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2016年12月29日木曜日

宮前一明さんによる上祐史浩氏批判

オウム真理教の初期の幹部をし、現在死刑囚として贖罪の日々を送っている宮前一明さんの手記(草稿・武田頼政記者とのやりとり)の一部です。平成11年頃書かれたものです。草稿のため、読み辛い部分があることをご了承ください。
上祐史浩氏について書かれているところを抜粋して掲載します。

宮前一明さんについては、wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E4%B8%80%E6%98%8E)、手記(http://kazakimiyamae.blogspot.jp/)をご参照のこと。



<上祐出所後の動向>
 まずメディアを最大限に活用し、大々的な記者会見をおこなうだろう。表面は幹部(当たり障りのない)の誰かを代表に見立て、謝罪表明と意味不明な補償プランを発表するでしょう。
 その目的は、オウム信徒の救済である。決して社会に受け入れられるための社会復帰とは違う。
 彼が被害者やご遺族の心痛を思いやり、思いを馳せることなどあり得ない。謝罪・補償の本質はオウム空間の維持であり組織防衛的なものだ。そしてオウム法案への牽制と世の非難をかわすためだ。
 多くのダミー会社を設立して教団の資金を分配し隠匿していきたシステムの延命を巧みに企てるためのパフォーマンスに過ぎないだろう。彼も他の幹部たちも、ご遺族や被害者への謝罪・補償が当然であることを全く分かっていない。だから今まで無視し続けて来たのだ。
 謝罪・補償表明と引き替えに上祐はこう訴えるだろう。
「オウムの信徒たちを見守って下さい。罪のない、多くの弟子達にどうか優しく接して下さい。お願いします。」と。
 謝罪・補償さえ済めばもう終りだ、と考えているだろう。
 被害者、ご遺族の心の傷跡は一生消えないことを知る由もない。
 真の苦しみとは修行ではなく、他人へ与えた苦しみの深さを知ることであり、罪の深さから逃れることなく退治し内省することではないだろうか。彼らにはオウムに入信する前の純粋な信仰心に戻っていただきたい。そう心から祈るばかりです。


<上祐氏の素顔>
 饒舌で能動的な人。
 周囲を鼓舞させ邁進するタイプ。しかし言葉で他を納得させたかに見えても心を動かす事まで出来ず、独走するため反感を買うこともしばしばある。
 論破しても、相手を感銘(共感)させ賛同を得なければ徒労であることを未だに分からない人。聴き役に徹することが出来ず、相手の真意がつかめないまま押し通すので齟齬を来すことがある。
 用件以外の前置きや後付けもしない言動はオウムの体質そのものだが彼は自信家ゆえ、当初から無駄のない語り口だった。その為、周囲に多くのストレスを与えていることに全く気づいていない。男性幹部(大師)の中では真面目な修行者といえよう。性欲や食欲に惑わされない、そして情の薄い人。でも、当時、私が尊敬した法友のひとりであったことは確かです。
 麻原との個人的な霊的体験が多く、師弟関係の絆は深い。しかし信徒や法友から特別な能力を認められるような噂は出なかった。T以外で弟子の中では唯一、麻原に否定的な意見を述べ、議論を挑む意固地な人。「おらが大将」の気質は麻原と同郷の九州男児ゆえのものかも知れない。

<麻原との確執>
 麻原はときどき入滅後(麻原の死後)のオウムを憂い、弟子同士の対立セクトを予言するかのように語っていた。
「私が死んだら、多分、マイトレーヤ(上祐)派とX派に分かれるだろうな。お前たち・・・どちらの派閥に付くか?」と言って、ひとりひとりに問いかけたことがあった。昭和63年秋ごろの会議の席上だった。すでにこの頃から麻原は上祐氏をオウム分裂の萌芽と見ていた。
 その後平成元年の夏、選挙(出馬)反対を最後まで訴えていたのは上祐氏、K氏、G氏だった。結局、出馬と同時に参謀のひとりとして活躍したのは上祐氏だった。
その頃、ある会議中に麻原が突然、
「私は、マイトレーヤ如来なんだよな・・・」
とポツリと一言漏らした。間髪を入れず、その場にいた上祐氏が
「ええッ、じゃあ、私は一体何なんだろう?」と頭をかきながら笑った。
 事故の存在を否定されたような麻原の一言に、困惑と皮肉を交えた苦笑いだったように思う。
 上祐氏を無視した麻原の発言かも知れないが、上祐氏はそれ以上に「弥勒菩薩(マイトレーヤ)」の使命を強く意識していた証だと思われる。上祐氏は麻原氏を差し置いて己をマイトレーヤ菩薩(=仏陀の化身)だと自覚していたように思われた。
 同じ頃、麻原が
「私が死んだらお前たち、どうする?」
とひとりずつ訊いたことがあった。
 上祐氏は「3女(アーチャリー)を守護し、オウムの教義を守っていきます」と。
 早川(紀代秀)さんは「どこかの山に篭って瞑想に耽るでしょう」と。
 私は「オウムを広めます」と。
 新実(智光)氏は「死ぬかもしれません。グルについていきます。」と言った。
 最後に麻原が、
「多分、女性大師のほとんどが自殺するだろうな、そして男性大師は対立するだろう」と言った。

 麻原はことあるごとに、上祐氏を引き合いに出して将来のオウムを案じていたことは確かだった。

 平成元年冬ごろにオウムの体制を変える議題になった。その中で教義の強化部長の選任をするにあたり、麻原はこう述べた。
「(教義の強化部長には)マイトレーヤ(上祐氏)しかいないだろう。オウムの教義については、討論したら、多分、私の方が負けてしまうよ」と。
 当時麻原は上祐氏をもはや、教義や理屈では説得不可能な弟子、と見ていたのかも知れない。
 しかし、麻原が生きている限り師弟関係が逆転することはないだろうと思っていた。

 上祐氏は95年10月、破防法の発動を強くおそれ、「麻原を切る」とある政治ジャーナリストに漏らしていた。
「麻原を切り、オウムの名前をなくし、単なるサークルにする」とまで告白していたという。
 その後、上祐氏は荒木広報副部長宛に獄中書簡でこう述べている。
「教祖・代表を辞した尊師には公の責任さえない。又、教団は現実、多様化していくと思う。今の長老部の長の正大師(3女)や新しい教祖の方が日々成長されておられるからだ」と。
 要するに、麻原はすでにオウムの挙措・代表でないから教団の将来については公の責任さえない。と断言したのだ。今、信徒10名が麻原の私選弁護人を目標に司法試験に挑戦していると噂されている。
 この意味合いについても上祐は、
「仮に尊師の私選弁護人が誕生しても、それは全く関係ないことである」
と無碍もなく言い捨てた。
 上祐氏には、麻原をオウムの将来に不必要な存在として映っているのかもしれない。
 麻原を捨て、新たな教祖を庇護する体制を虎視眈々と構築しつつあると見るべきかもしれない。
 ちなみに、上祐氏はその書簡の中で、マスコミや世論の糾弾を「誤解だ」と言い切り、「尊師の予言であり未来予測のための貴重な示唆であって、すべての人々に対する重要な警告のメッセージであると考えている」と言っている。
 だが、笑止千万、詭弁もここまで来ると児戯としか言えない。

 昭和63年11月15日午後10時から開かれた大師会議の<オウムの方向性>の内容をご覧いただきたい。
この中で上祐氏は
「信者集めのプロパガンダとか国家転覆計画と結びついているという誤解と不安があるため、自分の考えているところを十分詳しく書くことによってそれを取り除きたいと思うからだ」
と息巻いている。彼は、自分でもわからずに欺瞞の弁を重ねている。
 11年前から麻原はプロパガンダのためには何をどう為すべきか、と大師会議の場で独断場のごとくと滔々と述べていたのである。
 それを知りつつ、よくもまあ、シラを切り、ヌケヌケと「誤解だ」と言えたものだ。
 麻原やオウムに不信を抱きつつある純粋な荒木(浩)君に欺瞞と詭弁を重ねつつ、どうにか教団に引き留めようとしても、もはや遅いのではないか。観念するときが来た、と諦めるべきだ。
 当時、「尊敬に値する法友」と心から賛辞した、私から一言。
 上祐氏よ、麻原を捨てるなら、オウムの教義も捨てよ、そして詭弁をなくし、真実を語れ・・・と。



<上祐の危険度>
 当時、上祐氏はポアを強く否定する弟子でした。
 昭和63年11月17日深夜、名古屋支部営業のH君が自損事故に遭い、病院の集中治療室で生死をさまよっていた。その知らせを受け、麻原は富士のサティアンからH君の意識をコントロールしていた。脇待するIH、上祐に向かって「今意識を肉体に戻したぞ」と告げ、「確認してみろ」と言った。病院でH君を見守る弟子にその旨を知らせると、H君の意識が戻ったという返事があった。それから数時間、麻原は意識の出し入れを繰り返し、H君の将来を見据えた結果「ポアするしかないな」と判断し、ポアに至ったと言った。その直後、H君を見守っていた弟子から死亡の知らせが来た。
 上祐氏はこの時、「どうしてポアしたんですか」と猛烈に抗議した。
 麻原は「生きていても修行できないじゃないか。功徳が積めないならポアするしかないんだよ」と弁明した。
「それでもいいじゃないですか。いくらなんでもポアする必要はないでしょう。」と上祐は食ってかかった。憤りは納まらず、上祐氏はドアを勢い良く開け、走るようにして部屋を出ていったという。私は上祐氏が目を赤く腫らして麻原の部屋から出てくる場面に遭遇した。
 私は入れ替わるように部屋に入った。
 椅子に座っていた麻原は、話の途中だった。
「仕方なかったんだ。それが一番なんだよ」と繰り返していた。
 最後に、ポアの決断を逡巡するかのような渋面な面持ちのまま、上祐氏の座っていた方に向いて、つぶやくように言っていた。

 ことの経緯を知り、当時の私は、ポアされたH君よりも「グル」の判断に対して猛烈に非難した上祐氏の方に衝撃を受けた。当時の私はポアを信じていたからだ。今は違います。
 以前から麻原の過激な発言や突飛な発想に対し、悉く意見(討論)していた上祐氏が、教団の行く末について憂慮する思いは感じていた。
 ただ、「グル」と弟子との霊的な領域にまで鑑賞し、強く反発するとは、当時の私は夢にも思わなかった。
 それからの麻原の上祐氏の印象は<決して、どんな理由があろうと、無理難題な麻原の指示・命令には従わない人>と意識していたように思う。

 その後に起こった田口さん殺害事件や坂本さん一家事件に上祐氏は呼ばれることもなく関与していない。選挙出馬にも最後まで反対し続けた。
(※この後、宮前氏は選挙期間中にオウムを脱会し事件を隠したまま生活を営んでいた)

 それから、のちの上祐氏はロシア渋のトップとして布教活動に尽力し、オウムの表看板(プロパガンダ)として活躍していたと仄聞する。
 95年10月に上祐氏が逮捕された時も、まさか凶悪犯罪に関与するわけがないと信じていた。
 だから、たとえ上祐氏がオウムに戻ったとしても、<まさか、ヴァジラヤーナを肯定し、発動するわけがない>と、安易に思っていたのです。

 ところが、今年の春頃、オウムの信徒数が増え続けていることがわかりました。又、全国各地で住民とのトラブルが相次ぎ、ダミー会社の収益がオウム拠点作りの資金源となり、上祐氏の手記が荒木(浩)君を介してオウムのHPやマスコミで公表され、上祐復帰の不安情報が湧き上がってきました。その頃から、徐々に憂慮せざるを得なくなったのです。

 新たな情報として上祐氏の一面を知ることとなり驚愕したのも、一つの原因でした。
 それは、M君と井上(嘉浩)君の公判証言です。サリン量産計画の中で上祐は、
「7トンのプラントを造るんじゃないですか」
と言ったとか、炭疽菌の生成指示で、麻原が井上君に
「上祐にやらせるから、上祐の下で仕事しろ」
と言ったという内容です。
 上祐氏はまさにヴァジラヤーナの先鋒に立って指揮する立場にあると思いました。
 一体、いつから上祐氏はヴァジラヤーナを肯定したのか、私は悩みました。

 そういえば、こんなことがあった。
 平成元年11月15日の三面記事に、坂本(堤)さん宅の寝室に<プルシャ>(教団で霊的エネルギーが宿るとされているバッジ)が落ちていた、という写真が掲載された。その日、麻原と実行犯6人が図書室で密談していると、突然上祐氏が入ってきた。
「何ですか、これは『プルシャが落ちてた』といってこんなにデカデカと載ってるじゃないですか!」
と新聞を拡げ、右手でパンッ、パンッと叩きながら皆を蔑視するかのような嘲笑を投げかけて、言い切りました。
 麻原は「もしかしたら在家信徒が殺ったとしても、おかしくはないなァー」と惚けていた。
 上祐氏は間髪を入れず、
「どうせやるなら、こういうミスだけはやってほしくないですねェー」
と暗喩めいた皮肉を訴えた。
 この時、私も早川(紀代秀=坂本弁護士事件の実行犯の一人)も、上祐氏は全く事情を知らないと思っていた。又、麻原の態度を見て、疑うことはなかった。

 しかし、よくよく考えると上祐氏の言葉にはすでにポアを肯定していた節があった。
<どうせやるなら>とか<ミスだけはやってほしくない>という内容だ。
 1年前(H君の事故のとき)の上祐氏ならば
「何ですか、これは、もしかしたら尊師が指示を出したんじゃないでしょうね?」
とか、
「オウムと関係あるんですか、本当のことを教えて下さい」
とか、
「オウムを潰す気ですか、こんなバカなことをやって・・・」
と怒声と共に烈火の如く怒り狂っていたにちがいない。しかし、この日上祐氏は、皮肉だけを述べ、あとは冷静になり<プルシャ>からオウム信徒につながる<犯人像>を否定する記者会見の弁明を考えていた。やはり、平成元年10月31日夜の報告の席で、上祐氏が坂本弁護士から言われた言葉が原因だったのだろうか?
 当時、上祐氏は坂本弁護士との話し合いの後
「親が家に戻れ、といえば子供は戻らなければいけないんだ。そして私(上祐)にでさえ『そうだ、あなたも戻らなければいけないんだ』と言うんです。どう思いますか。」
 と言っていつになく憤り、憤懣やるかたない勢いだったことを覚えています。



 激怒した上祐の勢いに便乗して麻原は坂本さんのポア(殺害)を決断したのだろうか?
 しかし、26日に中川(智正)君はすでに注射を用意していた。


 当初の標的は坂本弁護士ではなく、(オウム真理教について批判的な記事を書いた)牧太郎氏だったと彼らの調書で知ったが、いつ坂本弁護士に決定したのか、未だに分からない。


 事件後、世間の目を交わすためにトンズラ旅行をしていた。その旅行の終わりの頃にインド奥地のあるホテルで、Nさんが戒律をおかし、麻原に懺悔した。
「私をポアして下さい」
と言うNさんに対して、麻原は上祐氏を呼びNさんと話をさせた。
すると「本人が望んでいるなら、そうするしかないでしょう」と、いとも簡単にポアを肯定した。
 私は、麻原から上祐氏がすんなりポアを肯定している、と聞いた時に、驚くと同時に<もう、彼は人間界のしがらみを超えてしまったのか>と無機的な侘しさを思った。
 結局、Nさんは他の大師からの反対もあり、ポアはされなかった。


 帰国してすぐに、上祐氏はオウムで3人目の正悟師となった。
 間抜けな私は当時、まったく気づかなかったが、すでに上祐氏はヴァジラヤーナの道程に踏み込んでいたのだと思う。
 だからこそ、<プルシャ>の記事を見ても堂々と揶揄できた。
 また、フィアンセだったNさんがポアを望んだ時も、是非もなく肯定できたのだと思う。


 そういえば、こんなエピソードがあった。あれは平成元年の春頃、私、早川(紀代秀)さん、上祐氏、G氏が図書館にいたときだった。麻原から、
「今から上祐とMが対立してディベート合戦をしろ。題は、輪廻生が存在するのを納得させる側とそれを否定する側に立って、やってみろ」と言われた。
 しかし結局、討論はもつれてしまい、ディベート合戦とは呼べなかった。すると唐突に上祐氏が本音を語り出した。
「実は僕は、未だに尊師の全てを信じていません。本当に最終解脱の世界が存在するか分からないからです。しかしいままで体験した実体験は本物だった。尊師の言われたままのものでした。だからこそ、今、ここに居るのです。これからもまだ最終解脱というレベルに到達するまでは100%信用しないでしょう。でも現時点までの消えは疑うことはありません。まだ内面に不安や焦りが心のそこにあるかもしれませんね。」と。
 聴きようによっては、麻原への反乱と思えるような告白ですが、上祐氏らしい本音と思いました。
 彼はひとつひとつの事象を見つめ、確認し、納得しなければ前に進めない頑固な人なのでしょう。


 また、彼はあるインタビューでこう答えていました。
「最初の1年ぐらいは現世と出家修行の間を心が行ったり来たりして、現世に戻ろうかな、と考えたこともあるし、2年目ぐらいになって修行で成功できるか分からないが、現世に戻っても、先が見えているなという感覚になって、4年目くらいで修行のある一定ので以下が出て。」
と告白している。4年目とはマハームドラーの成就の年です。
 彼は平成元年11月ごとからすでにヴァジラヤーナを肯定する弟子のひとりだったのです。
 そして、今、上祐氏は麻原を開祖と呼び、新たな教祖(長男)を祭り上げようとしている。
 上祐氏は自分自身を<弥勒菩薩=仏陀の化身>だと信じている。パラノイアの疑いがあると言われても仕方がないように感じる。


 95年、麻原逮捕の後、信徒でもない政治ジャーナリストに、上祐氏は<麻原を切る>とまで言い切った。
 師弟関係が逆転することはあり得ないが、将来、上祐が教祖となった長男の手綱をさばく傀儡師となる可能性は十二分にあり得ることだと感じる。もちろん教義が変わらなければ、ヴァジラヤーナの封印もいつでも解かれる恐れが存在する。


また、2016年現在の宮前さんの手紙です。

上祐とひかりの輪を叩くために、愚生の名前を出してもかまいません。(ひかりの輪はオウムと同じ偽装勧誘そのもの。上祐は未だに他人の自由意志や真の幸福も、心の平和とは何かを全く以て分かっていない)兎も角、どんどん、岡﨑、佐伯、宮前を利用して、ブログで公表すべきですね。


平成11年に書かれたとは思えないほど、今後の未来を予見しているように思います。何かのご参考になりましたら幸いです。
本日は以上です。

2016年6月24日金曜日

「極限芸術2 死刑囚は描く」パンフレット発売

「極限芸術2 死刑囚は描く」が広島県福山市クシノテラスで2016年8月29日まで開催されている。
http://kushiterra.com/gallery/2016/03/74.html


そして、先日この展覧会のパンフレットが発売開始された。
http://kushiterra.base.ec/items/3440347


かつて、死刑囚の作品をここまで丁寧にまとめたパンフレットがあっただろうか。
作品たちは綺麗に撮影され、印刷されている。圧巻。

宮前一明さんの「糞僧衣」(宮前さんが獄中でぼろぼろになるまで着用していた下着)も、撮影でつぎはぎがよくわかるようになっている。

作家の田口ランディさんと多摩美術大学教授の椹木野衣さんの論考もとてもよかった。
特に、田口さんは実際に死刑囚と交流をしているため、その処遇の理不尽な様子がよくわかる。

松本健次さんに知的障がいがあることは存じていたが、拘禁症状がひどくなっているとは知らなかった。

他にも、拘禁症状が悪化している人はたくさんいる。心配でならない。

死刑囚の作品をみて、描いた人の背景などを読んでいると、その人ひとりが悪い奴で、そいつのせいで事件が起こった、というわけではないように思えてくる。
ただの善悪で判断するわけでなく、例えば犯人の生育歴や当時の環境など、さまざまな因果が絡み合って、悲しい出来事につながってしまったのではないか、と、事件についてのさまざまな文献を読んでいてもそう思えてくる。
私は、もっと死刑囚と語り合いたいと思う。

2016年6月3日金曜日

どうして死刑囚の支援をしているのか

「どうして死刑囚の支援をしているのか」ということをリアルでよく聞かれる。

「オウム真理教事件は、麻原にだまされて事件をせざるをえない状況に陥った人たちが犯人とされ死刑囚になってて気の毒だと思ったから」と答える。

「もっというと、サリンをまかないと自分や自分の家族が殺されるような状況だった」
などと補足をする。

「えー!!そうなの!?」
とたいてい驚かれる。

「あんまりそういうこと考えてる人いないでしょうね」
ともいわれる。

わたしにはそっちの方が驚きだけど・・・

みんな、「他人」が「死刑囚」になったとたん「死刑囚=悪い人」で思考停止してしまうらしい。

事件は個人の責任に押し付けて、起こった背景や環境は考えないらしい。

すぐに過去のことにして、再発防止や研究はしないらしい。


わたしはもうちょっと事件について知りたい。

でもメディアはというと、テレビでは「真実は・・・わからない!終!」みたいな感じで、本はどれが真実かわからない。

裁判資料は膨大で、しかも手軽に見れるようなものではない。

公安調査庁の現在の後継団体の資料はあるけども、公的な総括はない。

それで「オウム真理教の元幹部の死刑囚の人たちはまだ生きてるんだから直接聞けばいいじゃん」と思い至った。

そうしたらレスポンスをくださる方がいた。
確定死刑囚の方ばかりなので、処遇的に直接は無理だけど、事件についての思いを何人かに聞かせてもらうことができた。

そのお礼もこめて支援をしている。

それだけの話です。

2016年6月1日水曜日

東京拘置所洗濯事情と処遇がひどい

イラスト:いらすとやhttp://www.irasutoya.com/


東京拘置所の洗濯事情がひどい。書いていいようなので書きます。

他の拘置所はわからないが、東京拘置所で囚人の服を洗濯するには
①交流者に宅下げ(房内から交流者へモノを渡すこと)して洗濯してもらい、また差し入れしてもらう。
②拘置所に一回何円かで洗濯してもらう。

のどちらかの方法がある。
ほとんどの囚人は、ほぼ毎日交流者に来てもらうことは不可能なので、②の方法が多いと思う。
で、その②の方法がひどいらしい。

なんでも、洗濯機の能力が強すぎて服がすぐぼろぼろになるというのだ。
昔は洗濯板で囚人各々で洗濯していたが、東京拘置所が今の状態に建て替えになった時に洗濯機を新調したらしい。
洗濯機を新調したのに、服がぼろぼろになるなんて・・・とわたしはちょっと笑った。


わたしは、ある死刑囚の方の支援をさせていただいている。
しかし、交流者ではないので(※交流者など処遇についてはこちらの記事を参考にしていただきたい)交流者の方に協力してもらっている部分がある。


先日、死刑囚の方が、もう服がない、ユニクロのステテコ(リラコの男性用?みたいなやつ)でいいので欲しいというので、いつもお世話になっている気持ちをこめて、何枚か購入して交流者へ送付した。そして、他の郵便物とともに交流者から拘置所へ送付してもらう手はずとなった。
ちなみに、主人のアイデアで、洗濯ネットをおまけにつけてみたが、それはあっさり不許可になった上、洗濯ネットはすでに使用しているらしい。

洗濯ネットで太刀打ちできないなら、もう本当にどうしたらいいかわからない。
東京拘置所はどんだけ強力な洗濯機買ってしまったん・・・?

それはさておき、何日経ってもステテコが死刑囚の方へとどかない、と連絡がきた。
交流者の方は「確かに送った」というが、拘置所職員は「そもそも郵便物の中に無かった」の一点張りらしい。

わたしは、わたしが書いたちょっと死刑囚の方の名前が入っているようなメモが、拘置所に切り取られて捨てられたり、一生懸命書いたメールが黒々と墨塗りになってしまうということはよくあることで(もちろん伝言行為はない)、差し入れ品がどこかへいくことなどよくあることだと思ったので、ステテコを購入したお金が勿体無かったなあ、と半ば諦めたが、今回は死刑囚の方と交流者の方が粘った。粘って職員に何度も確認をさせた。
粘り続けたら、ある職員が、独断でステテコを別にして放置していたらしいということがわかり、謝罪して差し入れられたということでほっとした。

一体なんの意味があった一件なのかわからなかった。
怪しい差し入れ品なら、「今調べているからちょっと待って」って言ってもらえれば済むはずだ。今回は、調べようとしたのかわからないけど放置している職員から他の職員へ申し送りがされておらず、拘置所側から「そもそも無かった」と逆ギレされる始末になったようだ。

本当に、一体なんの意味があった一件なのかわからなかったけど、書いていいみたいなので書いてみました。


ステテコがなるべく長く拘置所の洗濯機に耐えられるように、祈ります。


本日は以上です。

2016年5月4日水曜日

よくわかる(多分)日本の死刑囚の処遇など

よく質問されるので、死刑囚の処遇について、わたしの話せる限りのことをお話ししたいと思います。
ソースは実際に聞いた話やユニテ希望です。

何かの参考になれば幸いです。


1.確定死刑囚は限られた人しか交流できない、死刑囚とはいえ未決なら誰でも会える

・確定死刑囚は、家族と外部交流者と定められた人としか面会・手紙のやり取りができません。

・家族や外部交流者以外の一般人は、お金か切手のみ直接送ることができます。死刑囚からは、お金か切手をもらった人に対して「お礼状」を送ることができます。(参照:東京拘置所収監中の確定死刑囚への支援金送付方法


・未決囚の方は、初対面でも面会申し込みをすると会ってくれることがあります。



2.処遇は拘置所所長の裁量で変わる

・上記の外部交流者は、拘置所所長の裁量で決定することが大きいと言われています。
突然、外部交流者を切られたり、増やせたりすることはすべて拘置所所長が定めると言われています。
その理由は知らされないことが多く、謎です。
松本麗華さんが突然不許可となった例もあります。これは、本の回し読みが理由とされますが、本は拘置所内で読んで良いものなのな上、金品の拝受は行われる以前の話なので、実際何が問題なのか不明です。

・死刑囚が使える画材も、拘置所所長の裁量によるようです。個人、または拘置所単位で、使える画材・文具が異なる場合があります。
その理由も謎です。



3.被害者も弁護士も研究者もみんな死刑囚の処遇が厳しくて困っている

以前「地下鉄サリン事件から21年の集い」でも書き起こししましたが、処遇が厳しくて直接訴えたいことや知りたいことを知ることができない、再審請求の方法が難しい、研究者だろうが面会は10分程度など、いろいろな関係者がこの処遇に困っていることがわかりました。

これでは、被害者の方たちの気持ちが報われないことがあったり、冤罪を野放しにしてしまう、事件の研究・総括ができないなどという弊害が生まれると思います。



まとめ やっぱり処遇がおかしいと思う


わたしが知る限り、オウム真理教事件について、元オウムの元幹部死刑囚の方たちは、事件について猛省し、このような事件が二度と起きないようにと考えている人が多いです。

しかし、そのような彼らの考えはあまり知られていません。

反対に、アレフやひかりの輪についての報道が多いです。
その名前を出すことで、逆にアレフやひかりの輪の宣伝をすることになってしまうことはないでしょうか。アレフやひかりの輪が、事件のすべてだと思われてしまうこともあるのではないでしょうか。

特に、麻原隠しをしているひかりの輪は悪質です。
反省しているフリをして、事件を知らないような人をとりこもうとしています。

そのような人たちをのさばらせるのではなく、当事者である死刑囚や無期懲役の方たちが生きているので、もっと積極的に取材されて、彼らの言葉が広まればいいのになとよく思います。

なんでもそうなんですけど、わからないことがあったら憶測だけで答えないで直接きいたらいいのに、と思います。
憶測だけで事件について何かいうことは、被害者の方たちにとっても失礼だと思います。

死刑囚たちの声を、多くの方に知っていただくことを望みます。




今日、「極限芸術2 死刑囚は描く」を見にいき、櫛野さんともお話させていただき、色々と考えさせられました。

ちょっと忘れっぽいので、他にも死刑囚の処遇についてこんなことを聞きたい!ということがあったら、お答えできる範囲でしたらお答えいたします。

もし、少しでも死刑囚へお気持ちを寄せられる方がみえましたら、お金か切手を支援するだけでも、彼らはとても助かり、感謝されると思います。



本日は以上です。

2016年3月3日木曜日

ひかりの輪にまたつっこむ

ツイッターでもぽちぽち呟いているのですが、
ひかりの輪のことについて。

http://www.joyu.jp/diary/052007/0002.html
2007年の上祐さんの日記?です。

わたしは、そんなにオウム事件をリアルに知らない世代で、上祐さんや、死刑囚の方達の名前と顔を知ったのも、ここ4年くらいなので、あまり当時のオウムに悪い印象も良い印象もありません。

なので、ひかりの輪にしても、公式サイトとかには「オウムの反省・総括をふまえた、あたらしい団体」みたいに書いている反面、「上祐は嘘をついて麻原隠しをしている」と言ってる人をみて、どっちが本当なのか、最初はピンと来ませんでした。

でもですね、そんなわたしの一般的な解釈というか、普通に考えてのことなのですけども、「オウムの反省・総括」っていうのは、自分たちがいたオウムの事件を勉強して、自分自身の生活を立て直し、気持ちの落ち着きを取り戻した上で、賠償する余裕があったら賠償すると良いな、という様なことじゃないかなと思っておりました。

そんなことは一朝一夕ではできないので、年数がかかると思いました。
反省・総括の中で、元信者さんたち自身のカウンセリングや、就職支援、生活の立て直し方法のアドバイスが大切だと思います。何年かかけて、そういうことが自然と出来て、ひかりの輪という団体自体も自然と消滅して、みんなで社会復帰出来るような団体なのかな、と思っていました。

ひかりの輪が設立されて、もうすぐ10年ですが、一向に、生き方を示さなければならない人たち・・・上祐さんをはじめ、幹部が自立していません。おそ松さんのように、人のお金で生活している様子です。



この状況を見て、やっぱり、彼らはオウムの反省も総括も実感してないし、賠償するのも団体存続のためで、しかも在家の信者さんからもらったお金を賠償にあてている、という不可思議な状況であると感じました。

今後、人の迷惑を顧みず、自分たちのためだけにお金をかき集めて、生活しようとするなら、簡単に詐欺や霊感商法につながっていくような気がしています。

ええ、ただのカルトです。オウムの時と変わりません。本当に、ひかりの輪には気をつけてください。


以前コメントをくれた、さくらねこさんの書き込みを見直してみても、こうして逃げれない状況を作って、少ないお金で生活させ、介護や雑用をさせているのかなあと思うと、なんだか・・・・本当に辛いと思う・・・・

カルトから抜け出せない方、あなたは全然全くなんにも悪くないので、はやく抜けると良いなと思います。悪い事をさせられる前に。





閑話休題。

宣伝ですが、宮前一明さんの手記のブログをご紹介します。
絵を描くきっかけや、オウムでの修行の反省が書かれていて興味深いです。
http://kazakimiyamae.blogspot.jp/



本日は以上です。

2015年9月29日火曜日

死刑囚とネット

わたしの知るかぎりの、オウム死刑囚のネット露出のリンク置いておきます。
ちなみに、オウム死刑囚はネットが出来るという噂?があるようですが、東京拘置所の独房にはPCもスマホも持ち込めません。
でも、支援者を通してネットの情報を得られる方も、当然ながらいます。

●広瀬健一さんの手記
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html
長いですがとても読み応えがあります。


●新實智光さんの短歌
http://unitykibou.blog10.fc2.com/blog-entry-1.html
死刑囚交流誌「ユニテ希望」
短歌や健康法など、最近はあまり寄稿していないようですが、バックナンバーをさぐると出てきます。
小菅太郎と仮名になっていたりしますが、本文では伏せられていないので、掲載していいのかちょっとよくわからないです。


●中川智正さんの俳句
「ジャム・セッション」という同人誌でのみ公開されています。
一部の句はこちらで読めます。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/4e280da538a5a5e6243ff3bafc1a4103


●宮前(佐伯・岡崎)一明さんの絵
http://koumiyamae0404.wix.com/0404blueeyes#!gallery/c240r
個展会場絶賛募集中だそうです。生で見た方がいいです。


●井上嘉浩さんの詩
http://yoshi392.sakura.ne.jp/si.html
定期的に更新されています。




他にも情報ありましたら、お寄せいただくとうれしいです。