃなくても結構ですから、ためになるようなお話を、してください。


武井弁護士「ありがとうございます。なかなか難しい質問ですが・・・宗教関係の、藤田さん、いかがでしょうか。」


藤田氏:
まずは自分たちですよね。誰かが言うわけじゃないですよ。って僕は思いますが。
彼らを理解するってことは、何も同情するとか立場を・・・とかそういう意味じゃないですよ。彼らがどういう考え方をしてて、どういう動き方をするんだっていうのは、まずは自分らで知っていかないと。誰かがやってくれるっていうのは、そんな・・・ちょろい案件じゃないと、僕は思っています。
その次において、行政とかなんかにきっちり働いてもらうと。
だけど行政に働きかけてどれだけご苦労したかは、家族の会の方たちに、交流があると思うので、お聞きになっていただければと思いますけども。「アテにならない」って言われてますよね。だけどあの事件のあとに比べれば、それなりに変わってる。
だけど何よりも、自分たちで調べていく以外、対策やっていく以外ないんじゃないですか。
僕はそう思いますが。
その上で、行政かなんかに対して、説得力が初めて出てくると思いますけれども。
非常に冷たい言い方で申し訳ありませんが、まずはそういうことです。


武井弁護士「ありがとうございます。それではもう一人、江川さんもこういう問題に関わってきたと思うので、お願いします。」


江川氏:
はい、あのー、確かに今おっしゃったように、地域でどうするかという問題はあるんですけども、もう一つは団体規制法の対象になっていて、監察が行われてるってことが、みなさんにとっては、まあ結構、心狭い(?)みたいのがあると思うんですね。やっぱり後方的にそれを観察するってことは、とても大事で、ただ、団体規制法って結構、期限があったりするもんですから、だんだん、みんなの関心が薄らいでいくと、もうこの辺でいいんじゃないかっていう・・・そういう風になりかねないこともあるんで、やっぱりオウムの問題を考える機会をできるだけ持ってですね、団体規制の対象にしていって、彼らをみていくと。
例えばですね、麻原の死刑が執行されたりするとどうなるのか、遺体が家族のところに戻されるわけですね、で、その中で、火葬されてですね、一番可能性あると思うのはですね、彼らは骨を売るんじゃないかって。一粒いくらで売って、金儲けの道具にして、それでまたお金いっぱいもうけてですね、なんかいろいろやろうとする可能性だって、ある・・・ということを念頭において、これはきちんとみていく、ウォッチしていかなければならないっていうことを、言っていくことも、改めてお話伺って、大事かなあって思いました。ありがとうございました。


武井弁護士「ありがとうございました。時間になりましたので、以上にさせていただきます。」




閉会の辞については録音していません。
書き起こしは以上です。

2016年3月27日日曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑥

すみません、体調をハデに崩し、今週中に終えようと思っていた書き起こしですが、終わらなくなってしまいました。
がんばります。

今回は、西田公昭教授、アンソニー・トゥー博士、滝本太郎弁護士の意見です。
オウム事件におなじみの方々のお話ですが、とても勉強になりました。
特に西田教授の、専門家として死刑囚や被告人に会えない状況というのが、本当に問題だと思いました。
トゥー博士は、いつもニコニコされていて素敵な紳士でした。
滝本先生には、個人的にもお世話になっていてこの間も貴重なお話とともにビールをおごられてしまいました。おいしかったです!すみません!


①はこちら
②はこちら
③はこちら
④はこちら
⑤はこちら


武井弁護士「あらかじめ主催者団体の方で、三人の方にご意見をお願いしております。まず、立正大学教授の西田公昭さんにお願いします。」


西田教授:
みなさんこんにちは。立正大学心理学部、そして日本脱カルト協会の代表をやっております。西田と申します。
わたしからひとこと申し上げますと、わたしがこの問題に関わってマインドコントロールの問題を根幹としてですね、心理鑑定として弁護人から依頼を受けた、オウムの裁判っていうのは11名いらっしゃいます。そのうち7名が死刑確定者です。ただしですね、ちゃんと研究ができたわけではないんです。
目的がまぁ、「証人」や「鑑定」ですので、研究ではないんですけども、当然わたしにとっては研究になったわけなんですが、先ほども出てたんですが、専門家がですね、研究する際、本当に貴重な資料といえるし、それをさせない国家ってどうなんだろうと。ある・・・学者が言ったことなんですけど、世界のテロリズムってのは今、大きな問題なんですけど、それに対してですね、日本が貢献できるチャンスというか、そういうデータを得ているにもかかわらず、それをさせないっていうことで、一体日本って国はどうなのっていうような、厳しい批判があってですね、わたしもそこにですね、そうだなーって思っております。
実はこのオウムの裁判でですね、正式に鑑定が認められたのはわずか2件しかありません。
わたしが、私的に鑑定を弁護人から頼まれてですね、何人かにチャレンジしたんですが、わずか15分とか30分しかお会いできない。しかも刑務官はついている、っていうような、典型的な状況の中でしか、この問題について・・・向き合うことができなかった、っていうのがあります。

わたしも死刑云々いう前にですね、無駄に長い時間、20年の間、彼らをおいておく、っていう、そういう発想がおかしいんじゃないか、裁判終わったんだったら、とっとと、彼らに貢献してもらった方がいいじゃないか、と、わたし含めてですけども、おそらく、何人もの、関係にある・・・さまざまなですね、分野の違う研究者が、彼らに興味を持っていたはずなんですね。

もちろん、後でお話ししていただけると思いますけども、トゥー先生なんかは、生物化学兵器の研究者という立場で、アメリカの方として特別に(交流を)許されているというのが、ある意味・・・不思議な感じもするかもしれませんが、日本人の学者は、一体どうなっているのか、ほとんど誰も接触できないという、こんなことでいいのかっていうのが、非常に、心の中で、もやもやと、してきた・・・ですね。

で、事件は解明されてないとかいうこと言われますけども、それをさせないっていうか、そういったことをさせないでいて・・・その、死刑、執行はいつなのか、という話にするのはですね、あまりにも勿体無いなと、先ほど、江川さんがおっしゃっていたように、本当に・・・教育的にも、反省している方々何人もいらっしゃいますので、彼らがなんで、こういうことになってしまったのか、いうようなことをですね、語り部とでもいいましょうかですね、みんなの前で、彼らの直接の言葉で語っていただければ、これからの日本社会を考える上で、大変役にたつだろうと思います。

そういった意味での、制度ということですね、死刑制度だけではなくて、裁判の制度そのものに、大きく疑問を投げかけております。

もう一つそれに加えたいんですけども、最近は、裁判員裁判ですね、これは高橋さんが最初に言ってくださったように、「公判前整理手続き」っていうのがあってですね、そこで争点だけが決められて、それに関わった内容だけが、裁判員に開示されて、法廷で審理されて・・・つまりですね、例えば、わたしに鑑定を頼まれて、書いたとしてもね、裁判員が読めるかどうかはわからないと。
実際、ぼくのケースであったのはですね、書いたんですが、届きませんでした。裁判員も裁判官も、読むことはできなかったんですね。これいらないんだ、という風な判断をですね、勝手になさるわけですね。もし、裁判員の方が、対等であるならば、読みたいという人がいたかもしれません。そういう人たちに、鑑定書を読めない、そういう制度っていうのも、どうかなっていう風に、思っております。

裁判員の負担を減らすという言葉は非常によく聞かれるわけですけども、確かに、負担は負担です。
ですから、制度そのものの見直しが必要なんだとおもいますけれども、ある以上は、ちゃんと、裁判員だからといって、負担だけではなくてですね、きちっと、序せるようになっていただきたいと思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「西田先生ありがとうございました。今お話しに出てきました、アンソニー・トゥーさん、毒物が専門でコロラド州立大学名誉教授でもあられます。ぜひよろしくお願い致します。」


トゥー博士:
はじめまして、私は、アメリカのコロラド州立大学の化学の教授です。今日は二つ、報告したいんですけれども、一つはですね、私は、法務省から特別に(死刑囚との)面接を許されてですね、今、面接を許されてるのはですね、二人なんですね、私と、先ほど誰かが申された、ダンジグですね、ダンジグは、今ではアメリカの海軍長官ですから、日本でいうと、日本の海軍大臣に相当するですね。
しかし、日本の法務省が許可にする理由は今、ワシントンDCでですね、テロ対策のシンクタンクを作るっていってて、それで、非常に活発にですね、オウム真理教が、なぜ、テロの段階に走ったかということを、非常に熱心に調べてると。ですから、ダンジグさんと、日本に十何回か来て、死刑囚と面接してですね、アメリカでも、英語で報告書が二回出されてます。日本でも翻訳されて、日本でも見れるはずです。

それで一つ、一番初めに話したいのはですね、私は中川智正死刑囚とですね、今までに8回面接したんですね、そして、明日また面接する予定なんですけど、中川さんが私にいうにはですね、「本当に、被害者に対して、また被害者の家族に対して、非常に悪かった」と。自分は、誤りをですね、裁判所で言うだけでも、裁判所は、聴く人が非常に限られてるから、「先生はいろんなところで講演するから、そういうところで、私に代わって被害者や、家族に対して非常に悪かった」ということを、伝えてくれ、って、それで今、忘れないように、お伝えしたいと思うんですね。

さっきも、西田先生がいうようにですね、今のところ、オウムの死刑囚の面接、二人しか許可になってないんですね。日本人は一人も許可になってないんですね。実際にはですね、日本の人にも、そういう機会を与えるべきだと、私は思うんですね、ダンジグさんも、私もですね、許可になった理由はですね、「テロを調べる」という面から日本政府から許可になってるんですね。で、私は、化学者なもんですから、面接してもですね、主に化学兵器・生物兵器のプログラムについて聞いてますね、私がその時に感じることはですね・・・今までに発表されたオウムの化学兵器・生物兵器のことはですね、かなりわかっとるんですけどね、わからないこともたくさんあるというのはね、それは日本の警察の制度によるんじゃないかと思うんです。なぜかっていうとですね、警察が調べるのはですね、犯罪と関係あったことだけ、調べるんですね、ですから、犯罪と関係ないことはですね、全然、調べないんです。だから、化学兵器・生物兵器についてですね、わからないことたくさんあるんですけども、私は個人的に、中川死刑囚からたくさん、いろんなことを教えてもらって、かなり分かるんですけども、そういうことは一般の人には全然、発表されてないからわからないんですよ。

それからもう一つはですね、日本の警察ではですね、犯人を尋問する時はですね、それ専門の警察官がいるんですよ。
ところが、日本の警察の中でもですね、実際に化学兵器・生物兵器のことをわかるのはですね、化学警察・・・研究者だけです。尋問する人はですね、そういう人たちはしないんです。ですから、犯人を尋問する係の警察の人が、まあ刑事が知らんけど、専門に聞かないのです。
ところが、オウムの地下鉄サリン事件とか、松本サリン事件というのは、化学なんですね。ところが、質問する人は、化学全然知らないんですよ。
それで、ペンと、紙を持ってきて、お前書けって、書かせてるわけです。ですから、聞かれないことは書かないわけです。ですから、まだまだですね、オウムのことで、知られないことがたくさんあると思うんですよ。でそういうのはですね、日本の方に機会を与えて、真実を明らかにするべきではないかと思うんです。

私はただ、化学兵器・生物兵器的な理に興味を持っておりますから、そっちの方しか聞かないんですけど、また、日本の方が聞く場合にですね、もっと広くいろんな点で調べることがあるのではないかと思うんですね。

それからもう一つはですね、ちょっと、死刑とは関係ないんですけども、(資料に)関連年表ってのがありますね、関連年表の、2ページの・・・とこに、9月・・・20日、江川さんの次のところに、「杜博士が、科警研に土壌からサリン残留物を検出する方法を伝えた」それからその次に、「警察当局が、第7サティアン付近の土を採取し、科警研が調べたところ、11月にサリン製造の際の複製物が検知され、松本サリン事件で現場に残留してる複精製物とほぼ一致したことが判明する」。
私が日本の警察をサポートしたのは、ココなんです。それで、おそらく日本ではですね、どういう風にして私が、日本の警察の手伝いしたか、知らないと思いますから、そこをちょっと簡単に、内幕の話をお伝えしたいです。特にですね、サリンというのはですね、毒ガスなもんですから、みんな空気と連想してしまいます。しかし、サリンてのは揮発性の強いもんですからね、すぐに調べれば見つかるんです。二、三時間経ったら、空気として消えてしまう。ところが、土壌、土ですね、土の方はですね、あらゆる毒ガスを吸収して、地面の中で、非常に安定した化合物になってしまうんです。

ですからその、安定した化合物を調べればですね、誰がサリンを作ったかとかわかるんです。そこをですね、日本の警察はですね、教えてくれっていうわけで、お手伝いし始めたんです。
ところが実際に、そういう分析をするのはですね、やはり、アメリカ本土でないと、そういう情報がないわけです。
私は、1980年以来ずっと、アメリカ政府の特捜事件をお手伝いしたんですけども、それは主にですね、それに対しての生物兵器、特性兵器ですね、それで私はですね、アメリカ陸軍の生物兵器の人たちはかなり知っとるんですけども、化学兵器のは、知らないんです。それで日本から、FAXがきてですね、手伝ってくれと言われた時にですね、「困ったなー」と思ったんですよ。サリンていうと化学兵器ですからね。

そうするとアメリカ陸軍の化学兵器を担当してる人に聞かなければわからないわけです。
それで、先にですね、生物兵器で、私の知ってる人に、電話して聞いたんです。
そしたら「化学兵器のことなら、誰々に聞いたらいい」と案をもらった。知らない人にですね、電話するの怖いんですよ、しかもアメリカ陸軍で、そんな、地面の中からサリンの分解物を検出するという方法を教えてくれなんて・・・非常に、怖かったですよ、聴くのがですね(笑)。ですけども、日本からの、警察のFAXはですね、「今日本が非常に困ってる」と、あの、「分析の方法を教えてくれ」ってありますからね、それで私はですね、アメリカの陸軍の、化学兵器の司令官にですね、「今日本で非常に困ってるから、お手伝いしていただけないか」と、勇気を出して聞いたんです。そしたらですね、その司令官がですね、教えれるかどうかは、今答えられないけども、みんなと相談してから、返事しますと、それで私は日本の警察にFAXを送ってですね、2週間経って、返事がない場合は、こちらからまたアメリカ陸軍に電話して聞くから、それまで待ってくれって言いました。
翌日大学に来たらですね、私のFAXの紙を動かしてるのが見えるんですよ、びっくりしたですよ、アメリカ陸軍から、分析方法を、バーっと送ってきてるんですよ。
びっくりしちゃってね、全部で32枚送ってきたんですよ。それですぐに、日本の警察にまずそのFAXを送ったんですよ。
私が日本の警察から、手伝ってくれと言われたのが1994年の、9月19日、それで、アメリカ陸軍に電話したのが、その日ですから、9月19日。でFAXをいただいたのは、9月の20日。ですぐに日本にそのFAXを送るからですね、ですから、日本の警察は、1994年の、9月21日、日にちがアメリカと1日、時差がありますから、日本の警察は、1994年の9月21日に、地面の中からサリンの分解物を検出する方法を知ったわけです。
それで、あのころはまだ、オウムは宗教法人ですからね、日本の警察も非常に遠慮してですね、公に、上九一色から土を持ってこれないから、警察がですね、農民のような格好をして、山草をとるというような格好をして、上九一色の土を持って帰って、東京に持ってきて分析したんです。そのサリンの分解物の、メチルホスホン酸というのが、出て来たと。だからここ(資料)に、11月に、「日本の警察が土からサリンの分解物を検出した」と。これでですね、日本の警察は、科学的証拠を得たわけです。私のお手伝いはここだけなんですね。
私はこれだけで、日本から勲章いただいて・・・私はこれで、終わりにします。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございました。それでは、引き続きまして、滝本太郎さんにお願いします。」


滝本弁護士:
滝本です。10分ほど、ということで、要領よく喋ります。
まず忘れないうちに、麻原の弁護団が、「麻原が宗教者である」「宗教だから事件をxxx(聞き取れず)」とか、今もそのニュアンスでおられたので驚きました。

宗教であることと、破壊的カルトであることはなんら矛盾しなくって、危なっかしい株式会社であることと同時におんなじように危なっかしい宗教があるし、宗教と殺人は多く結びついてる「宗教だから」という発想も「テロと結びつかなかった」ってのも驚きで、まさに「テロだった」っていうのはむしろ新實(智光)の弁護士がハッキリゆって、「内乱だから死刑は麻原だけに」と。内乱罪というのは、首謀者だけが死刑ですよと。麻原弁護団の話がそういう状況だったのは、今聴いても驚きました。
麻原裁判は、わたしから見ると実は理想的だったと思っています。麻原がみっともなく、ああいうアホな弁明をしたという。吉本隆明が期待したようにですね、「これは宗教殺人であって、ポアだ」と言ったらどうするのか、といったことを吉本氏は言ったんだけど、そういう期待はできなかったということです。

ただし、12人の弟子に至っては明らかに宗教殺人です。藤田先生が言われる全くその通りだと思います。
箇条書きで申すと、もう二十何年も経ったので、確認のためですけども、この事件は核兵器に匹敵する化学兵器サリンを無差別に大量に二度使われた、戦争だったということです。3月22日からのあれは、刑事捜査を使った代理戦であり、内乱だったと、実体としては、そういうもんだと、実質、自衛隊はあの日警官の格好をしていたんだと。自衛隊は、小銃の一発でも、またサリンの少しでも使われたら、治安出動もできるように準備もしていたわけで、内乱だったという認識でいます。

当時、ぼくもテレビでたり、いろいろしましたが、自分は心理捜査官だとメディアに言ってきました。主に現役信者相手だと、麻原さんに言ってた、心理捜査官だと自分は思っていたものです。

もう一つの特徴は、破壊的カルト団体においては、これは西田先生が言われた通り、本当に空中浮揚を信じてるんですよ、現役信者は。あのアホなわたしもできるんですが。本当に信じてる。それをわかってやってほしい。
事件の中の一つが、1994年5月9日滝本殺人未遂で、動機はわたしが脱会カウンセリングをしてきて30人くらい結局やめさせてきたと。それから、アホな空中浮揚をしてしまったというのは、麻原としては絶対許せなかったからという、極めてアホな動機です。
で、(滝本弁護士襲撃の)実行犯は麻原の愛人ですと。当時17歳の女性、出家して数ヶ月です。そのくらいの人でも、ポアするんだと思ってやったという、そこまでの、絶対者であるということ。麻原は絶対者であるということは別に犯罪だけの話じゃありません。尾籠な話ですが、女性信者にウンチをさせて、それを男性信者に食べさせてるんです、みんなの前で。いいですか、体はボディであって魂が大事だと、どんなに美人な人でも、けしてそれは人の本筋ではない、ということをお知らせするためにこうやっていい仲になった男女にそういうことをさせてるんです。もっとも女性も、麻原の毒牙にかかっちゃって、それに抵抗をしてない女性も多くいたわけです。
そこまでの絶対者だということを、認識していただきたいと思います。
さて死刑については、資料の11ページにオウム被害対策弁護団のものがありますので、ご参考にしてください。要は、麻原以外の12人は絶対的な麻原を信じてしまい、麻原の手足として(事件を)起こしたんだから、死刑にはしないでほしい、麻原は一方で死刑でいい、というものです。

こっから先は個人的な意見ですけどね、わたし自身は、強固な死刑存続論者です。麻原法廷でも堂々と述べてきました。死刑廃止論を言われる方は、「死刑の理由(井上薫・新潮社)」という本・・・多くの判決文の、死刑の理由なんですけど、それを整理した本なんですが、それさえも読んでいない。
意見がどういう実態だったか、自分が被害者・遺族になった気持ちになろうとした上で判断しようとしていないのが、非常に不満に思います。

麻原法廷では、後ろに、その娘らが、傍聴席にいる場で、やむなく、「あなたは死刑」と言ってきました。冤罪の可能性と、死刑執行の苦悩を考えるときには、死刑というものの制度を存続するかどうか、悩むものでありますけども、やはり、現世の責任は現世でとってもらわなければいけないものですから、もっとも大切な命を奪う刑罰というものの存続が必要だろうと思うわけです。

産まれながらの犯罪者はいないんです。だからこそ、煩悩、欲望を満たすために、多くの人をひっぱりこんで、ここまでのことをした。実は、(オウム事件は)起訴されてないのを含めて50人は死んでいる。これだけの事件を起こした麻原を死刑にしないでどうするのかと思ってはいます。

なお、受刑能力の点は先ほど小川原先生が言われた通り、今としてはわかりません。情報も入ってないし、専門家でもありません。麻原死刑にしても、今更神格化されることもありません。後追い自殺は数人あるかもしれませんが、その程度だろうと実は思ってます。残念なことですが、それはある。

それからずっと、(弟子)12人についても、死刑というかというふうに思われるかもしれませんが、そこはやっぱり違う。12人は坂本一家を殺し、またわたしを殺そうとした人たちです。だけども、やはり、脱会カウンセリングをし、また岡崎被告(ママ)、井上被告、早川被告にも会ってきましたが、早川なんてのは、宗教好きなただのおっちゃん、ほんとそう感じました。岡崎被告の頃は、まだ薬物は使われていませんでしたが、漆黒の闇の中に数十日間(岡崎氏によると50日を超えるとか)麻原のビデオを見せられて(岡崎氏によるとビデオは見ていない、他の信者にはあった)・・・

94年からの事件、これは、松本サリンのあとですけども、薬物宗教、LSD、覚せい剤で、さまざまな体験をしている。
カウンセリングも、この薬を使われた以降は非常に難しくなってきた感じがしています。その薬物の点は起訴は取り下げられてしまったので表に出てないのですが、途方もないLSDが押収されてるわけです。これ薬物宗教だったということ。(弟子たちは)マインドコントロールの結果手足となっていたということから、彼らはやるべきことを他にすべきだろう、と、言うべきことをやるべきだと思うわけです。

なお、実際は死刑執行すると、麻原が喜ぶことになるので、麻原にこれ以上殺されたくない、と思っているものです。実際早川に面会した時は、「生きてても同じなんです、早く死にたい」みたいなこと言ってて、「そう簡単には死なせないぞ」と言ってきました。
井上の高裁の裁判で出たので、「出てくれることをありがとう」っていうから、「ありがとうじゃないよ、あんたを簡単には死なせないよと、自然に死ぬまであなたにはじっくり考えてもらわなきゃいかんから、だから死なせないんだよ」と言ってきました。

死刑については、ちょっと申しますと、一審で終わっちゃって本人がいいってするのがけしからんので、国が人を殺すんですから、国の機能ではありますが、最高裁まで当然行くべきだと思ってます。
死刑執行は、立ち会った人もいますが、法務大臣以外にも立ち会うのが当たり前だと思っています。それから被害者らも希望する場合は立ち会わせてほしいと思います。

ただ、執行までの間でですね、特にオウムの男性信者は、現実感をまた失ってく。オウムではもともと、麻原への絶対服従もいけないんだけど、現実感がない。
映画の中にいるような感覚、あれが大いに問題なんで、生き物を飼わせるとか、ヒヤシンスを・・・冗談じゃなく本当にねえ、東京拘置所はひどいです。昔は緑が(独房の窓から)ちょっと見えたけど、今は全く見えない。あれが現実感覚をなくしていって、今も死刑囚の人で、宗教には逃げないはずなのに、やっぱり宗教の本ばっかり読み始めちゃうという。

現実感覚の重さがあったから、平田信も出てきたわけです。
2011年3月11日の東日本大震災だけではなく、あの年、10年間以上飼っていたうさぎが8月に亡くなったんです。うさぎと比較して本当に申し訳ないんですけど、やっぱり始めて飼ったいきものが・・・おなかの上で死んだんです。その重さ、それで彼は、現実感覚をとりもどし、かつ、愛し合っていた女性がいたことから、彼は出頭までに至った。

高橋克也と平田の大きな違いは、そこにあると思います。

もう一点だけ、松本死刑囚ですけども、法廷では、中島みゆきの「誕生」という歌を覚えてくださいと言ってきました。安田弁護士からは、「誰かに生まれ変わったら自ら言ってほしいですね」という尋問がございました。
97年の秋は、わたしは彼の元の家、金剛小学校というんですが、そのそばにある家を訪ねました。その(麻原の)弟さんからですね、「貧乏や、目が見えなかったことが原因だとは言わないでください」と。
つくづく言われました。他の兄弟はみんなまじめにやってるからです。親のせいだと言わないてくれと。そりゃそうだろうと思います。
だからこそ、自分の選択でもって、生まれながらの犯罪者じゃないから、死刑しかないと思っています。それに立ち会いたいとも、申してきております。

そして、最後に申すと、今日も、教団の現役信者が来てます。冗談じゃないと思います。ヒトラーを信仰するものが、ヒトラーの被害者らの集まり、その研究会に来るという状況と同じです。それは「聖無頓着」・・・オウム流の、心を閉ざし、感じないこと、その無頓着の実践のこととしてのことだと思います。自らを恥じなさいとつくづく思います。「麻原さん」と呼びましょう、と親御さんに言ってきたわたしとして、つくづく、恥を知りなさい、と思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「はい、ありがとうございました。」


2016年3月23日水曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑤

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武井弁護士「ありがとうございます。袴田事件の話が出ましたが、袴田さんに、実はわたしも、一昨日お目にかかったんですが、やはり長期の拘禁の後遺症みたいなものが残っておられるということで、やっぱり、今(小川原弁護士が)おっしゃったことは、実感を持って感じられるとこでもあります。さて江川さん、多少江川さんのおっしゃる問題に答える形として、今出てきたと思うんですが、最初に言い足りなかったことも含めて、お願いできますか。」


江川氏:
今、小川原さんが、「無期(懲役)が終身刑化しているけれども、それは運用ですぐ変わるかもしれない」ということをおっしゃられましたけれども、でもその、無期が終身刑化するってのは、30年以上経たないと出てこれなくなったってのは、刑法改正で、有期刑の最高が30年になった、そこからなんで、それが一番最大の理由なんですね。だから、やっぱ有期刑より重いのは、無期ですから、それは法律を変えない限り、そんな簡単に運用で変わるようなものではないんじゃないかな、という風には思います。

さっき、いい落としたことで津田寿美年死刑囚の裁判なんですけども、最初の判決後に「これは控訴しないでくれ」って言った裁判員が、その後やっぱり考えが少しずつ変わってきたようで、やっぱり「控訴してほしい」というようなことを、新聞記者に言ったようなんですね。だけどその時は期限がもう、超えているということで、やはりその、十年たっても、自分の判断は変わらないというようなですね、そういう判断を、あの短い期間に裁判員に求めるっつーのは、わたしはちょっと、どうなのかなーという風に思ってます。

先ほど、終身刑には反対だという風に申し上げましたのは、さっき小川さんがおっしゃったように、終身刑化してる人がいまいるんですが、もう半世紀以上刑務所入ってる人います。そういう人どういう人かっていうとですね・・・わたしがその時見たのは、戦後間もなくの、いろんな中で、事件を起こした人で、脳梅毒かなんかで、精神状態が非常に治療を要する状況になってですね、で、医療刑務所にいると。そうなってしまうと、仮釈放もできないので、ずーっといるという形になるっていうね。
で、その人たちがどういう状況にいるかというと、わたしは・・・その、ちょっとびっくりしたんですけど、非常に手厚いケアがされていました。昼間は陽の当たるところでできるだけリハビリをして・・・とかですね、そういうのを見てるうちに、だんだんこう複雑な気持ちになってきたんですね。
例えば今、高齢者でも、なかなか介護が難しくてですね、事件まで起きるような状況ですよね、そういう中で、終身刑ってのは、その終身刑にした人を、最後までその人の人権を守りつつですよ、医療も介護も含めて、国が税金をかけてやるっていう覚悟をみんなできるのかどうかってとこだと思うんです。さっきビデオの中でAさん(妹さんがサリン被害で重篤になり介護をしている男性)が、終身刑になった場合には、刑務所なりなんなりに入ってですね、税金で全部やるけども、妹さんの場合はどうなんだ、って話がありました。
実際に、そういう風になってる人が今、刑務所に行けばたくさんみられます。
もう・・・・医療・・・あるいは介護ですね、施されてる人が、たくさんいます。そこまでちゃんと見た上で、みんな終身刑って言ってるのかなってのが一つ。

それからもう一つは、わたしは、無期の人と、それから短期で出られる懲役囚を一緒にした刑務所の所長をやったことがある人から話を聞いたことがあるんですけれども、やっぱりその、無期はまだ仮釈放の希望が、わずかであってもあると。
それが、彼らを自制させているところがあるんだと、いう風に言ってました。ですから、仮釈放の希望がない人を、一緒に処遇するっていうことが刑務官としてできないという風に言ってました。例えばその人が見た場面では、短期の人がですね・・・もうすぐ出るって人が、無期の人にちょっと喧嘩になってですね、「お前なんか一生出られないんだ、俺なんかもうすぐ出るぞ」みたいなことを言って、手を出したらしいんですね。
だけど無期囚の人は、それを言われたり、殴られたりしても必死に耐えてると。それはなぜかっていうと、やり返したら、その人も懲罰になって、仮釈放が遠のくからです。
そういう風に、希望がちょっとでもあるってことが、なんとか刑務所の運営を維持させていると。それがない人たちを、我々は今と同じような状況の中で対応できない、という風に言っていました。
日頃、受刑者をですね、対応している人たちの話っていうのも、やっぱりちゃんと耳を傾けなきゃいけないんじゃないかなって思っています。
そういうこともあって、わたしは(終身刑に)反対だってことを言ったんですが、じゃあ死刑と無期の間に何もないのかっていったら、わたしはそうじゃないと思うんですね。それはわたしは、一つ考えるべきは、「執行猶予付きの死刑」という・・・これは、中国で実際に行われている制度なんですね。で、中国の刑法の、第48条ですね、死刑ということが書いてあって、まあ死刑っていうのは、非常に重い犯罪をした人に適用される、憲法ですか、ごめんなさい、憲法だと思います・・・ああ、刑法かな、ごめんなさい。

あのー、即刻死刑にしなきゃいけないというもの以外については、死刑の宣告と同時に、執行猶予2年をつけることができると。で、その2年の間の状況をみてですね、やっぱり執行するか、あるいは無期懲役や有期懲役の方へ移行するかってのを、その後また決めるっていう制度なんですね。
これは元々は、毛沢東がですね、政治犯をアメとムチでやるときにですね、導入した手法なんです。ただ今では、一般事件で随分適用されててですね、ひょっとしたら日本人でも、どっかの市議会議員が麻薬かなんかで向こうで捕まってですね、死刑が求刑されてて判決がズルズルズルズル伸びてるんですが、ひょっとして日本人で死刑の執行猶予第1号になるかもしれないそうですね。

そういう制度があって、死刑廃止で、最初の頃は、団藤(重光)さんって方がいらっしゃいましたよね。あの大物の方も、最初は興味をしめしたみたいなんですが、「なんだ毛沢東か」って、なんか嫌になっちゃったみたい(笑)で、もう全然支持されてないみたいですけども、元々はそうかもしれないけど、やっぱりその発想っていうものは、検討してもいいかなっと思うんですね。2年じゃなくても、例えば、5年間反省の態度をみて、もう一度刑を決め直すことができるとかですね、そういうものも、例えばその、時が経ってですね、関係者の気持ちが変わることもあるかもしれないって話もありましたし、さっきわたし申し上げたように、裁判員の気持ちが変わるかもしれない。

そういう時に、やっぱりもう一度見直しをする制度も考えてもいいかもしれない。あるいはもうこの人はすぐ執行しかないよねっていうのはあるかもしれないですけども、そういうような、死刑と無期の間に、執行猶予付き死刑を導入するとかですね、そういうようないろんなことを考えるっていうのは、必要かな、と思ってます。


武井弁護士「いよいよ江川さんの自説の『執行猶予付き死刑』の話まで飛び出してきて、団藤先生は実はわたしの大学一年の時に教わった先生なんですが、その流れで出てきて、もっと聞きたいんですが、残念ながら、15時半まであと15分しかありません。三人の方々にですね、五分くらいずつ、言いたいことを言っていただくということにしたいと思います。では、藤田さんからお願いします。」


藤田氏:
わたしだけその・・・小川原さんや江川さんと違って、浮いてるってのは十分承知していますが、わたしのせいもありますがやはりオウム事件ってのは非常な特異性があるっていう・・・それでそのオウム事件にこだわって発言しようとしてますので、そういうことになってるかなと。最後までそれで、いきます。

さっき話が出ました、豊田氏なんですが、豊田氏の最高裁の時にですね、弁護人さんの方が言ったことがあるんですね、それはですね、言い訳はとにかく彼はしなかったんですね。言い訳しないことについては、さっき高橋さんからもちょっとありましたけども。

だけど、その、弁護人さんは、言い訳をしない豊田の実態を知ってほしいということで、オウム真理教がもたらしたマインドコントロールに絡めてですね、死刑にしないで、きちっと実態を知ることが、恐怖の深さに、事態の深刻さに改めて直面することが可能になるんだ、ということですね、ですから、生きてる彼を直視して、彼に直面する言葉こそが、再度の悲劇を何としても防ぐことであって、極刑の回避を求める、っと言ったんですが、まあもちろん相手にされなかったんです。

もう一つは、最近、無期懲役になった杉本(繁郎)氏からもらった手紙なんですが、彼はずっと、自分はどうしてそんなこと言っちゃったんだろうってこと考え続けてるんですが、そこにあったのはですね、オウムで無自覚のうちにですね、死刑を・・・これは9ページにありますが、呪縛があったことが、逮捕後、麻原・教団から離れて、かつ情報等遮断した状態で、自分なりに考え続けたものの、21年の歳月を要した結果だ、というんですね。

やっぱりそういう時間が彼には必要だったってことだと。そうすると、オウム事件というものを、本当に教訓として我々が得ていくには、あのー・・・まあ今日おいでになってますけども、オウム真理教家族の会にが出してる「死刑執行回避を求める要請書」に書いてあることは、本当に、考え抜かれて、書かれた文章だと思っておりますので、死刑全般についていうのはちょっと差し控えますけども、オウムに関しては、これは必要だろうなあという風には考えております。以上です。

小川原弁護士:
わたしはですね、この場で発言の機会を与えていただけて、本当にありがたかったなぁという風に思っています。
やはり、こういう場で死刑賛成の人、反対の人、様々な立場で、意見交換をする、議論という必要もなくて、意見を交換し合うんだというのはすごく必要なことなんだという風に思っています。

さっき江川さんがおっしゃってた制度の問題なんですけども、重要なポイントが2つあったと思います。
一つは、コストの問題です。もう一つは処遇の問題です。終身刑を考えた時、コストが高すぎるんじゃないかという議論があります。でもこれに対しては、現在の死刑確定者の処遇ってのは、拘置所で単独処遇、刑務官がつきっきりですねほとんど。もう本当によく見守って、単独処遇で大変なんです。
これが、終身刑といった場合には、通常考えてられるのは普通の懲役囚とだいたい同じような集団の処遇になって、工場で働く機会も与えられることになるだろうと。そういう中で試算をするとですね、死刑確定者はすぐ執行してしまえと、そしたらカネがかからないだろうという、ある意味暴論を抜きにすればですね、やはり、執行までに長期間かかるんだということを前提にすれば、終身刑の方がコスト的には安くなるんだという議論もひとつあります。また、さっきちょっとお話したように、死刑確定者には国選弁護人がいません。制度としてつけることはできない。
でもこれも、アメリカだったら、「スーパーデュープロセス」死刑囚だからこそ手厚い、我々国民が、ある人を死刑にするんだと、その人の命を奪うんだと。その代わり、その相手に対しては公の費用で、弁護人からですね、鑑定する費用からいろいろ負担するんだという「スーパーデュープロセス」、日本でわたしも採用されるべきだと思うんですけども、そういう制度が採用になれば、死刑囚こそコストがかかるんです。
ですから、そういうコストの議論も、本来日本でもっともっとたくさんされるべきだし、じゃあ今どのくらいコストがかかってるのかについても情報が公開されるべきだったんだろうと思います。

それともう一つ処遇の問題です。日本では、終身刑は処遇困難だということはしょっちゅう聴かせられることです。でも、アメリカでは終身刑もやってるわけです。ヨーロッパでは、終身刑って制度は、まあ、イギリスなんかではいわゆる「タリフ」って言ったりですとか、柔らかな保安処分、といったですね、というのもあるんですけども、他の国で可能なことが、日本では「処遇困難」の一言で片付けられてしまう。なんでなんだ。
日本だけ特別な議論がされてる。
例えば、これは取り調べの現場でもそうです。
他の国だったら弁護士が立ち会って当たり前。でも日本じゃまるで考えられない。日本は特別なんです。日本の取り調べっていうのは、反省まで促すから、特別なんだとか素晴らしいんだとか、日本は独特なんだとか、議論があるんですけども、処遇に含めても、諸外国の例を参考にしながらですね、公の議論がされるべきなんだと思います。わたしは、今日この場ってのがですね、そういう公の議論につながっていく一歩になればいいなっていう風に思います。以上です。


江川氏:
今、小川原さんが「すぐに(死刑の)執行は暴論だ」という風におっしゃいましたけども、暴論じゃなくて、法律で決まってんですよね、6ヶ月って。その法律をほっといてですね、それを「けしからんけしからん」って言っててもしょうがないような気がするんです。やっぱりそういう法律面から、改正できるのかっていうことをきちっきちっとやっていかないと、やっぱりその・・・まぁ判決で、司法で決めたことは、きちっとそのー・・・行政の場で執行すると。
有期刑でも、無期刑でもですね。そういうのがやっぱり法治国家だと思うので、やっぱりその、旨一つで、死刑にしたり、それを回避したりってのは、やっぱりマズいと思うんですよね。そういう制度の問題としてどうするのかっていうのを、議論すべきかなあという風に思っています。

それとやっぱりいろんな問題の、よく真相解明っていう風にマスコミも言いますけども、司法で真相解明なんて、ハッキリ言ってムリだと思うんですね。
さっき藤田さんもおっしゃいましたけども、やっぱり、しばらく考え続けてようやくわかったってこともあるだろうと。でもそれは、その人がちゃんと考える人だったからなんですね。いくら時間をかけたってですね、全然ちゃんと考えない人もいるわけで。
そういう意味では、「こうすれば真相解明できるんだ」っていう絶対的な正解ってのはないと思うんですね。だけども、少しでも、まぁできるような形にしていくと、いう意味ではですね、やっぱりその、今、死刑囚となってる人たちの、アクセスですよね、それがまったくできないってのは、非常に問題で、例えば死刑囚の執行回避したとしてもですね、ただ中に閉じ込めておくだけでは、それこそ税金かかるだけで、なんの、ハッキリ言って役にも立たないっていうことになるわけですね。

じゃあ、自分たちがどうしてこういう風になったのかっていうのは、きちっと話せる人には話してもらうと。
わたしなんかはこれはもう、法務省の人に言ったら笑われましたけども、東京にたくさん、高校生とか修学旅行でくるんですね、で裁判所に見学にくる人もいます。わたしは東京拘置所に行ってですね、そこでオウムの人で死刑囚になったけれども、非常に反省していて、後悔している人に話を聞く会みたいなことをやったらどうかって思っているんですね。そうすると、やっぱり死を間際にした人がですね、「自分はなんで失敗したのか」ってことをいう、ってのは、非常に若い人たちに、心に残ると思うんですね。そういうことが、次のカルト事件を防ぐことにもなるんじゃないかと思うんです。

そういういわゆる死刑囚の活用ってのを、もうちょっとやったほうがいいんじゃないかと思うんですけども、ただ日本は、特に刑務官の負担が重いこともあってですね、刑務官のほうから、とにかく「心情の安定」・・・そっとしといて、なんの刺激も与えないでおいてほしいってのがすごく強くてですね、昨日か一昨日か、なんか判決が出ましたけれども、弁護士のほうから、刑場の写真か何かがちょっと出てるようなパンフレットか何かを差し入れたら、福岡の拘置所が認めなかったってことで、(死刑囚が)裁判をおこしたら、福岡地裁が「死刑囚と弁護人には、そういった資料の受け渡しは認めるべきだ」って、死刑囚側のほうが勝った判決がありました。
とにかくその、心情の安定っていう、ちょっとよくわかんない概念でですね、そういったアクセスがまったくできない、ために、藤田さんのような、ちゃんと取材して書ける人が、取材もできない、あるいはここにもテレビの方いらっしゃいますけども、そういう人たちがですね、本当に反省して、次世代のために、語ろうって人がいて、その人のことを映像で撮ってですね、それは本当にいい教材になると思うんですね。そういうことすらできないってのは、非常にもったいない話じゃないかなと、思うので、やっぱりその死刑囚に対する外部からのアクセスっていうのを、もう少しなんとかするっていうのを、死刑問題の一番最初の第一歩かなってわたしは思ってます。


武井弁護士「ありがとうございました。実は、このメンバーで打ち合わせをやったのですが、その時は大激論でですね、本番どうなっちゃうんだろうって思ってたんですけども(笑)今日はみなさん、遠慮がちにお話いただいたので、スムーズに、15時半に終われました。本当はもっとお話をいっぱい伺いたいのですが、なにしろこの難しいテーマで、しかも多種多様にわたる議論をしましたので、結論を出すというより、いろいろな問題定義を受けて、みなさんに考えていただくという趣旨ですので、ぜひまた、考えていただきたいと思います。今日は、江川さん、小川原さん、藤田さん、本当にお忙しい中ありがとうございました。」(拍手)


⑥へつづく。

この後は意見交換となります。

2016年3月22日火曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ④

発言の続きです。江川氏のご意見から始まります。
どのくらいの量からどういう風に書き起こしたら読みやすいのかさっぱりわからなくて、読みにくいかもしれないのですがすみません。すでにupしたものでも、誤字脱字などを見つけたらこっそり改訂する所存です。







江川氏:
今、お二方から話を聞いてて、すごく違和感を感じたのはですね、宗教だから裁判のやり方がどうなのかな〜というのは、違うと思うんです。宗教だろうがそうじゃないだろうが、やっぱりその裁判っていうのは、あるいはそのxx(聞き取れず)っていうのは、同じように適用されなきゃいけないんじゃないかと思うんですね。ただ、問題は、さっき言った心の支配の元というのを、全くその(訴訟)能力に取り入れなくていいのかどうかと、そういうことだと思うんです。

ただ、その意見の本質的な・・・まぁそのどこが本質的なのかは、いろいろ異なると思いますけども、例えばその藤田さんがおっしゃったような、宗教的なものっていうのが関連したければですね、わたしは裁判という場ではないと思うんですね。
裁判っていうのは、わたしは一番最初は、真実というか何が起きてこうなったのかということを全て解明する場だと思ってましたけれども、けして(裁判員制度適用)前のゆっくりな裁判であってもですね、そういうことが全部わかるわけではないし、そこを裁判所に求めても、それは違うんじゃないかなって思うんですね、それよりはむしろ、それだから再審というのではなくて、被告人に話を聞いて、それをきちっと発表できるってことが大事だと思うんです。

だから死刑囚が死刑が確定しちゃうと、ほとんどの人に会えなくなっちゃうんですね。そういう情報発信も、非常にしにくいという、そういう状況こそが問題であって、それが裁判のところにあんまり持ち込むんじゃないかなと、いう風に思っています。


藤田氏:
今の江川さんの意見に、賛成っていうか、それこそ言いたかった、その前提として喋ってたんですね。
というのはあのー、ぼくもはじめ、裁判が始まった時、これでいろいろわかるのかなーって思ってたら、新聞報道、テレビ見てて、宗教的なことってのは、全く出てこないってくらい出てこない。それでこりゃだめだと思って、自分で傍聴行くようになったんですけども、やっぱり司法ってのは、具体的に、個別の犯罪でどうかこうかってやることですが、それでは全く・・・あのー、(真相が)解明できないってのはよくわかりましたし、またそういう場でもないってことも、わかりました。
それだったらどうするかっていったら、やはり他の場でやるべきなんです。やるべきだったんです。

これはアメリカと比べてですね、アメリカはオウム事件起こった時、テロ事件として扱ってですね、こりゃ大変だなっていう風に、するっと認識するわけですね。それで、いつまでもやめないわけですよ。はじめアメリカのオウムの信者を呼び出して聞いたりしたんですけども・・・これは中川(智正)氏と面会できてた時ですから、中川氏の死刑確定前なんですが、中川氏が「アメリカからダンジングっていう、海軍の人が来たよ」って(笑)なんじゃいって。
そしたら、その人アメリカ海軍の高等軍人なんですが、テロ関係の政府の機関の人間だったんですね。それから、去年のこの集会にお出になったアンソニー・トゥーさんとかですね。今もやってるかどうか知らないですけどね(笑)
それだけ重大問題として捉えて、調べたんですね。
日本は、裁判以外でそういう機関を持って調べようっていう意見もなんにもなかった。
ぼくはそういう風に思ってますけど、そういう具体的なことにならなかったことに、非常にあの、ごく一部しか、彼らを突き動かした「強烈な力」というものを、解明できなかったという風に、ぼくは思ってます。そういう意味では、江川さんのおっしゃる通り、ということです。


武井弁護士「ありがとうございます。わたしもオウム真理教信者の弁護やったことありますが、確かにできるだけ宗教に関する問題もやりたかったんですが、マインドコントロールという限りでは騒ぎがありましたけど、なかなかそれ以上はできないという、限界を感じてたのは確かですね。
今日、小川原さんから、死刑のことはいいづらいかもしれませんが、もうちょっと踏み込んでもいいと思うんで、お願いできますか。 」


小川原弁護士:
はい、今日は随分遠慮してんだなって(笑)言われてしまうんですけども、あの、江川さんがおっしゃるように、死刑の問題ってのは存廃の議論だけにしちゃいけないと思ってる。これは終身刑についても同じで、終身刑も単純に賛成・反対の議論にしちゃいけない。そういう風に思います。
もっともっと多様なもの・・・という風に思っています。

その中で日本の刑罰ってどうなってるんだろう、っていう風に、現状を見ていけばですね、死刑と無期(懲役)刑があって、無期刑ってのはご承知だと思いますけども、条文の上でいえば、10年を過ぎると仮釈放可能になるという風になっていて、現在正確な数はよくわからないけど、1,800人ぐらいだったでしょうか、無期刑の人たちがいます。
死刑確定者の人たちの数は、126、7人になってるんでしょうか、こないだも一人確定したかと思います。あの・・・じゃあ無期刑の人たち、10年過ぎて仮釈放可能になってるのかっていうと、現実にはそうではなくてですね・・・あのー・・・年間数人が、まぁ仮釈放可能と。ですから、それ以上の数の人たちが、獄中で死亡しているわけです。

仮釈放になった人たちの平均的な収容年数を見ても、三十数年になってしまっている、っていうのが現状だと思います。ですから、50年60年と仮釈放にならない、そのまま刑務所の中で亡くなる人も多い。そういうのも、無期刑が事実上終身刑化してるんだという風に言われてるわけです。

一方では、もうすでに事実上(無期刑が)終身化したんだから、終身刑を導入する議論なんかいらないんだという言い方をする人たちもいるわけです。でもわたしはそうじゃないという風に思います。

二点、違ってるんだなと思ってるのはですね、事実上終身刑化していいわけじゃない。無期刑を言い渡された人の中にも、例えば深く反省してるだとか、受け入れ可能であるとか、被害者もそれを認容してるとか、そういう人たちもいるわけですから、わたしは無期刑を言い渡された人についても、ある段階で仮釈放を積極的に活用すべきだという風には思っています。そういった意味では、現在の無期刑の運用ってのは、間違ってるんだと思います。
それともう一つは、例えば裁判の法廷でですね、死刑か、仮釈放のある無期刑かっていうのを選択肢になってきたときに、事実上無期刑は終身刑化してるんですよと言っても、運用によってまた変わり得てしまう。そういう中では実際に刑罰の選択肢としては、裁判員裁判の中でも、「死刑か、仮釈放のある無期刑か」その二つしかないわけです。

わたしは、多様な刑罰の選択肢があっていい、その中には、仮釈放のない終身刑という選択肢も議論の中にはあり得ていいんじゃないか、という風に思っています。
ただこの仮釈放なり終身刑ってのは、単純にずっと閉じ込められたままでいくもんなのかっていうのかというと、諸外国を見ると必ずしもそうではありません。
わたしも、アメリカの制度を見たり、イギリスとかフランスとか他の国の制度を見たりしてるんですけども、例えば、10なん年とか、20なん年経ったら再審の機会はあるけども、収容まで延長されてしまう人たちも数多くいる。実際外に出てくるのは、極めて難しいわけなんですけども、死刑と、やはりそれに変わりうる代替刑としての終身刑というのは、わたしは、公の議論をすべき問題だなと思うんですね。
世論調査で決めるんじゃなくて、法務省とか、国会の場でですね、諸外国の制度も含めて検討すべきなんだ。日本の死刑制度について、検討すべき点はさまざまにあると思います。

一つは、やはり再審の制度が十分じゃないということも、視野に入れて考える必要があると思います。袴田事件が、まさに端的なケースとして現れてると思いますけども、再審の制度が、ものすごく時間ばかりかかってしまうと。そういう中で、死刑確定者としての収容が長引いて、そこの中で精神的な負担というのがすごく大きい。
それを支える弁護人、国選の制度がありませんから、全く手弁当で何十年もやるしかない。そういう弁護人に巡り会える死刑確定者っていうのは、少ないんだろうと思います。さっきちょっとわたし言いましたけども、争いたいと思ってる死刑確定者ってのはたくさんいると思うんです。でも、諦めてしまってる人がほとんどで、それを弁護士が支えるといったら、お金が全然出ない中で、自分の家族や事務所の維持やら、そういう中で、弁護士がやるとなると・・・そういう弁護士に期待せざるをえないような、そういう制度がやっぱり検討されるべきなんだろうなという風に思います。

それと、現在の死刑の執行の方法、さっきちょっと出たかと思いますけども、当日の朝、言われるだけです。これがアメリカだったら数ヶ月前に公表されて、インターネットで公開されてます。ですから、執行される前に、自分のご家族とか会いたい人に会って、別れを告げることができます。その前の日には、自分の食べたいものを希望できたり、なにを喋ってなにを食べたかまで公表されてるんですね。

でも日本じゃ全くわからない。そういう中で、もちろん弁護士に相談することもできないわけですから、死刑の執行が行われてしまう。
そういう制度でいいのかとか・・・日本の、あと執行の制度は絞首刑という制度なんですけども、これも明治の頃に当時の先進国だったイギリスから、「苦痛のない執行の制度なんだ」という風に言われてきたんですけども、実際、他の裁判などいろんな形で明らかになってるんですけども、死刑の執行に絞首刑というのは、実際は相当な苦痛を伴ってるんじゃないかと。先進国の中では、例えばアメリカなら「絞首刑は残酷だ」ということで電気椅子になったり、電気椅子はやはり弊害が多いということで、薬物になったり、で薬物の中でも、その薬物を・・・様々な問題があって、裁判の中で争われる。日本でも、死刑の執行のやりかた、ありかたが、さっきちょっと言いましたけども、マスコミの方がですね、現場で見て、国民に伝えることによって、残虐な刑かどうか判断されるべきなんじゃないか。
日本でも、明治の頃は、新聞記者が死刑執行の場に立ち会ったりしてました。それが日本では、今はもう立ち会うなんてとんでもないなんていう話になってしまってるんですけども。

さっきちょっと高橋さんのお話にもあったと思うんですが、死刑確定者というのは、例えば法廷に呼ばれてきても、遮蔽されて見えないようになってたみたいですね。
日本の社会では、死刑確定者は生きてたって死んだのと同じように見えなくされている
「麻原さんってもう死んでるんじゃないの?」ってよく聞かれることもあるわけです。麻原さんだけじゃなくて、120数名の死刑確定者が、日本国内に生きてる、だけどみんなに見えないようにされてる。そういう中で、制度全体について議論をされないまま、裁判員裁判で、死刑の執行を決断させられてるという風になってると思いますから、わたしは公の場でたくさん議論されるべきだという風に考えるわけです。
以上です。


2016年3月21日月曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオ ウム事件を考えるー ③

更新が滞ってすみません。引き続き発言者からの発言です。
小川原弁護士から、オウム死刑囚はもっと言いたいことがあるはずで、再審請求をたくさんするべきだ、一方藤田氏からも、宗教的な事由を、裁判でもっと明らかにすべきだという発言がされました。
書き取り、今週中には全て終わらせたいと思っています。



①はこちら
②はこちら



武井弁護士「ありがとうございました。いや別に、長くなくて予定通りなんですよね。他のお二人がはやめに終わったところでね(笑)。江川さんからいろいろ多岐にわたるお話がありましたが、こっからは、あの、かみ合うようなことを考えながらお話を進めていただきたいのですが、あのー、今、江川さんから、問題定義があって、非常に積極的なお話だったと思うんですが、小川原さんがあのー、ちょっと遠慮がちだったんで、もうちょっと踏み込んで、いいと思うんで、お話いただけますか。」


小川原弁護士
はい(笑)、あのー、遠慮がちだったかもしれないんですけど、わたしは、麻原さんに対する死刑の執行に反対なんですね。
それは、さっき申し上げたような、死刑の執行が反対だということも、もちろんあるんですけども、それだけではなくてですね、わたしが弁護人として関わってきた中でですね、わたし自身が、あれを本当はやるべきだったんじゃないかなと、思って、やらずに終わってしまっていることもあるわけです。それは彼(麻原)の、責任能力とか、心神喪失とか、そういったことに関わる事柄なんですね。

わたしは、何度も何度も麻原さんに接見をしてました。で、すごく饒舌な方だし、宗教的なお話もたくさんされた。ところが、彼はある段階で変わるんですね。どこで変わったのかといえば、あのー、井上(嘉浩)さん、が、証人として出てくる場面がありました。彼は私たちに、弁護団・・・我々からすると井上さんという人は、我々に事前に開示されたところでは、麻原さんが(事件の)指示を(したという)裏付ける情報の証言をしそうだと。
そういう証人でしたから、我々弁護団としたら当然、反対尋問をすると。事実に関して、細かいところを含めてですね、あのー、尋問するんだというふうに考えていました。ところが、麻原さんは、反対尋問をすることに反対で、(井上さんに)尋問しないでほしいと言うんです。麻原さんからすると、井上さんという人は、宗教的な魂が高い、という状態の人で、その人に対して、法廷でいろいろな批判的な尋問をすべきではないと、思っているようでした。
「そこで尋問すれば麻原弁護団のみなさんに対しても・・・」その、なにか・・・どういう罰が下るのか、よくわかりませんけども、とにかく「罰がありうる」みたいなことまでおっしゃっています。でも、我々は、罰が来ようが来なかろうがですね、尋問をするんだ、と。ということでですね、麻原さんの意向に従わなかったんです。

今、それで本当によかったのかどうか・・・弁護団として、よかったのかどうか・・・ひとつ、自分では疑問を感じているところなんですけども、結局、反対尋問しました。
その際、井上さんが法廷で、麻原さんに対して批判的なことを述べていた。それをきいた麻原さんが、わたしの目から見ると、すごく動揺してたように見えました。わたしは、麻原さんっていう人は、「宗教者」なんだと・・・いう風に理解してるんですけども、その彼が人間として動揺してるように見えたんです。

それから、接見をまた重ねていくわけですが、接見の意思疎通がだんだんうまくできなくなっていく・・・で彼は結局、法廷で意見陳述の時には、弁護団で予想もしないような英語でしゃべり始めたりとか、わたしもすごく驚きましたし、その後も、接見を繰り返しましたけども、充分な意思疎通ができない中で、どんどん裁判の経過が過ぎていってですね、わたしは、やっぱりそういう中で、麻原さんっていう人が・・・その、まあ拘禁反応を起こしてるのかもしれない・・・で、えー・・・訴訟を遂行するだけの能力があるのかどうか、疑問に思いました。

わたしは、弁護団の中では、「精神鑑定やるべきなんじゃないか」という立場です。
だけども、弁護団の中では、詐病の可能性だってあるだろうという人だっています。弁護団は12人いたんですけども、もう本当にさまざまな、国選弁護人が、急に集められたわけですから、東京弁護士会、第一東京、第二東京から、三つの弁護士会から四人ずつ、急に集められて、みんな刑事弁護は随分やっている方でしたけども、さまざまな考え方の違いがあって。
あのー・・・麻原さんについても、精神鑑定やるべきだとかやらせるべきではないっていう、そういう人もですね、さまざまにいてですね、結局、責任能力を争点とすることはなかったし、精神鑑定をすることもなかったわけです。だけども、わたしの個人としての見方では、麻原さんて人は、その(井上さんが証人に立った)時に相当、精神的なショックを受けていて、詐病ではないと、いう風にわたしは感じました。精神鑑定もするべきだと、責任能力もあらそうべきだとも思ったわけですけども、結局まあ弁護団の中で通らなくて。

で、一審の、死刑判決が出て、控訴審で、争うかなと思ってたんだけども、結局、控訴審で争うことはなかった。
今、それからまあ、時間も過ぎたわけなんですが、わたしは、今の時点で麻原さんという人については、刑事訴訟法にあるんですけども、心神喪失の人に対しては死刑の執行を・・・まぁ、しないと。法務大臣の命で死刑の執行を停止するんだと、いう法律があることはあるんですね。

で、ここで言われる心神喪失というのは、いわゆる、責任能力とは違う問題です。「刑事事件の被告人の責任能力」と言って、心神喪失と言ってるのは、地理・面識とか、いろんなことを判断できるとか、行動を制御する能力があるだろうか、そういう意味での責任能力・心神喪失の問題なんですけれども、そうではなくて、刑の執行全体の心神喪失とは、「受刑能力」。「刑罰としての執行を受けるんだ」ということがわかっている人でなければ、死刑を執行する意味はないわけです。
何をされてるのかわからない人に対して、刑罰を執行するのは意味があるのかと。わたしは、麻原さんという人は、どんな刑罰を執行されようとしているのか、判断する能力がないんじゃないか。そういう意味で心神喪失の疑いがあるんじゃないかと、思っているんですけども。刑事訴訟法の条文があるんです。法務大臣が規定することができる・・・でも誰がどういう形で裁判の場で争えるのか。そういう定めがないですね。

わたしは日本の刑事訴訟法や司法手続きに、多くの問題があると思ってるんですけども。争い手続きが、よくわからない状態なんだなという風に、思っているわけです。

それが一つと、それともう一つ先ほどから、江川さんの方からも・・・執行を先延ばしするためだけの再審請求があるんじゃないかって、いうご意見があるんですけども、わたしは、手続き的にさまざまな問題があると思っているんですね、一審でも十分に争えなかった、控訴審でも争えなかった、まして、捜査段階では争いたくても、自分ではできなかった。そういう問題点がたくさんあると思うんです。
なんで争わないのか、それは(被告が)諦めてしまってるからなんです。「弁護人も信用できない。裁判官はいくらいっても聞いてくれなかった。」っていう・・・誰でもだと思いますけども、いろんな思い、いろんな生い立ちがあるわけです。それは、刑事手続のいろんな段階で、それぞれに反映されるべきだと思ってるんですけども、それをちゃんと聞いてくれる弁護人がいなかった。

それがたまたまですね、全部確定したあとになって、まだ言いたいという・・・大概の場合は、「もう遅いよ」という風になっちゃうんですけど、中に、まあ一部弁護士がですね、「それでもやる」という弁護士だっているわけで、それがですね、「いたずらな引き伸ばし」とか、言われるかもしれませんけども、わたしは、そうではなくて、あらゆる点が、刑罰制度としての死刑執行については、あらゆる点が、争われていいんだと、それはいつの時代でもいいんだと。
今の刑罰程度では、確定してしまえば、争うことができない。制度上はそうなってしまうこともあるんですけど、ただ、今の日本の死刑制度、今、刑罰制度、死刑制度にはたくさんの問題点があって、まぁ・・・いくらでも争っていいんだと、いう風にわたしは思って、いるんですけれども。

ちょっと話を戻すと、麻原さんについてもですね、死刑を執行するということについては、さまざまな法制度上の問題があって、争えていいんだという風に、思ってるわけです。以上です。


武井弁護士「ありがとうございました。ここで、制度の問題ということで、あるいはちょっと、宗教の問題で、悩んだんですけどが、今も、麻原に死刑を執行すべきだと、それとも返すべきだという点を含めてですね、麻原のことを含めてですね、藤田さんの方から、宗教的な関係から、この点についてコメントいただけますか。」


藤田氏
今の・・・小川原さんの、最後の話に少し重なると思うんですが、ストレートに被害者の方の要望では・・・言えないですね・・・

えっと、先ほどもですが、土谷氏なんですけども、実は、土谷氏、つかまったあとにですね、松本サリンでのこと(自分の作ったサリンが使われたということ)を初めて知ったと、彼はいうんですね。
それで、非常にショックを受けて、もう許されないと思って、検事が出した調書に、署名捺印しちゃったという、彼は、わたしが会った頃には、死刑確定直前にですね、あるいは作文をしてきたのに、そのショックでもって署名捺印したんだけど、その調書には「土谷ってのは事件前からオウムの犯行だって知ってた」ってなことが書いてあったんですよ。
でそれをやった検事さんは、厚生省の村木事件のxx氏と聞きました。それでですね、彼(土谷氏)はそんなにふかーく・・・実は、オウム人間になってなかったってのが、そこでわかるんですけれども。

だけど恐ろしいことにですね、公判前日に、突然、彼は、上方から透明な光・・・白銀光が放ち・・・光り輝いてる中にですね、麻原が現れるのを見るんですよ。それで、有名な発言ですね。土谷氏は自らのことを「麻原尊師の直弟子です」というんですけども。
そうした一種の異様な体験っていうのに続いて、彼流の、非常に乱暴な裁判になったんですね。

そういうので見るとですね、他にも、今の麻原氏の、井上証人の話も出たんですけど、わたしは元々、カルトの取材してて、同じ経緯で1995年にxx県のxx市で、女性祈祷師に6人殺された事件、法的には三人が殺人でその他の場合は殺人になってないんですけど、いずれにしても、祈祷に招かれてる時に殺されちゃった、それ非常に強い宗教性があるんですが、一切検察は認めないし、あれは宗教事件とみたら、そうじゃないんだと言って、判決もそうなっちゃったんですが、そういうのみててですね、宗教事件っていう風に捉えるとわけわかんなくなるんだなーと、感じまして、そしたら、土谷氏の私選弁護人を務めた弁護士さんが、集団は教祖に対する世俗とは全く異なる隷属の実態があるんだから、それを直視しなければならないから、刑法の解釈を新たに構築すべきだ、というようなことをおっしゃってたんですね。

それはオウムの一連の事件を傍聴してて、少なくとも思ったことなんです。今からはどうしようもないのかもしれないのですが、小川原先生のお話を聞くと、そういうこと(宗教的な観点から)で言いたいオウムの死刑囚が何人もいる、ということです。

ですから、早川(紀代秀)が・・・彼は直接地下鉄サリン事件には、罪は問われてなかったんですが、早川氏はサリン工場作る時の、建設省の責任者でもありましたし、それからサリンを70t作った時の(保管用)倉庫がですね、第9サティアンか第10サティアンを作っていたりするんですね。それは、罪に問われてはいないですが、そういう風にやってる男なんですよ。

で、彼が収監される前に会って、どういう風に言ったかというと、要するに(宗教的な動機は)何もかも却下されて、最後まで理解されなかったと。何を理解されなかったかというと、彼ははじめっからですね、一審から懸命に、「事件は麻原氏の宗教的動機に寄るもので、我々はそれに従ったんだ」ということですけども、そういうこと一切、(裁判では)認めなかったですよ。

要するに事件の宗教的背景ですね、「グルと弟子の関係」っていった本質が、認められなかった。
彼は死刑になったこと自体は不満ではなくて、そっちが不満なわけです。
裁判の中で、唯一例外的だったのが、新實(智光)氏の、高裁判決のときにですね、判決でこういう風に言ったんですね。 「オウム真理教は宗教の皮を被った凶悪テロ集団にすぎない、だけれども、そういう風に事件を矮小化して見ても、普通の善良だった青年が、なぜこのような犯罪を犯してしまったのかは解けなかった、何も答えることができないんだ」という風なことを言って、結局分からなかったということが、確かに(判決文に)書いてあるのでした。

それで、結論としては死刑なんですけれども、そういう風な疑問を呈した判決あるいは裁判官っていうのは、ぼくはそれ一つだけしか知りません。オウムの死刑判決でですね、そういうところなんで、オウムの場合、再審して、そこの宗教性のところを明らかにしないと、本質はわからない、というのは、ぼくの考えは以前と変わらないですね。とりあえず、そういうとこで。


2016年3月17日木曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ②


①はこちら。

今日は、三人の発言者のはじめの発言を更新します。

読みやすいように、多少編集したこと、改行などを加えたことをご容赦ください。


武井弁護士「それでは、これから討論に入っていきたいと思います。ご発言される方は、ジャーナリストの江川紹子さん、そして弁護士の小川原優之さん、それから、フォトジャーナリストの藤田 庄 市さんです。どうぞ前のほうにおいでください。
それでは、早速始めたいと思います。このパネルディスカッションみたいに並んでますが、必ずしもパネルディスカッションみたいに統一したテーマについて議論しようという風に、きちっと決めたわけではないので、まあパネルディスカッション風の、発言という風にお聞きいただければと思います。わたしのほうで、引き続き司会進行を務めますが・・・必ずしも順番も決まってないので、ちょっとあの、なかなか、活発な方がご発言されるので、まあ、冷静沈着に、進行していきたいと思います。で、まず最初にですね、日弁連で、死刑廃止決定委員会の事務局長もされていますし、今年の人権大会の事務局長もされているという、弁護士の小川原優之さんの方からお願いいたします。」



小川原弁護士
今、ご紹介をいただいた小川原といいます。
わたしはですね、地下鉄サリン事件の関係で言えばですね、麻原さんの、国選の弁護人をしておりました。

それ以外にでもですね、何人かの死刑確定者の再審請求の弁護人もしておりまして、この間、そういう方たちの中にはですね、無実を主張されている方もいれば、そうではなくて、自分でやったということを認めている方もいらっしゃった。
で、それまで、法廷がほとんどですけども、被害者、ご遺族のお話を聞く機会がたくさんありました。またそれ以外にでもですね、「あすの会」という、被害者のみなさんの会がありまして、そこもやはり、死刑に関するシンポジウムをされてるんですけども、わたしのところにですね、「小川原さん、あなたは死刑に反対をしている」と、「だったら被害者の声をもっと聞くべきだろう」と、いうご案内をいただくもんですから、「あすの会」のシンポジウムにも行って、被害者の声をお聞きする機会が、それまで数回ありました。

自分で、弁護人をしていてですね、あの・・・法廷でもそうなんですけれども、意見を述べなければいけないと、いう場面はいくつも、これまでもありましたし、ちゃんと自分が弁護人としての職責を果たせたかどうか、あの、疑問はあるんですけども、そのこととはまた別にしてですね、被害者のご遺族の方が死刑を望まれる・・・その時にわたしが、どういう風に感じてきたかということも、ちょっとお話をしたいと思います。でわたしのレジュメというのが、配っていただいている(資料の)6ページに入っています。

わたしは、その、被害者のご遺族が、死刑を望んだとしてもですね、まあ、すごく自然な感情なんだという風に思います。
それと、被害者のご遺族が第三者からですね、許すことを求められるとか、許すべきだとかですね、そういう形で話をされる必要はないんだと、まぁそういう形で話をすること自体、ご遺族の方にとっては、相当苦痛なんだろうと。なんかあたかも、「許すべきなのに許さないあなたがおかしい」みたいな、そういう形で求められたらそれは、求められること自体が苦痛だろうし。被害者のご遺族の方が、その死刑廃止論者と話をすること自体が嫌だと、いうことを、おっしゃる方もいらっしゃってですね、ああそうかもしれないなという、気がします。
ただそのこととですね、被害者のご遺族が第三者からですね、「あなたは被害にあってる方の遺族・家族なんだから、死刑を望むべきなんだ」という風にいわれるのも、それもまた違うんじゃないかという風に感じます。被害にあわれた方のご遺族は、時間の経過とともに、様々に変わっていくんだな・・・いろんなことをお考えになると思うし、裁判を傍聴する中で意見が変わることもあるんだなっていうことも、わたし自身も、見聞きしてきました。時間の経過の中で、被害者のご遺族といっても変わるわけです。ですから、やはり第三者から、「死刑を望むべきだ」とか、そういう風に言われるべきではない、まして、それは、マスコミも含めて、被害者支援の弁護士も含めてですけど、被害者のご遺族に、「死刑を望むべきなんだ」と、そういう風に言うべきではないという風に、思います。

わたしは、「許さない」けれども、「死刑は望まないんだ」というような、あり方というのも、あり得るんじゃないかなという風に思います。やはりその、加害者自身も人間ですし、時間の経過の中で、だんだん変わっていくんだと、いうことを、わたし自身も自分の経験の中で感じてきたこと、なわけです。

わたしのレジュメに、日弁連の立場が書いてありまして、先ほどあの、宇都宮先生が日弁連にちょうどいらっしゃったときの宣言とかなんですけども・・・ご遺族としては、死刑を望む感情は自然なものだと思いますし、許すということを求めているわけではないんですけれども、やはり制度としての死刑、それについては、冷静な、全社会的議論が必要なんだと。

よく世論調査の結果が重視されてるんですけれども、わたしはこれは、世論で決めることではなくて、むしろ「公論」公の議論の結果で決めていくんだ、と思います。日本では世論調査の結果で言われていることが、公論を妨げている。国会や法務省で、公の議論をするんだと、しない口実に世論調査の結果が使われてるわけです。
ですからわたしは、死刑の問題については、世論に寄るべきではなくて、公論に寄るべきなんだという風に思います。

その公論をする際には、情報がたくさん必要です。わたしはマスコミの方から「どう考えてるんだ」とか、いろいろ取材を受けるんですけれども、日弁連の立場についても取材を受けるんですけれども、むしろ、わたしはマスコミの方に、わたしの方から求めたいこともあるわけです。情報の公開が必要だとか、死刑についての議論が必要だと、マスコミの方もそういうんです。だったらあなたが、法務省で「死刑の現場に立ち会わせろ」と、言うべきです。
アメリカだったら当たり前です。
なんで日本のジャーナリストはそこまで求めないのか。死刑が残虐か残虐じゃないか、ご自分の目で見て、で、我々国民に問いかけたらいいじゃないか。そういう風にわたしは、マスコミの方に対して、思うわけです。

日弁連は、死刑廃止について、日弁連っていうのは死刑存置の立場の方もたくさんいらっしゃるから、あの・・・死刑のない社会が望ましい、という前提ではありますけれども、「死刑廃止について、議論をしましょう」と、で今日三種類のパンフレットをお配りしてるんですけども、いろいろ書いてありますのでね、疑問があれば、いろいろわたしに聞いていただいてもいいし、日弁連に聞いていただいても。

もう一つレジュメの6ページの3に、「テロと刑罰の限界」ということも書きました。これも、わたし自身は麻原さんの弁護をしてた時に、「これはテロ事件なんだ」という理解をしてませんでした。わたしはそういう理解はなかったんです。ま、その場でわたしにとっては、自分の記録を読みながら弁護するだけで精一杯で、あの・・・政治的な意図に基づくテロなんだ、という捉え方まで、わたし自身できませんでした。

その時に、まぁ、その後いろんな議論があったと思うんですけども、ただ今、わたしが感じていること、オウム真理教のこの事件が、政治的な背景があって、意図があって、その政治的な権力を奪取するための、暴力的な手段なんだという風に捉えるべきかどうなのかも、よくわかっていないんですけども、ただ、刑罰で対応するには限界がある。あのー、書きましたけども、ノルウェーで、連続テロ事件がありました。その時に、ノルウェーの首相は「死刑は望まないんだ」ということを発言されます。

一方ですね、今年・・・前からそうですけども、イスラム教徒の政治犯のさまざまなテロ行為があって、刑罰の対応ってのは本当にいいのかどうか、それは、疑問なんです。刑罰での対応は限界があるんじゃないか、いう風に感じています。

わたしは、麻原さんを含めてですね、死刑は望ましくないという風に思います。以上です。


武井弁護士「ありがとうございました。それでは続いて、藤田さんの方からお願いしますか。藤田さんは、宗教関係の取材を多くされているので、そういう観点からのお話をお願いしたいと思います。よろしくお願い致します。」


藤田庄市氏
あのー、まあ、わたし・・・宗教が好きでして、宗教取材を続けています。でその、柱のひとつとして、オウム・カルトの取材というのがあるのですが、あのー、特にこのオウムに関して言えばですね、(レジュメの)はじめにの1ですね、オウム真理教、オウム真理教事件の、その内在的論理とですね、事件の有機的結合についての解明をしたいと、そういう思いをずっと持っています。
ですから、わたしにしてみれば、オウム真理教事件の根幹を究明したいんだということであります。

もちろんその、いかなる酷い行為をしたということもあります。であの、いろいろレジュメには書いたんですけども、時間もありますので、飛ばしながらいきますけども、まず、オウム事件の特異性ということについては、そこに書いてあるとおりです。

・・・その、宗教集団が起こしたんだと。「あれは宗教集団じゃない」って意見もあるようですけれども・・・それは存じてますが、宗教集団が起こした未曾有の無差別大量殺人事件であって、オウム真理教の信者っていうのは心身ともに・・・ただし、中に入っても気づかないという、これはカルト特有の・・・えー・・・信者さんの心理法ですね。

それから、事件の根幹はですね、世俗的動機である、裁判では圧倒的に世俗的動機を挙げますが、あのー、検察、それから判決ですね、(自分は)宗教的世界観である、宗教的動機であったり、やってる当人たちは宗教的確信に基づいてやってるのかなという風に、捉えています。

で、具体的にですね、どういうことかということを、お話した方がいいと思いますので、あの、土谷(正実)死刑囚ですね、土谷氏についてちょっとお話します。
土谷氏・・・法廷の中で一番乱暴だった被告っていうのは土谷氏なんですけどね、警察官に面罵したり、それから、弁護人を途中で二度解任して、審理をストップしちゃったりですね、また彼は高裁レベルでは全然出てこなかったんですね。
ただ一審の時に聞いてて、高校生の時代の、多摩川の土手歩いてるようなこう、少年時代を描写するのに、「こいつは恐ろしく純情なヤツだな」という印象を持ちました。
もちろん、ご存知のように、サリンを作った人間です。VXも作った。
彼がですね、最高裁の判決直前になってですね、ちょっと、まあ・・・改心した、っていうかね、麻原から離れた、ということを聞きまして、それで会いたいって連絡して、最高裁の判決がおりるまで、ですから高裁はもう終わっちゃってるわけですが、四回しか会えなかったんですが、普通の(拘置所の)面会ですがもちろん、その時に聞いた話とか、それからあの・・・最高裁に出した彼の陳述書のようなものももらいまして、それに基づいてお話します。

というのはあの、最高裁ってびっくりしたんですけども、国選弁護人が出てきて、それから、彼が最高裁の判決の直前に頼んだ私選弁護人をお願いしたんですね、その両方出てきて、いうことが全然ちがうわけですよね。あゆことってあるんですね(笑)僕はびっくり仰天したな、あの時、そんな裁判のこと詳しくないですから。
それを元に言いますけどね、彼はここで言いますのは、その・・・信仰の内在的論理と、事件がどう結びついたのかっていうことをちょっとお話します。

えー、入信、体験、出家なんて話はまた時間くっちゃいますので、サリンを作ってた時なんですけども、彼はあの、まぁ、幹部的ではありましたけども、けしてそんなに高い地位でないから、「これ(化学兵器を作ること)は、自衛のためだ」って言われて、作るんですね。
これは割と他の信者にも言われていたことです。それで、村井(秀夫)氏にですね、「こちらから(攻撃する)ためじゃないんだ」と、要するに自衛のためなんだと言われてて、だから、あっという間に人が死ぬんだっていう、大変な毒薬だってことは(土谷氏は)知ってたわけです。
で、村井氏が土谷氏を説得した、その説得の仕方なんですが、さっき言った自衛のためというのと、それよりもっと聞いてるのはですね、というかもっと根本的なことでですね、チベット仏教を利用しましてね、「無心の帰依」っていうこととか「無知の修行」っていうようなことを言うんですね。どういうことかっていうと、麻原は全知であり、自分たちは無知であると。
無知なる弟子たちが、麻原の指示内容の真なる意味を理解することは不可能だと。よって、理解不能な指示は、無知だと考えながら、ただただ指示されたことを遂行すればいいんだ、というようなことを、まぁ、これはオウム全体の中で言われてることですし、特にこの、「ヴァジラヤーナの実践」・・・要するに、犯罪を犯す時に言ってるわけですけども、これをまた改めて言ったと。それでここにあるのはですね、「修行だ」っていう宗教レトリックですね、思考停止にするんですが、これ、内部にいうと気づかないんですね。


それで・・・そういう説得を受けると同時に、土谷氏は修行中に神秘体験をするんですね、どういう神秘体験かっていいますと・・・オウムがいう、総美天(ソウビテン)という、一種の天界ですが、その美しさに唖然としたりですね、優しいヴァイブレーションに包まれた、という、「わたしはしばしば忘我の境地におちいった」っていうんですが、ちょうどそれがね、94年の6月なんですが、彼はもうその前にサリン作るの成功してるんですが、松本サリン事件っていうのは、その6月の27日ですね、で、つまり、事件を起こすっていうことと、サリンを作るってことと、一種の宗教体験ですね、それがパラレルになってるっていうか、一緒なんですね。

それからですね、愛欲のバルドーに放り出された時、麻原が上にいてですね、麻原が上に引っ張り上げてくれた・・・というような、そういう、イメージをしてる。
そこで彼がどういう宗教的理解をしたかというと、「いかにグルへの帰依が最上位かつ絶対か」ということに、気づいたというんですが、これが94年の12月ですから・・・まさにその、VX事件を立て続けに起こしている時期なんですね。彼は現場には行ってないんですけども、そういう風に、宗教的な体験を繰り返す中で、ワークとして、ワークは修行ですから、犯罪を、我々から見てとんでもない犯罪を犯している。宗教体験というのが、その行為の、「後押しをする」んじゃなくて「融合してる」いう風に言った方がいいと思いますね。そういうことです。

これは、土谷氏(の話)でもほんの一部ですが、あとまた続けて、ありますけども、ちょっと数分時間ありますので、(土谷氏の)入信と出家のことをいいますが、あの、彼は入信した時にですね、まず、ヨガやってたんですが、ヨガのある格好をしてですね、3時間連続してやって、頭からツノが生えてくる、ってびっくりするんですね、要するに、ここのとこ(頭頂)の、チャクラが開くということで、盛り上がる、んですね、で(土谷氏に面会時に)「今も?」って聞いたら「今も」っていうから、見せてもらって・・・まあ触れないんですけど、アクリル板がありますから、で、ちょっと盛り上がってるようには見えましたけど。
それで、(当時は)びっくりして、(オウム真理教の)支部に電話したら、「それはニクケイだ、修行するばそうなるんだ」って当たり前のように言われたと。これは他の信者もよくあることです。
で、あの、これは本当に修行できるって彼はそこで思い込んじゃってですね、まだ出家する前ですが。で、そのあとだんだん、あの、修行をしてるうちに、本格的に修行したいと思って、出家してしまうんですね。
それから、サリン製造を命じられる訳です。

これが、あの土谷氏のサリンを作る時と、彼の修行の中での現実に体験したことですね。もっと怖いことあるんですが、あとで時間あれば、付け加えて、お話しします。以上です。


武井弁護士「ありがとうございました。土谷君は、実はわたしたいオウム真理教の被害対策弁護団とも関わりがあった人なんで、非常にこう、身につまされるというか、そういうお話でした。ひきつづいて、オウム真理教を、昔から、おそらく一番古くから取材を続けている江川紹子さんにお願いします。」


江川紹子氏
えー、わたしはあの、さっき、高橋さんが裁判傍聴で、わたしを頼ってたという風に言われましたけども、あのオウムの裁判の傍聴をしていて、地下鉄サリン事件だけではなくてですね、別の事件でも、死刑判決出てますので、坂本弁護士の事件とか、で、全部で13人に対する死刑判決を聞きました。
死刑判決というのは、何回聞いても、慣れることのない、非常に重い気持ちになる・・・そういう時でありました。

その13人に対する死刑判決を聞いて、いくつか思ったことがあります。その一つがですね、教祖でありあの組織のトップであった麻原彰晃こと松本智津夫とですね、それから、例えばその地下鉄サリン事件の実行犯であった豊田とか広瀬とかと、同じ刑罰でいいんだろうかと、いうことなんですね。
つまり、死刑というのは・・・まぁ無期(懲役)の上は死刑しかないので・・・あのー、その無期のラインを越えたら、みんな死刑になるってことで・・・そうなると、この・・・松本智津夫と、豊田・広瀬が、同じ刑でいいんだろうか・・・一つはさっき、藤田さんがちょっとおっしゃってましたけども、やっぱりその教祖と、信者との関係ですよね、やっぱりその、絶対的に支配するものと、される側という関係にあるわけです。
そして彼らは何もいきなり犯罪を指示されるというわけではなくてですね、日常のいろんなことで宗教的なことから、日常的なことから、すべての関係性の中で、すべての状態でですね、そういう、この、(主従)関係が出来上がってしまってるわけですね。そういう中で、支配したものとされたものが、同じ立場はない、ということ。

それと、やはりその、裁判をかなり時間をかけてやりましたので、そしてあの時には、裁判員裁判と違ってですね、被告人質問や、あるいは被告人がずっと・・・生れてからの経過っていうものも、本人だけではなく、他の証人も呼んで、聞くことができました。
そういう中で、それぞれの人間性が見えてくる。あるいは発生の程度ですね、そういうのが見えてくる。もちろん傍聴席から見てるだけですから、完全にわかるとは思いませんけども、やはり、本当に、こう自分のやったことについて、痛切に感じる人っていうのは、やっぱり伝わってくるものです。えー、そういうのが、例えば豊田・広瀬にはわたしは感じたので、それとですね、松本智津夫と一緒くたにしていいのかということは、すごく感じました。

その(死刑判決)時、いろんなコメントを求められた時に言ったのは、やっぱり執行の順番を間違えないでほしいと。つまり、裁判が確定した順番でやるとですね、逆に、反省してるがゆえに、あまり争わずに、はやく決まってしまった人が先に、やっ(執行され)てですね、まあ争って長引いた人、あるいは、事実は間違いないのに、なんかちっちゃなことを取り上げてですね、再審を次々に請求して、なんとか逃れようとする人。そういう人が、長く生きて、反省してる人が先に執行されるなんてそういうことにはならないでほしいってことは申し上げました。

それともう一つ思ったのは、やっぱりその、オウム事件をわたしはその、坂本弁護士一家のですね、行方不明になるという頃・・・そのちょっと前から、何人かの方にお会いしましたけれども、親御さんとのおつきあいもありました。
で、そういう中で、地下鉄サリン事件のあと、オウム事件の捜査がようやく本格的に始まってですね、で、次から次へと逮捕されると。そういう親御さんの子供たちも、逮捕されていきました。
わたしはほんっとに忘れられないのが、ある・・・(信者の)親の、お母さんがですね、電話で、「喜んで!うちの息子捕まったのよ!」と言ったことです。えー・・・自分の子供がですね、逮捕されたことを喜ばなきゃいけないなんて、こんな、ことが、ほんとに・・・本当にひどい団体だと、わたしは心の底からオウムを憎みました。
そしてそういう人たちが、「喜んで!」と言った時は、最初は、それほど大きな罪で捕まったわけれはなかったんですけれども、だんだんと、地下鉄サリン事件に関わった、あるいは、坂本弁護士事件に関わったということがいろいろわかってくる。
で、そういう親御さんたちの息子も、死刑(判決)になっています。
そういうのを聞くと、被害者の顔も見えてくるけど、加害者の親の顔も見えてくると。そういう中で、やっぱりこれで、「オウムのために刑が執行されて、自分の子供が死ぬ」っていう親が出てくる・・・オウムのためにまた悲しむ人が出てくるんだ、ってことを、非常にわたしは、痛切に感じました。

でそれから、ずっと年が流れていくわけですけれども、やっぱりあの当時はですね・・・その、死刑が当然だな、って思っていた人に関しても、やっぱりその、同じ、例えば、林郁夫っていう・・・この人は無期懲役になりました。サリン事件の実行犯ですけれども。それから、坂本さんの事件でですね、岡﨑一明、というのがね、いました。これは死刑なんですけども。
両方とも、一応自首が認められてるんですけれども、林郁夫の方は自首で、無期(懲役)になってるんですが、岡﨑の方は死刑と。ただ、彼の場合は、「自分がいたから事件が解決した」みたいなことを言って・・・えー、わたしなんかはそれ聞いてて「アンタがいるから、あなたがやったから、そういう事件になったんだろ」と・・・まあものすごく、反発をしたわけですけれども、ただその林郁夫と岡崎の違いというのがですね、林郁夫というのは非常にエリートですよね。あのー、医者で、本当に優秀で、患者さんとのコミュニケーションもうまくできる人であったようでありますし、その一方でこの岡崎っていう人が、非常にその表現力がどうだったのか、っていうことも、考えなきゃいけないのかもしれない。・・・ということをまぁいろいろ考えたりもしました。当時の、わたしの発言や考えはよかったのかなーという風なことを、思うこともあります。

ただ、わたし自身が、死刑廃止(論者)か、と言われると、そうではない、ってわけです。
やっぱりその、死刑の、個々の、この人は死刑にするのはどうかー・・・っていう、そういうことと、あるいはその死刑の制度の全体の運営の仕方がこれでいいのかっていう問題と、その死刑制度があるかないかっていうことと、いくつか分けて考えなきゃいけないとおもうんですね。で、よくその、死刑制度廃止の方が、世論調査を批判される中でですね、質問の中に「どんな事件があっても死刑には反対ですか」という質問項目がですね「けしからん!」ということを随分言われていてですね、それからちょっと、質問が変わったようです。
わたしはこの質問は、正しいと思ってるんですね。つまり、制度としての死刑を存置するってことは、「どんな事件があっても死刑にする」ってことですね。つまり、麻原彰晃こと松本智津夫も死刑にしない、あるいは、それ以上の、それこそパリの事件(2015年ISによるパリで起きたテロのことか)みたいなことが起きても、死刑にしない、それくらいの覚悟はありますかってことを、やっぱり、大事なことで、それを問わなくて、何を問うんだ、って、死刑制度について、こういうことは、思っています。

ただ、その制度の存置とは別に、その死刑の制度のあり方ですかね、あるいは適用の基準とかですね、そういったことについては、やっぱりいろいろ議論をしなきゃいけないなあってことが、たくさんあると思うんですね。死刑の問題っていうと、すぐに「死刑存置か、廃止か」ってことの、両極端で、議論をするってことに、なるわけですけども、まぁなりがちだと思うんですね。
あの、わたしはそうではなくてですね、小川原さんなんかは反対なのかもしれないけど、やっぱり多くの人は、死刑廃止については消極的だっていうのは、常だと思うんですね、でしたら、死刑制度を存置する中で、何ができるかってことを、話していくってことも、大事なんじゃないかなっていう風に思うんですね。
その両極でやりあっていくような、死刑廃止の時は、「廃止っていう言葉がなければ、議論したことにならない」とか、そういうことになっちゃうんですね。
でも、死刑存置の人の中にも、いろいろな考えの人がいるし、いろんな思いの人がいると思うんです。そういったものを、もう少しこう、分野ごとにというかですね、話することが、できないだろうか、という風に思います。

特に、今は裁判員裁判で、わたしたちも死刑を下さなきゃいけないことになるかもしれないんですね。わたし自身は、裁判員裁判始まったときに、量刑についての判断を、裁判員がやるってことには、わたしは消極的でした。
ましてや、死刑の求刑があった時点での判断をするってことは、わたしは今でも反対なんですね。あの、ただ、でも実際問題、それをやってるわけですから、いろいろ行われてるってことを前提に、いろいろ考えなければならない、ということで、まあ、つい、この間ですね、裁判員裁判で、裁かれて、死刑の判決になった人が、死刑の執行をされました。

で、その人は、津田寿美年という人なんですけれども、川崎でですね、三人を殺害した、発端は、騒音問題で、アパートの中の騒音が酷い、そういうところから始まった、非常に・・・あの、ありがちな、トラブルだったんですね。そういうのにされて、三人殺害した、ということで、裁判員裁判やって、死刑になりました。裁判員裁判始まったばかりのときです。
その、裁判員の方の一人がですね、記者会見で、「これはよく考えて、出た判決なんだから、控訴しないで従ってくれ」と、こういうようなことを言いました。

この津田という人はですね、もう捕まったとき、やった直後からですね、もう部屋で、刺した包丁を壁に突き刺して、あぐらかいて、警察がくるの待ってたってくらいで、とにかく、自分の人生はこれで終わりだっていう、そこで覚悟した人なんですね。
で、弁護士さんにも、控訴しないでくれ、と、いうことを言ってたんだけど、弁護士さんはそうもいかないから、他の人たちもしてるんだししてもらおう、って言って、控訴したんですね、でも一週間もたたないうちに本人取り下げちゃって、それで確定したんです。
確かに裁判の中でのいろんな発言というのは、遺族の方を逆なでするような発言もあったと、思います。その一方で謝罪の言葉もあります。あるいはその、彼のことを非常にかばうというか、騒音がいかに酷かったかということを、他の人が証言したということもありました。
でも彼は、とにかく控訴を取り下げちゃったわけです。
そうするとですね、彼より先に、死刑が確定した人何十人もいるんですね、50人くらいいたんじゃないかなって、オウムの人たちも含まれます。だけども、その人たちは、共犯者がまだ裁判中だとか、あるいは逃走してる人がいるとかですね、そういうような理由でですね、あの・・・死刑執行できる人っていうのが、多分あんまりいなかったんじゃないかと思うんですけども、その後飛び込んだ津田さんが、執行されたわけですね。

ということはですね、その中には、明らかにやってるんだろうけども、とにかく死刑の先延ばしとしか思えないような再審請求する人もいるわけです。
そういう人が、もっと長く生きてて、反省してるがゆえに、もうとにかく一審でそれで、覚悟を決めて、毎日死刑囚だぞって思って暮らしています、っていう人もいるんですが、そういう人が先に執行されるっていうのは、果たしてどんなもんかと・・・とかですねぇ、いろんな考えなきゃいけないこと、たくさんあると思うんですね、とにかくもう時間がないので終わりますけど(笑)
わたしは、死刑と無期(懲役)の間は、どうなんだと、さっきその、終身刑って話が出ましたけど、わたしはその、終身刑には反対なんですけど、まあその、意見なんかは、もしまた、まわってきたら、詳しく述べたいと思いますけども、とにかくそういう風に、議論しなきゃいけないことはたくさんあるって思います。


2016年3月16日水曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ①



2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」が開催され、テーマは「死刑についてーオウム事件を考えるー」ということでした。テーマの死刑についてなのですが、2013年のシンポジウムでは、高橋シズヱさんはこのように述べられていました。

Q (高橋さんへ)12人の死刑囚についてどう思うか。 

高橋さん:「大事な家族を殺された遺族に、そんなことを言うか」と言いたい。
豊田亨の両親の希望で、弁護士を通して自分と被害者団体の他のメンバーと豊田の両親に会った事があるが… (少し考えられ)「答えられない」と。

しかし、今回は積極的に、死刑について考えるということで、高橋さんをはじめさまざまな発言者から、さまざまな問題定義がされ、大変興味深いシンポジウムでした。
また、高橋さんは、2013年のシンポジウムで見たときよりも、穏やかな語り口になられている印象がありました。

これから、何回かに渡って書き起こしを掲載します。
※公表されている以外の個人名は伏せさせていただきます。




宇都宮健児さん挨拶


みなさんこんにちは。オウム真理教犯罪被害者支援機構の理事長をしております、弁護士の宇都宮健児と申します。今日は、日曜のこのお休みのところ、こんなにたくさんの方が、私たちの集いに参加していただき、大変ありがとうございます。今年の三月二十日で、地下鉄サリン事件が発生してから21年になります。



地下鉄サリン事件では、13名の方が亡くなり、六千人を超える方が負傷しております。大変甚大な被害を発生させた事件です。
それから、昨年20周年の時に、被害者や被害者の遺族の方について、アンケート調査をしました。20年たっても、未だに、PTSDで悩んでおられる方をはじめとしまして、心身ともに、まだまだ傷が癒えてない方がたくさんいらっしゃいました。今日は地下鉄サリン事件、オウム事件を通じて、「死刑について考える」という集いですけど、この問題、大変、あのう、深刻な、重たいテーマであると思います。地下鉄サリン事件では、現在までに10人が死刑判決、それから4人の無期懲役刑が確定しております。それから一人の刑事裁判がまだ進行中であります。

ところで、死刑につきましては、日弁連のパンフレットも(来場者の手元に)配布されてるようですけど、現在、世界の2/3の国が死刑を停止あるいは廃止しております。国にしては140カ国にのぼるということです。死刑を停止したり廃止するっていうのはいろんな理由があるかと思いますけど、私はまあ、4つぐらいが考えられるかと思います。

一つは、刑罰の目的ですけど、これは罪を犯した人にですね、その罪に応じて、制裁を加える、「応報」という考え方。こういう目的があると同時にですね、罪を犯した人を更正をして、社会復帰をすると、こういう目的もあるということです。

それから、もし死刑が執行した場合に、その裁判が、誤判、つまり冤罪があった場合は、取り返しがつかなくなる。日本の、戦後の事件でですね、これまでに、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件と、四つの死刑確定事件で、再審裁判がなされて、冤罪だったことが、わかっております。こういう方が、死刑を執行されてたら、救済できなかったわけです。それからみなさんもご承知だと思いますけど、2年前に袴田事件で、静岡地検が再審決定を出しています。で、この再審裁判、これから行われることになっていますけど、もうこういう冤罪の場合に執行してしまったら取り返しがつかないという問題があります。

それから、国は、人を殺すことを法律で禁止してるわけですけど、その国がですね、殺人を犯してるのは矛盾ではないかと、こういう考え方から、死刑を廃止する考え方があります。

それから、もう一つは、ノルウェーの犯罪学者ニルスプレスティーという方が言われてるのですが「人はだれでも、犯罪者とは生まれる人はいないんだ、生まれながらの犯罪者はいないんだ」ということも、死刑廃止・停止を考える理由なのかなと思っております。ちなみに、ヨーロッパ諸国では、死刑廃止が多くの国でなされておりますけど、一方で犯罪被害者の支援も、手厚い支援が行われているということで、犯罪被害者が忘れ去られてる、ということではないということです。

日本弁護士連合会、今日、参加してる弁護士は、みんな日本弁護士連合会のメンバーなんですけど、2011年の11月にひらかれた人権擁護大会で、「罪を犯した人の社会復帰のための施策の確立を求め、死刑廃止についての全社会的議論を呼びかける宣言」を採択してます。実はこの時、あのう、日本弁護士連合会の会長だった(のは)わたしなんです。
この宣言の議論をですね、理事会でやる時に、三回に渡って、真剣な議論が行われました。わたしも、一方で、当時は地下鉄サリン事件被害者弁護団の団長としてですね、被害者や、被害者遺族の心情は、痛いほどわかっている立場で、片方で、世界的な死刑廃止の流れに、どう我々は考えるのかということを、理事のみなさんと、あの、しっかり議論しました。そして最終的にですね、議論が行われたのは、本音の議論をしますと、やっぱり自分の家族が犠牲になった時に、本当に心から死刑廃止言えるのかどうか、この議論に落ち着いたんですね。それで、えー、宣言の内容を若干変えました、まずそういう議論を現代に呼びかけようじゃないか、というような宣言になった次第です。

それから、わたしは死刑問題について、議論する上でもですね、死刑を執行する日は、ある日突然発表されますよね。どういう手順で、どういう順番で死刑は、手続きが行われるのかと、まったく我々は、知らされていないんですね。それから死刑を、どういう形で執行してるのか、こういう方法についても、情報が明らかにされていない、こういう情報をもっともっと開示される必要があるんじゃないか、その上で、議論がさらに深まるんじゃないかと、こういう死刑制度に関する、情報を開示するのは、議論の前提として必要なんじゃないかと思っております。

いずれにしても、このオウム事件 ・・・地下鉄サリン事件を通じてですね、多くの死刑囚がおります。その時の、はじめてわたしたちは、このテーマを取り上げたんですけど、その死刑問題について議論が深まることを期待して、開会の挨拶を終わりたいと思います。今日はよろしくお願いします。(拍手)


武井弁護士(司会)「続きまして、この会の発起人である、地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人高橋シズヱさんより、この会の趣旨説明と映像をごらくんださい。これは、高橋さんがインタビューされたものです。それでは、よろしくお願いします。」



高橋シズヱさん

改めまして、地下鉄サリン事件被害者の会の代表をしております。高橋シズヱです。あの、本当に、たくさんの方々にお集まりいただきまして、いかにこのテーマが、関心を呼ぶテーマかという・・・しかし、とんでもない、発案をしてしまったなあって(すこし笑いながら)、ちょっとドキドキしてるわけですけども・・・まぁそのテーマについて、少し、お話をさせていただきます。

事件がおきた95年から、刑事裁判が始まりましたけども、当時の東京地裁というのは、刑事16部まで、全部オウム裁判が行われていました。わたしは、・・・銀行に勤めてた普通の主婦でしたので、もちろん、裁判所というところに行ったことは、なかったんですけれども、なるべく事件のことを知りたいと思って、裁判所へ傍聴に行きました。今日の、ゲストの江川さんも、傍聴されてまして、わたしにいろいろ、あの、お話をしてくださいました。裁判のことも、傍聴するようになりました。で、初めの頃はですね、傍聴席にたくさん、オウム信者がいました。そういう中で、傍聴を続けられたのは、江川さんのおかげでした。松本智津夫の裁判、がですね、刑事7部で、行われていまして、弁護団は、12人、いました。今日のゲストの小川原さんは、その弁護団のお一人でした。えー、わたしはその、更新手続きの時にも、意見陳述とかですね、いろいろな意見陳述書などを、弁護団からいただいていました。小川原さんは、被告人の弁護団に、「ください」って言って(すこし笑いながら)あの、もらいにいく・・・わたしを・・・どう思われてたかわかりませんけれども(すこし笑いながら)、まぁ今日はゲストにお願いいたしましたら、快く引き受けてくださいました。

それからオウム真理教は、89年に、東京都から宗教法人の認証を受けたんですけれども、まぁ独自の国家建設・・・を目指して、教団内に省庁制を導入したりとかですね、あと、小銃の密造とか、化学兵器で・・・武装化をして、果てはですね、地下鉄サリン事件を起こすに至ったわけです。
で、あの、松本智津夫の、指揮命令があった、ということが、死刑を考えることの、難しさになったのではないかなと、思っています。今日のゲストの藤田さんは、そういう宗教的な観点から研究をされている方なので、そういう話を今日はじっくり伺いたいと思っています。

今、死刑についての講演会とかシンポジウムが、いろいろなところで、開催されています。今日は、オウム事件についての、死刑、ということなんですけれども、16時半までの短い時間ではありますけれども、皆様方と一緒に、いろいろなご意見を参考に、死刑について考えていきたいと思っております。

最初に、映像をご覧いただきたいと思います。
これは、あの、この映像についてご説明しますとですね、カメラを設置して、わたしが、インタビューをさせていただきました。全員に、同じ質問をしました。被害について、それから裁判の傍聴について、被告人について、死刑判決について、そして日本の死刑制度について。その他にもすこし、お話を伺いましたけども、だいたいそういうような感じで、質問をいたしました。で、あの、いつも、被害者の会で、みなさん一緒なので、そういう関係で、わたしの質問には忌憚なく答えてくださった、ということもあって、タイトルを「被害者遺族の本音」というふうにしました。それでもですね、中には、あのー・・・「わたしが『死刑』という言葉を使った映像を公開しないでください」とおっしゃっていた人もいましたので、えー・・・オウムへの恐怖というのが、未だに続いてるんだなっていうこともわかりました。
最終的には、映像は28分で、答えてくださったのは、7人です。映像の中に、わたしが、質問をしたので、わたしの意見というのが入っていないので、映像が終わってから、そのわたしの、意見を、少し述べさせていただきたい、と思います。それでは、ご覧いただきたいと思います。どうぞ。




ご覧いただきましてありがとうございました。わたしの意見をここで述べさせていただきます。
主人に関してなんですけども、事件当時、霞が関駅で働いていました。で、映像の中で、Aさん(負傷者の男性)が、その、まさにその、サリンを取り出したときの様子を、お話くださっていましたけど、あれから、車内のサリンを取り出して、ホームの上で、痙攣をして、倒れていたのだと、そういう話を、ホームで主人を見ていた人からも、うかがっています。

刑事裁判についてなんでですけども、裁判員裁判というのが、2005年の5月から、施行されてて、わたしとしては、それ以前の裁判と、裁判員裁判の、両方を、経験しました。

そこで、遺族として感じた事はですね、裁判員裁判っていうのは、短い期間で、集中的に審理が行われるということが良い点、なんだと思いますけども、「公判前手続き」というものがありましてですね、それは、あのその中でどういう風になされているのかということが、ま、あの、あんまり、知らされません。わからないわけで、しかもそれが、裁判が始まる前に、非常に長い期間かかってる・・・知らされないから長くかかっていると感じるのかもしれませんけれども、まあ、そういうことで、その期間が非常に長く感じた。で、実際に裁判が始まると、そこに出てきたのが、「争点だけ」ということで、極端に言うと、争点以外は、詳細がよくわからない。という、まあそういうことでした。

去年は、ちょうど今頃だったんですけれども、高橋克也被告の裁判員裁判が行われていました。高橋被告は、日比谷線にサリンをまいた、豊田死刑囚の、送迎役、だったわけですね。それで・・・その、争点に関しては、被害については争わない、ということで、つまりそれは、裁判員裁判の中に、被害者が出てこない、ってことになるわけですよ。

でも、あの、検事さんの取り計らいで、わたしが被告人質問もできましたし、意見陳述もさせていただきました。裁判員裁判には、そういうことだからといって、じゃあ、前の裁判のように長くかかるほうがいいのか、っていうことではないんですけども、でも、まあ長く・・・その被告人を見る、そのことによって、公判の中で、ゆっくり被告人の様子を、見ることが、あの、できたと思います。

それからもう一つお話したいのはですね、刑事裁判って・・・あの、去年の、高橋克也被告の裁判員裁判で、死刑囚が証人出廷したということです。遮蔽されていまして、傍聴席からは、その死刑囚の証人を見ることができなかったんですけれども、わたしは、被害者参加制度を利用しまして・・・被害者参加制度というのは、法廷の中に入って、検事さんの隣とか後ろに座ることができるんですけども、そういう関係で、遮蔽の中側だったんですね。なので、わたしは、死刑囚を見ました。
で、えー・・・その死刑囚の人たちを、最後に見た、というかですね、法廷の中で見るわけですけども、それは、最高裁は出てこないので、控訴審、なんですけども、その後ろのほうに死刑囚の、(資料を指して)この裁判でいつどういう風になったかをご覧いただければわかると思うんですけれども、まあ、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年くらいですかね、まそのような感じで、そうするともう10年くらい、拘置所から出ていない・・・と、いうことになると思うんですね。

でもそういうことを考えても、死刑囚の誰もが、すごいしっかりした証言をしていたな、と思いました。その中で、豊田死刑囚の証言は、東京地裁ではなくて、東京拘置所の中で裁判が行われました。

豊田死刑囚に関しては、一審の時からそうなんですけども、無表情で、たんたんと証言をしていまして、その態度は全然変わってないなあって思いました。どうして、そういう様子なのかっていうのかはですね、やっぱり自分が感情をあらわにすることが、被害者遺族に対して、さらに傷つけることになる、という、そういう考えからだとわたしは聞いています。
今回、東京拘置所での裁判は、本当に、限られた人間だけしかそこに参加することができなかったのですけれども、豊田死刑囚の、そういう気持ちが、十分に汲み取れたと感じています。

えー・・・遺族になるまでは、わたしはオウム真理教と何ら関わりなかったわけですけれども、そこで感じたことはですね、裁判では、刑罰を決めるために、必要なことだけが、話される・・・証言されるということです。それは、裁判員裁判だとなおさらのことだと思います。
死刑囚は、もっともっと、いろいろなことを話したかったのではないか、今、死を目の前にして、今だから言えることが、あるのではないだろうか。ということです。
通勤電車に、サリンがまかれるなんて、誰が想像できたでしょうか。もうそれを実行してしまった、そのことについて、裁判の中だけではなくて、自らの話をしてもらって、それからの死刑執行でも遅くはないのではないかなという風に思っています。

その死刑執行についてですけども、わたしは2011年に、最後の死刑判決が確定した時に、その時からですね、ひとつの要望を持っていました。この度、それを、法務大臣あての要望書として書きました。でその内容は、冊子の10ページに書いてあることなんですけども、まぁ文章が下手な、わたし、なので(すこし笑いながら)、これをあの、しっかり読んでくださった弁護士さんが、この四項目の要望が、まちまちで、とても分かりにくいというご指摘を受けまして、あの、ちゃんと、書き直しました。全くこれと同じものではないわけですけども、でも、きちんとした形で、要望書に仕上げて、先日法務省に連絡をしまして、今国会の会期中なので、法務大臣に直接お渡しできるかどうかわかりませんけども、とりあえず、受け取ってくださるということで、17日に法務省に行くことになりました。

それから、その他の項目としてはですね、死刑囚に会えるとしたら、どうするか、ということですけれども、まあ、自分から会いたいということではなくて、そういう機会が与えられたら、その機会を利用したい、ということです。
それから、終身刑の導入に関しましては、終身刑の導入には賛成ですが、やはり死刑・・・というのは、残すべきだと思っています。
ありがとうございました。(拍手)