2015年9月21日月曜日
宗教情報リサーチセンター「オウム真理教を検証する そのウチとソトの境界 線」
地下鉄サリン事件20年目は、色々なことが本人の中で時効になったのか、様々な情報が飛び出す。
事件当初、裁判当初から分かっていたけれども、マスコミによって捻じ曲げられた情報も、より真実に近い状態で発信される。
宗教情報リサーチセンター・井上順考氏は、情報時代のオウム真理教 などオウム真理教について優れた著作を今までにいくつも出してきた。
それらの情報が最新にして最強に集合したのがこの一冊といえる。
すごくおすすめです。20年目にして最強の入門書!
この本の優れた点は、総勢10名の執筆陣からなる多視点からオウム真理教・オウム事件について論じられているところである。
第一章 藤田庄市先生による「麻原言説の解説」
藤田先生といえば、オウム真理教事件 (ASAHI NEWS SHOP) 宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと などで著名なジャーナリストの先生。ネイキッドロフトでは、カルトスリーとしてトークした。
この第一章で、麻原が教団の前身団体設立当初から、反社会的野望を持って組織へ君臨しようとしていたことを当時の説法の紹介を中心に語られる。
第二章 高橋典史氏「引き返せない道のりーなぜ麻原の側近となり犯罪に関与していったのか」では、新實智光さん、早川紀代秀さん、広瀬健一さんの三名を主に取り上げ、彼らが「なんの不自由のなさそうなそれまでの社会生活」を全てなげうち、なぜ側近として引き返せない行為へ及んでいったのかが論じられる。
特に「宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと」でも取り上げられていたが、この章でも、ブレないでおなじみの新實さんが主に取り上げられ、入信当初から現在に至るまで、頑なに信仰を捨てずに生きていることが問題定義される。
新實さんは、けして特異な存在ではないと感じる。
わたしの知人にも、未だにカルト信仰を捨てられない人は何人かいる。
彼らが真剣に語ることは、はたから見たらカルトで、わたしですら簡単に論破できるけど、彼らは「でも・・・」と言ったまま口をつぐみ、現状を維持しようとする。
わたしは彼らについて、色々な考えが巡る。過去に人を信じられないなにかがあったんだろうか?他に大切なものを見出せないのだろうか?失礼ながら、病気だろうか?発達障害だろうか?・・・
でもそんなことを、第三者であるわたしが考えても仕方のないことなのだ。
彼らは存在し、わたしと仲良くできるところがある。それでいいんじゃないか。仲良くできない、イラっとしたからって排除しようとも思わない。もうお付き合いやめようかな?くらいの気持ちになるくらい。
気持ち悪い、下賤、いやらしい・・・そのように感情的に排除しようとしたら、あとになにが残るのだろう。
カルト信仰者は、極論に寄っている。対するわたしも極論に寄ったとしたら、なにも生まれない。結局はバランスをとろうとすることが大切だと思う。(かといって完璧なバランスなどとれない。)
第三章は、藤野陽平氏による「疑念を押しとどめるものー脱会信者の手記にみるウチとソトの分岐点」
第二章よりもう少し身近にフォーカスされ、世の中にたくさんいる脱会信者についての章である。脱会者による手記は、カナリヤの会、滝本太郎弁護士、家族の会永岡氏の息子さんを中心に、村上春樹 約束された場所で―underground 2 (文春文庫) などでも述べられる。この本、全体を通して優れている点は、優れた著作が満遍なく紹介されている点といえる。出典が明らかになることで、より詳細を知りたい人はその本を読めば良い。ちなみにわたしはストーカーされたので、カナリヤの会の本はもう読みたくない。
脱会信者で、一生懸命社会復帰されている人も何人もいる。しかし同時に、社会復帰が難しい、精神的な病に悩まされたり、悲惨な状態にある人もいると聞く。形だけ脱会していても、信仰を持っている人もいる。わたしたちは、その現状を知るべきであると思う。
第四章は、井上順考氏による「科学を装う教えー自然科学の用語に惑わされないために」。
麻原は「オウム真理教は、宗教を科学する!」とドヤ顔でよく言っていた。どゆことやねんと思っていたが、ダルドリシッディをする信者の脳派を測るとか、アンダーグラウンドサマディをするとき空気量と呼吸量を測っていたとか、そういうことをやり、結果をドヤ顔で本にしたり、機関誌で発表したりした。しかし当然のことながら、記録は改ざんされている。こんなのに、超伝導の最先端研究者だった広瀬健一さんが騙されていたのだから、本当に手に負えない、一筋縄ではいかない手品をしていたのだと思う。
この章では、理系出身の信者が多かったことなどに焦点をあて、彼らがどのように騙されていったのか、彼らの思考回路から解き明かされていくので大変興味深かった。
全ての事象を科学で説明しようなんて、奢りも甚だしいことだ。
第五章は、矢野秀武氏による「暴力正当化の教えに直面したときー何をよりどころに考えるか」。
「洗脳」と「マインドコントロール」の違いは、暴力があるか否かで例えられることがある。暴力を伴うマインドコントロールが「洗脳」であると。
オウム真理教は暴力を肯定した。「ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです」という迷言が有名だ。ポワというのは、もともとはチベット仏教による魂を引き上げる儀式。人に暴力をしても殺しても、「尊師」がやるなら「ポワ」になる。これは信者にとってはむしろありがたいことなのですよ、というのが言い分だ。アホか。
なんJやツイッターで、素早くネタにする現代の若者の方がステージが高いと思う。
第六章では、平野直子氏、塚田穂高氏による「メディア報道への宗教情報リテラシーー『専門家』が語ったことを手がかりに」である。
オウム事件とメディア論は、切っても切り離せない。そんな報道でよかったの?ということがたくさん出てくる。そしてさらにこの章では、待ってましたの中沢新一・山折哲雄・島田裕巳批判である。
現代にオウム真理教を調べようと思った時、当時の空気がわからなくて、また当時週刊誌でされたであろう論戦もわからない。この章では、当時の宗教学者がどのようにオウム真理教にコケていったかが、わかりやすく論じられている。
第七章、井上氏による「学生たちが感じたオウム真理教事件ー宗教意識調査の16年間の変化を追う」。
地下鉄サリン事件から20年、いまや当時生まれていない、記憶がないレベルの学生が大多数だ。そこを狙って現代のオウム(アレフ・ひかりの輪)も、勧誘をしかけてくる。他のセクトも。学生のみなさまは是非注意してもらいたい。
オウム真理教の関心の度合いなどが、統計で論じられ問題定義されていて、大変興味深い章の一つだった。
第八章 井上まどか氏による「今なおロシアで続くオウム真理教の活動ー日本とロシアの平行現象」。
ロシアオウム、キター!!と言わざるをえない。
最近このブログを読んだわたしにはなおさらである。もう全然ロシアのオウム(ロシ輪)元気じゃないですか。大丈夫ですかねこれ。
特別寄稿は、高橋シズエ氏による「地下鉄サリン事件遺族の20年」。
村上春樹氏の アンダーグラウンド にあるように、被害者の存在、考えは絶対に忘れてはならない。
以上、全体を通していかにこの本がおすすめであるかを記してみた。
やはりオウム真理教事件は、宗教的なものと有機的に結び付けないと理解が難しい。
最後に、井上氏によるあとがきから。
それぞれの宗教の素晴らしい点については、その信奉者が説いてくれる。幸せなことに、現代の日本は、歴史のあるなしにかかわらず、個々の宗教が自分たちの主張を自由になせる国である。どのような主張にも耳を傾けたい人は傾けることができる。宗教系の学校はそれぞれの建学の精神にもとづいて、その宗教の理念を教えることができる。ところが、公立学校や一般の私立学校では、それはできない。では現代宗教については何も教えなくていいのだろうか。少なくとも若い世代が陥りがちな危険性については、前例を示して注意を喚起することくらいは必要ではないだろうか。「さわらぬ神に祟りなし」とか「臭いものに蓋」といった態度ばかりでは、日本における宗教文化の望ましい展開にとってもマイナスであろう。
本日は以上です。
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