2015年5月30日土曜日

NNNドキュメント「狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言」

連合赤軍の一連のリンチ殺人事件が、密閉された空間、暴走する集団、ということでオウム事件に似ていなくもないと思うので、少しずつ追っている。



NNNドキュメント「狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言」
の動画を見る。

静岡でバーを経営する元連合赤軍兵士植垣康博氏のインタビュー。




現在の植垣さん


逮捕当時の植垣さん。とても怖くて厳しい雰囲気。



なかなかぶっちゃけトークをしてくれない植垣さんに対し、
酒の力を借りた記者と植垣さんのやりとりが興味深かった。



記者:殺しちゃったらヤバいじゃないですか。止めなきゃだめじゃないですか?

植垣さん:ほんとだよ〜

なんで止めなかったんですか?

もう率直にいいます。
やっぱりこれは革命という当時の・・・

関係ないっすよ、赤軍は関係ないっすよ、今きいてるのは、植垣さんを一人の人間として聞いてるんですよ。一人の人間として、自分の彼女が・・・

縛られた!

そう!
助けなきゃだめでしょ!

そうだ!・・同時にそのことでもって、僕も総括要求されちゃったっていうね。
・・・・うん、まぁ・・・しんどかったですよ・・・どうしたらいいのか?ってね、
だからって総括要求の世界を壊す、潰してくだけの力もってないし。
力っていうかね、論理ももってないし・・・
今から言えばね、いくらでもあるんだけどね
当時の僕にとっては、残念ながら・・・なかったですね。

その瞬間どう感じました?

・・・・・・・まぁ率直に言えば、総括要求に関しては、虚しさを感じたっていうかね。
その虚しさを感じたのは、実は山崎君を処刑しちゃった時。
自分とずーっと一緒に戦ってきた人間を、ね、自ら殺しちゃったって時にね
・・・まず、俺たちは何をやってんだろうな、ってね

そういう時って、殺すつもりはないわけですか?

殺すつもりっていうか、死んでも仕方がないとか、そんな思いはひとつもなかった。
うん、ないです。

お前は何も反省してないんじゃないかって、みんな思うのでは

・・・・・僕が語るってことは・・・・あのことを、反省してるから言えるんですよ・・
だんだん、自分自信が直接関わった人間が、死んでいったりすると、殺した人にたいして、その責任はどうするのか、とかそういう思いが強くなっちゃって、最後の頃はね、もう自分の死に場所はどっかにないか、という感じになっちゃうんだけどね・・・



続けて、弁護士による拘置所の中での植垣さんの発言。

一番辛いのはね、謝る相手がいないんですよね、
みんな死んじゃってるから・・・あの世行って伝えるしかないんですよね。


なんだか、この部分、今年の2月に聞いた、高橋克也さんの裁判で証人として語る、林泰男さんを思い出しました。
サリンをまかないと、自分や自分の大切な人がポアされる。
心情的な余裕がない。
大きな力に対して反論できない。
そして、検察は、サリンをまいた時の心境を聞きましたが、

「・・・・思考が飛んでました」

言葉にできない状況や気持ちを、すごく感じました。

さらに、有名な心理学の実験
も思い出しました。



植垣さんは、現在は、結婚して、小さい子供がいる。
お店をやり、連合赤軍問題について勉強会を開催している。
若い世代に、伝えていくこと、できる限りのことを答えることを決意する植垣さんであった。

連合赤軍リンチ事件
メンバーの簡単なプロフィールがあってありがたい。

ふしぎな居酒屋 スナック・バロン

〒420-0031 静岡県静岡市葵区呉服町2丁目5−22
ソシアルカドデビル 4F



2 件のコメント:

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  2. オウム事件後の2004年、アーレフが分裂し、ひかりの輪がはじまる前、上祐氏から、「総括しろー!」「総括しろー!」と怒鳴られて怖かった。イスや机が飛んで来た。はじめは本気で麻原を否定する上祐の話に耳を疑った。それでも、死ぬ気で総括しようと思った。暴力的ともいえる脱洗脳は思想の入れ替えでもあった。精神を殺す作業であったと思う。
    自分がなぜ麻原を信じたのか、、それは究極のエゴであったことに気づいたとき、アイデンティティーは崩壊し、抜け殻となった肉体が残った。
    私たちはオウムにいた。ポアを愛だと思い、正しいと思っていた。それが恐ろしいことで麻原が間違っていたと心から納得するまで、徹底的に更正せねばならなかった。
    でも私は麻原とその教義を否定しただけではまだ更正しきったとはいえない。罪を負ったことが重すぎて精神を病み、社会人としてどう生きていけばいいのかわからない。被害者の方がいる限り、命をを捧げて償うということだろうと思う。

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