2015年9月29日火曜日

死刑囚とネット

わたしの知るかぎりの、オウム死刑囚のネット露出のリンク置いておきます。
ちなみに、オウム死刑囚はネットが出来るという噂?があるようですが、東京拘置所の独房にはPCもスマホも持ち込めません。
でも、支援者を通してネットの情報を得られる方も、当然ながらいます。

●広瀬健一さんの手記
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/hirosesyuki.html
長いですがとても読み応えがあります。


●新實智光さんの短歌
http://unitykibou.blog10.fc2.com/blog-entry-1.html
死刑囚交流誌「ユニテ希望」
短歌や健康法など、最近はあまり寄稿していないようですが、バックナンバーをさぐると出てきます。
小菅太郎と仮名になっていたりしますが、本文では伏せられていないので、掲載していいのかちょっとよくわからないです。


●中川智正さんの俳句
「ジャム・セッション」という同人誌でのみ公開されています。
一部の句はこちらで読めます。
http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/4e280da538a5a5e6243ff3bafc1a4103


●宮前(佐伯・岡崎)一明さんの絵
http://koumiyamae0404.wix.com/0404blueeyes#!gallery/c240r
個展会場絶賛募集中だそうです。生で見た方がいいです。


●井上嘉浩さんの詩
http://yoshi392.sakura.ne.jp/si.html
定期的に更新されています。




他にも情報ありましたら、お寄せいただくとうれしいです。

2015年9月28日月曜日

ひかりの輪だめじゃん

ツイッターでひかりの輪にツッコミを入れては笑うことが趣味になっている今日このごろ。わたしの灰色の毎日に、笑いをありがとう。

と思っていたんですが、情報を集めれば集めるほど笑えなくなってきたぞひかりの輪。

わたしは上祐さんの本は一応目を通しましたし、上祐さんのトークイベントに行ったこともあり、ひかりの輪のHPはちょっと迷路じみているのでさらりとしか目を通していないのですけども、一応、むやみに批判をしているわけではありません。
さらに、滝本太郎弁護士や、やや日刊カルト新聞の藤倉総裁、他にもたくさんのオウム報道に関して有名な方、関係者の方達が、ひかりの輪を批判しているので、どっちかというとアカン団体なんだろうと思っていたのですが、本当にアカンです。
さらに、実体験も伴いました。→過去記事:ひかりの輪がわたしにしたこと
入会とかしようとしてる方、やめよう!

で、最近、アカンと思った情報です。

●その1 個人攻撃が激しい



こちらはとある元会員さんのfacebookの記事についた、上祐さんのコメントのほんの一部なのですが、えっ・・・常識的に考えて、個人の記事にこんなに書きます・・・?荒らし・・・??
わたしが見つけただけで、こういう大量コメントが何個もありました。
しかもよく読んだら(読んでも意味わかんないんだけど)、わたしや、塚田穂高先生(この件)の悪口書いてあります。しかもしかも、上祐さんは「事実と正反対」と書いてるけど、わたしも塚田先生もそれぞれ証拠となるものupしてますが、事実と正反対なことを言ってかどわかすのは、ひかりの輪の方なんですよん〜

これはちょっと不快でしたねヽ(・ω・)/



●内部告発続々
麻原隠しの出来る大人の過激派
こちらのページに詳しいのですが、わたしは、はじめこのHP見ても、当事者同士の言い合いみたいになっていたので、何が真実かわからなかったのです。今もわかりませんけども。でも、いろいろと教えていただいて、このページに書いてあることは、嘘ではないんじゃないかなぁ、と、思うに至りました。
上祐さんがアレフから分裂するとき、信者さんといろいろとモメたようです。
でも、一部の信者さんや信者でない一般の方は、アレフの過激思想から距離を置いて、反省を忘れず、謙虚な姿勢で、脱会者の受け皿となり社会との接点にもなれると信じて、ひかりの輪を見守っています。
しかし、今現在ひかりの輪は地域住民とさえ融和できていません。設立から8年ほど経ちましたけども。
もうこの住民に関する一点が証拠だと思うのですけども、地域住民に、きちんと真摯に謝罪して、自分たちの存在をわかっていただこうとする、たとえ罵声を浴びせられ、水道を止められても、自分たちが正しいと思った仕事をたんたんとこなして、声明を無視されるなら何度でも渡せばいいじゃないですか。道のゴミ拾いから始めたらいいじゃないですか。むしろブッダってそうじゃん。
旅行行ったりギャル集めてる場合じゃないですよ。

※ブログの書き主:ディオゲネスの樽さんから訂正をいただきました
私の書いた文章で訂正があります。公安の立ち入りのでの「押収」と記載しましたが、正確には「閲覧」です。公安調査庁には押収権はありません。予め資料を立ち入り検査前に会員に預けていたら違法ではありませんが、かなり問題のある行動だとして告発しました。


●外部監査委員会がへん
ひかりの輪外部監査委員会
これ本当にびっくりしたのですけども、河野さんはじめ外部監査委員の方達は、今年は一度も監査してないようです。この中身スカスカなHPもすごいです。ひかりの輪の方の文章って、全般的に「結局何がいいたいの」って言いたくなりますね。
「河野義行さんが外部監査委員長だ!すごおい!」で終わりじゃないですか。全然河野さんのご意見が載っていない。河野さんが来ました、河野さんが聖地巡りに同行されました、あとちょっと賛同的な一言をちょこちょこと入れたのみ。
そんなはずはないです。河野さんのご意見が、もっともっとうかがいたいです。
さらに残念だったのは、ひかりの輪広報の下の方に、上祐さんと水野さん、それぞれ河野さんがみえたことについて、ブログに書いている記事がなぜか消されています。

まとめ
「自分たちが批判されたら敵意むき出しにする」
「都合の悪いことはなかったことにする(その割に背中丸出しですが・・・)」
「人の言葉尻を捉えて言い換え、どうにかして自分を優位にする」

こんなことを感じました。

ちなみに、この記事はけしてひかりの輪を無作為に批判しようと思って書いたのではありません。
ちょっと調べてみたら、なんかこういう風だったので、信用できない〜
という嘆きです。


本日は以上です。

2015年9月27日日曜日

現実主義のわたしによるおすすめ本のラインナップ

どんな事件や事故にも言えるけども、真相や事件の闇などというものは分からない。
ひとりひとりの視点はそれぞれ違う。
その人にみえないものはみえないし、みえるものはみえる。
ある人にとって都合のいいことでも、ある人にとっては全く目に入らない。

わたしはもともと、スピリチュアルが理解できる人ではない。
朝テレビの占いで「今日はラッキーデー」などと言われても、5分後にはそんなこと忘れている。
「ケガをしてしまうのは、あなたのカルマです」と言われても、「だからどうせいっちゅうねん!」とチョップをかましたい。

現実に起こった結果はもう変えられないので、起こってしまった現実に対してどう対処していくかという前向きな考えをしていたい。
そのためのパワーとして、原因を突き止めるのは、心が癒されるのでいいと思う。

でも、原因や真相を突き詰めようとすればするほど、何も見えなくなる。
原因や真相はほどほどでいいのだ。大事なのは今。


というわけで、わたしはいろいろな関係者の視点を知りたいと思って、
なるべくいろいろな本に触れたい、いろいろな人にお話を聞きたいと活動してきた。
そんな中でいろんな視点に触れられる本をご紹介したいと思います。


●実行犯視点



2005年出版。オウム初期から関わりの深かった、死刑囚早川紀代秀さんと宗教学者の川村邦光教授の共著。早川さんの正直な描写や葛藤がみえる。




2001年出版。無期懲役囚で地下鉄サリン事件実行犯、林郁夫さんの手記。
誠実な郁夫さんの人柄がみえる。だが、なぜ彼だけ無期懲役なのか、疑問が残る。


●ジャーナリスト視点


2004年出版。カルトスリーとも自称する、青沼陽一郎氏の傍聴記。
独特でおもしろい視点で、読みやすい。



1997年出版。江川紹子氏の著作は、どれも女性らしい優しい気持ちと、情熱で満ちている。




降幡 賢一によるオウム法廷シリーズ。麻原だけでなく、さまざまな幹部の傍聴記録が確認できる。

それにしても、ほとんどの本が絶版なので、探すのが大変。


●元信者視点



1996年出版。元信者の高橋英利氏による手記。
彼がどのようにオウムへ入信し、村井秀夫など科学技術省の幹部を中心に関わっていったかが興味深い。自身のポエミーなブログが2012年で更新が止まっていて、少し心配。




1996年出版。元信者の田村智氏と住職の小松賢壽氏の共著。
「麻原はただのおっさんだ」と法廷で言い切った元信者。ユーモラスに書いてあって面白く読みやすい。

●娘視点

2015年出版。三女アーチャリー、松本麗華さんの手記。



2010年出版。四女さんの手記。

どちらも何かが嘘だ本当だと論争があるが、お二人の境遇には涙なしには見れない。


●麻原国選弁護人視点


2004年出版。渡辺脩弁護士著。
このあたりまで読んでいると、麻原氏について自分がどれだけ理解が浅かったかを痛感し始める。


●被害者視点

1998年出版。地下鉄サリン事件被害者の会による手記集。




1999年・2001年出版。村上春樹による被害者、元信者たちへのインタビュー集。



他の記事に紹介した本ももちろんおすすめ。
どの本が真実を語っているとか、どの人がどうとかという検証は、わたしはもうしない。個人的な感想も省いた。
以前も書いたが、「オウム真理教」と名のつく本を片っぱしから読むことをおすすめする。

2015年9月21日月曜日

宗教情報リサーチセンター「オウム真理教を検証する そのウチとソトの境界 線」



地下鉄サリン事件20年目は、色々なことが本人の中で時効になったのか、様々な情報が飛び出す。
事件当初、裁判当初から分かっていたけれども、マスコミによって捻じ曲げられた情報も、より真実に近い状態で発信される。

宗教情報リサーチセンター・井上順考氏は、情報時代のオウム真理教 などオウム真理教について優れた著作を今までにいくつも出してきた。

それらの情報が最新にして最強に集合したのがこの一冊といえる。

すごくおすすめです。20年目にして最強の入門書!



この本の優れた点は、総勢10名の執筆陣からなる多視点からオウム真理教・オウム事件について論じられているところである。

第一章 藤田庄市先生による「麻原言説の解説」
藤田先生といえば、オウム真理教事件 (ASAHI NEWS SHOP)  宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと などで著名なジャーナリストの先生。ネイキッドロフトでは、カルトスリーとしてトークした。
この第一章で、麻原が教団の前身団体設立当初から、反社会的野望を持って組織へ君臨しようとしていたことを当時の説法の紹介を中心に語られる。

第二章 高橋典史氏「引き返せない道のりーなぜ麻原の側近となり犯罪に関与していったのか」では、新實智光さん、早川紀代秀さん、広瀬健一さんの三名を主に取り上げ、彼らが「なんの不自由のなさそうなそれまでの社会生活」を全てなげうち、なぜ側近として引き返せない行為へ及んでいったのかが論じられる。
特に「宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと」でも取り上げられていたが、この章でも、ブレないでおなじみの新實さんが主に取り上げられ、入信当初から現在に至るまで、頑なに信仰を捨てずに生きていることが問題定義される。
新實さんは、けして特異な存在ではないと感じる。
わたしの知人にも、未だにカルト信仰を捨てられない人は何人かいる。
彼らが真剣に語ることは、はたから見たらカルトで、わたしですら簡単に論破できるけど、彼らは「でも・・・」と言ったまま口をつぐみ、現状を維持しようとする。
わたしは彼らについて、色々な考えが巡る。過去に人を信じられないなにかがあったんだろうか?他に大切なものを見出せないのだろうか?失礼ながら、病気だろうか?発達障害だろうか?・・・
でもそんなことを、第三者であるわたしが考えても仕方のないことなのだ。
彼らは存在し、わたしと仲良くできるところがある。それでいいんじゃないか。仲良くできない、イラっとしたからって排除しようとも思わない。もうお付き合いやめようかな?くらいの気持ちになるくらい。
気持ち悪い、下賤、いやらしい・・・そのように感情的に排除しようとしたら、あとになにが残るのだろう。
カルト信仰者は、極論に寄っている。対するわたしも極論に寄ったとしたら、なにも生まれない。結局はバランスをとろうとすることが大切だと思う。(かといって完璧なバランスなどとれない。)

第三章は、藤野陽平氏による「疑念を押しとどめるものー脱会信者の手記にみるウチとソトの分岐点」
第二章よりもう少し身近にフォーカスされ、世の中にたくさんいる脱会信者についての章である。脱会者による手記は、カナリヤの会、滝本太郎弁護士、家族の会永岡氏の息子さんを中心に、村上春樹 約束された場所で―underground 2 (文春文庫) などでも述べられる。この本、全体を通して優れている点は、優れた著作が満遍なく紹介されている点といえる。出典が明らかになることで、より詳細を知りたい人はその本を読めば良い。ちなみにわたしはストーカーされたので、カナリヤの会の本はもう読みたくない。
脱会信者で、一生懸命社会復帰されている人も何人もいる。しかし同時に、社会復帰が難しい、精神的な病に悩まされたり、悲惨な状態にある人もいると聞く。形だけ脱会していても、信仰を持っている人もいる。わたしたちは、その現状を知るべきであると思う。

第四章は、井上順考氏による「科学を装う教えー自然科学の用語に惑わされないために」。
麻原は「オウム真理教は、宗教を科学する!」とドヤ顔でよく言っていた。どゆことやねんと思っていたが、ダルドリシッディをする信者の脳派を測るとか、アンダーグラウンドサマディをするとき空気量と呼吸量を測っていたとか、そういうことをやり、結果をドヤ顔で本にしたり、機関誌で発表したりした。しかし当然のことながら、記録は改ざんされている。こんなのに、超伝導の最先端研究者だった広瀬健一さんが騙されていたのだから、本当に手に負えない、一筋縄ではいかない手品をしていたのだと思う。
この章では、理系出身の信者が多かったことなどに焦点をあて、彼らがどのように騙されていったのか、彼らの思考回路から解き明かされていくので大変興味深かった。
全ての事象を科学で説明しようなんて、奢りも甚だしいことだ。

第五章は、矢野秀武氏による「暴力正当化の教えに直面したときー何をよりどころに考えるか」。
「洗脳」と「マインドコントロール」の違いは、暴力があるか否かで例えられることがある。暴力を伴うマインドコントロールが「洗脳」であると。
オウム真理教は暴力を肯定した。「ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです」という迷言が有名だ。ポワというのは、もともとはチベット仏教による魂を引き上げる儀式。人に暴力をしても殺しても、「尊師」がやるなら「ポワ」になる。これは信者にとってはむしろありがたいことなのですよ、というのが言い分だ。アホか。
なんJやツイッターで、素早くネタにする現代の若者の方がステージが高いと思う。

第六章では、平野直子氏、塚田穂高氏による「メディア報道への宗教情報リテラシーー『専門家』が語ったことを手がかりに」である。
オウム事件とメディア論は、切っても切り離せない。そんな報道でよかったの?ということがたくさん出てくる。そしてさらにこの章では、待ってましたの中沢新一・山折哲雄・島田裕巳批判である。
現代にオウム真理教を調べようと思った時、当時の空気がわからなくて、また当時週刊誌でされたであろう論戦もわからない。この章では、当時の宗教学者がどのようにオウム真理教にコケていったかが、わかりやすく論じられている。

第七章、井上氏による「学生たちが感じたオウム真理教事件ー宗教意識調査の16年間の変化を追う」。
地下鉄サリン事件から20年、いまや当時生まれていない、記憶がないレベルの学生が大多数だ。そこを狙って現代のオウム(アレフ・ひかりの輪)も、勧誘をしかけてくる。他のセクトも。学生のみなさまは是非注意してもらいたい。
オウム真理教の関心の度合いなどが、統計で論じられ問題定義されていて、大変興味深い章の一つだった。

第八章 井上まどか氏による「今なおロシアで続くオウム真理教の活動ー日本とロシアの平行現象」。
ロシアオウム、キター!!と言わざるをえない。
最近このブログを読んだわたしにはなおさらである。もう全然ロシアのオウム(ロシ輪)元気じゃないですか。大丈夫ですかねこれ。

特別寄稿は、高橋シズエ氏による「地下鉄サリン事件遺族の20年」。
村上春樹氏の アンダーグラウンド  にあるように、被害者の存在、考えは絶対に忘れてはならない。

以上、全体を通していかにこの本がおすすめであるかを記してみた。
やはりオウム真理教事件は、宗教的なものと有機的に結び付けないと理解が難しい。
最後に、井上氏によるあとがきから。

それぞれの宗教の素晴らしい点については、その信奉者が説いてくれる。幸せなことに、現代の日本は、歴史のあるなしにかかわらず、個々の宗教が自分たちの主張を自由になせる国である。どのような主張にも耳を傾けたい人は傾けることができる。宗教系の学校はそれぞれの建学の精神にもとづいて、その宗教の理念を教えることができる。ところが、公立学校や一般の私立学校では、それはできない。では現代宗教については何も教えなくていいのだろうか。少なくとも若い世代が陥りがちな危険性については、前例を示して注意を喚起することくらいは必要ではないだろうか。「さわらぬ神に祟りなし」とか「臭いものに蓋」といった態度ばかりでは、日本における宗教文化の望ましい展開にとってもマイナスであろう。



本日は以上です。

2015年9月17日木曜日

佐木隆三「大義なきテロリストーオウム法廷の16被告」



わたしは、オウム本を選ぶ時まず出版された年月を見ます。
古い本だからといって読むに値しないというわけではありません。
ただ、その時の事件や裁判経過の背景を知っておかないと、流れがわからないというか、なんとなく落ち着かないので・・
ちなみに、オウム真理教年譜 に元幹部である12名の死刑囚の方達の確定年月日を追加しておきました。

佐木氏の本は元幹部たちの人間性を物語のように紡いでゆくのが魅力です。
この本は、オウム信者16被告それぞれの裁判をなぞって書かれています。
しかし、2002年に出版されたこともあり、オウム裁判はまだ終わっておらず、情報が不確かな部分もあります。

広瀬健一さんが、事件後のショックのあまり声が出なくなり、それでも出廷し続けたのが印象的でした。
ボリュームがあるけどとても読みやすいです。

2015年9月11日金曜日

伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」


自宅にある本をかたっぱしから見直してみよう。
と思ってリビングにオウムの本を積み上げたら、夫にいぶかしげな顔をされた。

わたしは、オウム真理教ってなに?と聞かれたら、まずこの本をおすすめしています。

地下鉄サリン事件実行犯である豊田亨さんの同級生の筆者が、親友としてみた豊田の素顔、どうして空中浮揚などの神秘体験といわれるものが起こるのか、出家システムとは、麻原の世界観とは、全部この本を読んだらわたしの中に論理的に落ちたからです。

こんなエール文も見つけました。
上野千鶴子「イトケンシュタインの冒険」





さて、タイトルと上記とは加藤茶のブログ並みに関係ないのですが
元少年A 公式ホームページで公開した自作イラストと全裸写真 許せますか

元少年Aさんの公式ホームページをご覧になられたでしょうか。
今落ちてるんですかね。
わたしは見てしまいましたが、アーティストな人なのかなーと思いました。
今はアウトサイダーっぽいですが、芸大や美大で、技術を学んだらそれなりのアーティストになれそうな片鱗を感じます。実際、ダリやユトリロ、ゴヤ、日本なら太宰治とか・・・精神病を患っていたアーティストはたくさんいます。元少年Aさんも、猫を殺してしまう前に、なにか自分の作品に向かえなかったかと悔やまれます。
ちなみに精神病に働きかける、図画工作などの手作業を作業療法といいます。ちゃんと作業療法士という国家資格を持った職業の人もいます。
少し変わってるかな、おかしくなってるな、という子供を大人がちゃんと感じ取って、適切に対処してあげれる社会になったらいいなと思います。
わたしが以前聞いた話で、授業中に陰鬱でシュールな絵を描いた中学生の男の子が、その翌日に自殺したと。どうして指導教諭は、その子のSOSを感じ取ってあげられなかったのかというお話がありました。

ところで、この記事にもありますが「許せますか」とは、世間に言ってるのでしょうか。
許すか許さないかは、被害者の方たちが決めることだと思います。
この事件は、被害者の方たちは元少年Aさんを全く許していません。これはわたしたち世間が知っているべきことです。
しかし、仮に世間もが許さなかったら、無意味に憎悪が増幅してゆくだけなんじゃないかなーと思います。
少数の病気や、社会的にハンディを持っている人たちを排除・攻撃するだけの社会になってしまったら、結果的に排除された側が「健全で普通な人たち」を攻撃することもあり得ます。
嫌悪感があるなら、関わらなきゃいいんじゃないですかね。

2015年9月10日木曜日

塚田穂高「宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学」



個人的にお勧めな本について、「本」ラベルで綴っていきたいと思っていたのですが
わたしの表現力が乏しく、感想は基本的に「この本、よかった!お勧め!」しかないのです。

でも、本を読んで事件を学ぶことはとても大切です。
いろいろな本が出ていて、いろいろと情報をおさえた上での考察がお勧めです。
わたしは、事件に興味を持ってから、図書館やamazonでかたっぱしから「オウム」「麻原彰晃」と検索してヒットしたものを読んできました。

この本は、2015年4月に発売されました。
地下鉄サリン事件から20年を迎えてから出版される本は、なにやら今までの本とは違う雰囲気があります。
この本は、タイトルからわかるように、オウム真理教だけではなく、新興宗教・新新宗教など様々な宗教と政治を絡めて論じられています。

第6章 オウム真理教=真理党ーシャンバラ化の夢想、ハルマゲドンの回避ー にオウム真理教について論じられています。
オウムの裁判の結果では、「麻原は参院選落選をきっかけに武力革命に思想を転じた」とされていますが、「麻原彰晃の誕生」にもあったように、麻原は、1984年に「オウムの会」を立ち上げ、その翌年には「地球が危ない」「ハルマゲドンが起こる」など「ムー」や「トワイライトゾーン」に記述し、麻原自らが神に選ばれた存在であることをアピールするとともに、反社会的思想も見え隠れしていました。

 オウムと麻原には、その当初から、その運動(政治進出)を方向づけるような強い国家・社会観、ユートピア観といった理念が確かにあり、繰り返し表明されていた。本章では、そのことを明らかにし、それと政治進出との連関を示したい。(本文より)

オウム真理教の歴史・事件を宗教的・政治的に丁寧に紐解かれた記述で、大変興味深い内容でした。


2015年9月4日金曜日

般若心経を椎名林檎風に訳してみた

観音菩薩は、深遠な知恵でおつしゃつた

人の本質は 心身を構成してる五つの要素 いづれでもなきや
それを教えてあげましょう

舎利子よ
形あるものは実体がない
実体がなきゆえ一時的な形あるものなのです

また 形あるものは実体無きものであり
実体なきことが形あるものなのです

心はどれも おなぢ働きをするやうです

舎利子よ
世の中 あらゆる存在や現象 皆んな実体なんてありません
ならば 生じた 滅した 皆んななきものなのです

よごれたもの
きよらかなもの
増えるもの
減るもの

そんなものは あって無いのです

実体がないということは
形もなくて

感覚
思想
意思
知識もないし

身体
精神もない

触覚
心にふれるものもない

受容される眼識意識 あらゆる分野もない

悟りに対する無知もない
無知がなくなることもない

ついには老と死もなく
老と死がなくなることも消え失せる

苦しみもその原因も
それをなくすことも
そしてその方法も なきことなのです

知ることもなければ 得ることも御座いません
かくて 得ることもないのだから

悟りを求め 知恵の完成に住む これこそ

かくて 心は何のさまたげもなく
さまたげもないから恐れもないのでしょう

あらゆるおそろしい考えから
遠く離れているので
わたしたちはもう しづかに眠るだけ

過去・現在・未来にゐる覚者たちは
知恵を完成することによって
この上ない悟りを得るのです

故に
知恵の完成こそ 偉大な真言
悟りのための真言
極上の真言
この世のすべて

あらゆる苦しみを除き
虚妄ではなく 真理
さあ 知恵の真言をうたひなさい

"往きて往きて 彼岸に往き
彼岸に到達したもの
あなたこそ 悟りなのです"


めでたし。


2015年9月3日木曜日

拘置所墨塗り事情

死刑囚交流誌「ユニテ通信 希望」でたびたび話題にあがっていますが、わたしも「墨塗り」に何度か遭遇したことがありますので、それについて記したいと思います。

ちなみに、当然ながら、わたしはどの死刑囚と知人であるとか、誰と会ったとか誰の資料を持っているとか、交流者を知っているとか、プライバシーなども含めてそういうことは一切公開するつもりはありません。
なので、フェイクも入れて書きますのでご了承ください。
疑問質問などは直接メールなどいただけたら。(akaneyamada@gmail.com)


死刑囚の猪熊氏は不当な郵便物の不許可や手紙の墨塗りに対して、強く抗議し、訴訟をしています。(詳細は上記リンク「国賠訴訟」関連で。)あまり有名な話ではないかもしれませんが、家族や友人との、何でもないやりとりが「他の死刑囚の名前が入っている」などの法律に規定もされていない謎理由で読めなくさせられるのは、おかしいのではないでしょうか。というお話です。


確定死刑囚は家族と決められた交流者しか面会と直接の手紙のやりとりができません。
家族や交流者以外の人物が家族か交流者を通してメッセージを送ったとしても、「伝言」とされ不許可となります。
例えば「父です。元気ですか。幼なじみのAさんもおまえ(死刑囚)のことを心配してたぞ。」
と実父が書いたら「幼なじみのAさんもおまえ(死刑囚)のことを心配してたぞ。」の部分だけ伝言とみなされ抹消されるという原理です。

わたしはそれを聞いて、
「せっかく事件を体験した生き証人がいるのに、話を聞けないなんて勿体ない!」
と心底思いました。
マスコミの取材すら受けられないのです。
(テレビに登場する確定死刑囚からの手紙は、すべて家族や交流者を通してのものです。)
滝本弁護士も講演などで「死刑囚との交流が難しい」とこぼされていたのは、こういうシステム故と思います。

わたしも直接の手紙のやりとりはしたことはありません。
ただ時々、交流者の方のご厚意で、わたしの書いた誰宛でもない文章を送付していただくことはありました。(パンフレット・資料のような扱いで)
その中で、最近遭遇した墨塗りは以下のようなものでした。

まず墨塗りや不許可となる大前提で、「規律秩序を害するおそれ」となるということでした。
「おそれ」の中には、法律で
①刑務事故をあおる
②施設内の秩序をおびやかす
③風俗上問題のある描写
④犯罪の手段

以上いずれかと規定されています。


その中で墨塗りされた文章のおおまかな内容は以下です。

・裁判の傍聴に行ったこと
・友達のこと
・事件についてのニュース番組でのコメンテーターのコメント
・わたしの感じた事件についての所感


どこも刑務事故にならないし、秩序もおびやかさない、エロトークでもないし、犯罪の手段も書いてません。
あくまで感じたことを感じたまま、事実を事実のままに書きました。



墨塗り事例は他にも、またわたし以外でもたくさんあります。
このように、正直、謎なところで墨塗りされてしまいますというお話でした。