2015年8月24日月曜日

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 3

前回

安田弁護士:
事実を知れば知るほど、理性的に物事を捉えられると思います。まだまだ、これからも努力が必要ですね。

<ここで有田議員にヘイトスピーチの話題がふられましたが、ヘイトスピーチについてはよくわからないのでメモれませんでした。>

安田弁護士:
それでは「4 オウム事件と今日の日本」というテーマへ入ります。
そもそも、麻原さんとは、詐病なのでしょうか。

松本さん:
父とさいごに会ったのは、2006年・・・7年以上前のことです。
声すら発さない。発している音はあるけども、綺麗に発声はできない。
わたしに気付いてくれない。
面会室内で、突然大きな音をたてて、刑務官や面会者はみんなびっくりしたのに、父だけなんの反応もありませんでした。赤ちゃん以下だなと思いました。
生きていない、崩壊しちゃったんだな、と。
仮に詐病なら、父は神だなと思います(笑)

安田弁護士:
(笑)

有田議員:
あるジャーナリストが、麻原さんが、判決の日に退廷する時、両脇の刑務官に「立ちたくない」とダダをこね、刑務官が持ち上げ、引きずるように連れて行ったと書いていましたが、麻原さんの横についていた刑務官というのは、麻原さんの裁判の最初から判決の時まで一貫して同じ人なんです。その人に、このジャーナリストが書いたことが本当かどうか確かめました。答えは、「ダダなんて一切こねていない、何を言っているのかわからない状況だった」ということでした。
また、森達也さんの「A3」という本がありますが、この本は、文庫版になるとき大幅に加筆修正されていますが、その文庫版に、麻原さんの現状は分からないが、2011年平岡法務大臣が会っている、と書いてありました。本文中、平岡法務大臣は、「会った、というか見た。筆舌に尽くしがたい。」と言ったとあります。これも、わたしは平岡大臣へ直接確認しました。それは、東京拘置所は独房に監視カメラがついているのですが、そのモニタールームを視察し、そこへ一瞬映し出された、監視カメラの麻原さんを見た、ということでした。
また、週刊ポスト4月X日号(メモありません、すみません)に、麻原さんが逮捕された同日の5月16日に、死刑執行がされるのではないかという記事が、法務省関係者からのリークということで掲載されました。これもウソです。
死刑執行というのは、死刑の起案書というものを、法務大臣へ提出され、それにはその死刑囚の経歴などどんな人なのかが書いてあるのですが、それを確認した法務大臣が死刑執行の許可をするという仕組みになっています。麻原さんの死刑の起案書というものは、一度も出されたことがありません。
また、麻原さんが執行されない理由が二点あります。
一点目は、執行をする法務大臣は、強力な法務大臣でないといけません。執行後、SPが一生つくような。
二点目は、死刑囚の精神鑑定が死刑に耐えうるものでないと、ありえません。

安田弁護士:
死刑について、みなさんはどう思われますか。

河野さん:
判決文では、更生の余地なしと言われている人もいますが、しかし、加害者も被害者も、時間とともに変わるものです。更生の可能性が無いことはありません。
死刑の一番の問題は、誤認逮捕、ミスジャッジ・・・つまり冤罪です。人は間違うものです。確実な問題ではありません。

松本さん:
人の命は大切だというふうに、日本では教えられますが、現実には死刑判決があるという矛盾でずっと悩んでいます。
人を殺したとしたら、殺すという刑罰があるべきなのか・・・
ある方が、「命がかけがえのないものとなると、国家が殺人を教えてることになるんだよ」と教えてくれました。
命の重さを、自分を傷つけたから殺していいとか、考え出すと、どんどん、小さい理由でも殺人をしていいという考え方になってしまいそう、と感じています。

安田弁護士:
13人の死刑執行は、日本の将来を決定付けるのではないかと思います。



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書き取りは以上になります。
途中、メモっていなかったり、ちゃんと書けていないところもあると思います。
飽くまででわたしの書き取りということで・・・
もし、加筆修正していただける方がみえたら、ご協力いただけるとありがたいです。

2015年8月23日日曜日

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 2

前回

安田弁護士:
松本さんは、事件を知った時の心境はどうだったのでしょうか。

松本さん:
事件の細かいところが明らかになっていく過程で、絶望と、嫌悪感と、信じられないという気持ちの混乱の中にいました。
父以外の実行犯の人は、みんな「犯行をやった」と言っていて、これはしっかり受け止めなければ、いけないんだと思いました。
ある機会に、中川さんのお母さんが、「あれだけのことをしたのだから、普通の死に方では、本人も納得できないでしょう」とおっしゃいました。自分の息子について、そんなことを言うなんて、一体どんな気持ちなんだろう・・・・と、想像した時、それまで、どこか他人事のように感じていたこの事件が・・・わたし一人の問題じゃないことだとすごく思いました。
わたしは、中川さん、みんな、兄のように思っていました・・・(泣きそうになりながら)そういう人たちが、罪を犯していた・・・・・耐えられない・・・・・耐えられないかんじですね・・・・・・・

安田弁護士:
事件と現実があまりにも違って、そのギャップが続いているんですか。

松本さん:
もしかしたら、事件を起こしてしまう人っていうのは、普通の人が、出世欲や何か絡んで、普通より、ちょっとまじめで、ちょっと世の中を変えなきゃいけないと考えるのかなって。そう考えたら、わたしも、となりの人も、いつ何をするか分からない。
人を殺すのは、想像してたよりもずっと・・・・・・紙一重なのかな、と思いました。
一人一人は、本当に、優しい人です。今でも。
でも、彼らは事件にいっちゃって、物ごとを確認する、自分の失敗を受け入れる強さとか、そういうのが必要なんだなと思いました。

安田弁護士:
親子の関係ということで、荒木さん、どうですか。あなたのご両親と、よく会うんですけども。

荒木さん:
知識と、理解、受け入れるということは、段階がありまして・・・
否定したい、ってのもありましたし・・・20年かけて、格闘してきました・・・今も、まだ、納得が得られていないです。弟子として、納得ができません。

安田弁護士:
教祖が話さないと?

荒木さん:
そうですね。

安田弁護士:
それでは、「3 オウム事件後の社会は、どう変貌したか」です。
河野さんは、監察委員もされていましたが、どうでしょうか。

河野さん:
わたしは、オウム事件後、犯罪被害者の基本的な支援体系が、出来てきたと思っています。以前は、犯罪被害者を助ける法律がありませんでした。まだ、遅れてる部分はありますけども。

有田議員:
日本は監視カメラが、全国各地に設置されています。監視カメラの台数は世界一と言われています。
これは、オウム事件以降のことだと思います。
何か特別な団体に、特別な人たちが入って事件を起こした・・・というわけではありません。信者たちは、まじめで、家族思いの人たちです。彼らが入った組織が変質したと考えるならば、わたしたちも他人事ではない。自分たちの家族や友人が、そういうものに関係せず、生活できるかが問題です。
脱会信者の支援を、保健所を拠点にして、しようとしていたことがありましたが、結局政府は何もしませんでした。アメリカの方が、支援や研究をやっていました。
政府がこのまま何もしないならば、別のこういった組織が出てくるのではないかと危惧します。
また、ネットでは、匿名で人を攻撃できることで、憎悪が増幅します。
オウム事件後から、こういう社会に発展してしまったのではないでしょうか。

安田弁護士:
以前はもう少し、自制のきいた社会だったのではないかと思います。

松本さん:
個々人は、受け入れてもいいとしても、受け入れることによって、社会から排斥されることがあります。「自分としては、正しくないけど、ごめんね」と言われることが多いです。
facebookでも、20年経っても、わたしと友達になる、付き合うだけで、付き合う人が切り捨てられるんです。それが難しいです。「あなたには問題はない。だがあなたのバックが問題で受け入れられない」と言われます。これが仕事なら、わたしも生きていけないとなります。

有田議員:
その問題に関しては、オウムの後継団体が、どこまで反省しているかということもあると思います。上祐さんは自分の手記を出しましたが、それに17年もかかった。17年は遅かった。
荒木さんに聞いてみたいんですけども、あなたは教祖から、説法中に、「グルが警視総監の首根っこを捕まえてこいと言ったら、できるか」と教祖から質問されて、「あれ、こんなこという教団って何かおかしいな」と思いませんでしたか。
また、野田成人さんの本も不満だ。「革命か戦争か」とかいうやつ。野田さん自身は、当時、車両相大臣ですか、それが重要なポストなのかはわかりませんが、事件について、ほぼ触れていない内容だからです。
全体として、事件の総括・反省をきちんとしていません。そういうわけで住人たちが感情的になることもあると思います。

安田弁護士:
人は、他人を傷つけなかったらゆるされる、という思想の自由を信じています。サマナ(出家信者)の中で、事件に関与したのは、何百人です。ほんの一部です。やらなかった人、知らなかった人には、責任を負わせてはなりません。
裁判で、「オウムを辞める」と言った人には執行猶予がつき、辞めない人にはもっと重罰があった。これは差別です。


有田議員:
自分は拉致問題もやっているのですが、国際人権基準に、日本は、人権の考え方がおかしいと言われます。これは、国際人権基準が日本政府に申告していることですが、改められません。
在日問題にもおかしい点がある。

安田弁護士:
河野さんは、「相手よりひとつ高度な見方でないと、憎しみが生まれてしまう、それは子供によくないことだ。そういう見方でないと、トラブルは解決しない。」といったことを本に書いてましたね。

河野さん:
松本サリン事件発生時、社会から排除され、犯人扱いされましたが、その時、同時にわたしの家族も、友人も、親戚も、みんな社会から排除されてしまうのです。そうすると、感情がぐしゃぐしゃになります。犯人以外は、普通の人扱いしなきゃならないのに。
行政も差別しています。オウム・アレフ信者の住民票不受理は、市長が判断していましたが、いち市町村が法判断までしてしまっている。これはおかしいですが、こうしたほうが、世間にウケるんです。
この国の人とは、みんなと同じでないと落ち着きが悪い、と言われます。
わたしは、冷静になりましょうよ、とずっと言ってきたつもりです。
そうしたら「お前はオウムの肩を持っている」と批判されたりしますが(笑)
事件での長野県警は、刑事部長一人が、加速していました。
それに対して、課長が止めてたという状況です。警察は縦社会なので。
そういう構図をみると、長野県警を恨めなくなりました。
オウム事件について、今は分からないけど、50年経ったら分かるかもしれない。
人は、喋れない時もあります。長いスパンで、何が真実かを探って、再発防止に歯止めをかけないと、と思います。


つづく

つきまといをされたこと

一部の方に、大変ご心配をおかけし申し訳ありません。
わたしは8/22のフォーラム90のシンポジウムにおいて、つきまといの被害を受けました。具体的には、以前から突然のリプ、DMを送ってくる方がいて、のちにネット上での誹謗中傷、不快なエアリプ、わたしの居住地のツイなどを含んだツイートなどに発展してゆき、困っていたのですが、その方に8/22のシンポジウムの会場で、狭い出入り口前で外から待ち伏せをされ、わたしと友人が会場のビルから出て行くところ、急に外からドアをあけ、狭い出入り口前で完全に立ち塞がられ、「憶えている?」など繰り返し言われ、その方は体格もよく、出入り口は片方が閉まっており隙間もなく、出たくても出れなくなり、非常に怖い思いをしました。
その後、わたしの知人へ被害が発展しそうになりましたので、個人的にメールをさせていただき、わたしの何が気に入らないのか、なぜそのような言動に走るのか、知人への被害をやめて欲しい旨を伝えました。
返事は、知人たちへの配慮もありここでは公表できませんが、一方的で、論理的に破綻しており、完全に、事実無根のことでつきまとい、嫌がらせをしていると判断しました。

例えば、わたしのツイートの何が気に入らないかについて、一部転用します。
>(相手)Twitterで願望か妄想か知らないが話しを盛るとこかな
>>(わたし)ツイッターで話を盛った覚えもありません。具体的にどのようなツイートでしたか。
>>>何?それを一々過去ログから探れと?
>>>>根拠のないことで非難しないでほしいので、こう申しました。
どのようなツイートだったか教えてください。
>>>>>ツイート、鍵付きブロックでもう見れないから
>>>>>見れないとしても、どのような趣旨のツイートだったか教えていただけませんか。
それともはじめから、なかったのでしょうか。
>>>>>だから遡ってツイート見て、これは盛ってると示せばいいの?
>>>>>>わざわざツイートを見なくても、あなたが最初から言っている「盛ってるツイート」の趣旨を教えてくださいと言っているのです。どのような内容で批判されているのかわかりません。しかし、その内容すら示せないなら、事実無根のことなのではないですか。そのようなことを広めようとするのはやめてほしいと言っているのです。覚えてすらいないツイートで、勝手にわたしを批判しているのでしょうか。
>>>>>>>やるならホント一つ一つのツイート検証するよ
>>>>>>>>今の時点で示せないなら、事実無根だと思います。
概要、趣旨だけでいいのですが、それすら示せないのですね。
そういうことでしたら、「わたしの願望と妄想、盛ったツイート」というのは、あなたの空想上の産物、つまりあなたの願望と妄想ということでよろしいでしょうか。
今の時点で、あなたにツイートを見られたくありません。
気持ち悪いので。
今更、検証される覚えもありません。
>>>>>>>>>逆に私が鍵掛けた後にあなたに根拠示せと言って数あるツイートから絞れる?
>>>>>>>>>>何を言っているのかわかりません。
あなたのツイートをどうしてわたしが覚えて示さねばならないのでしょう。(中略)これ以上の議論は無理だと判断します。
気持ちが悪いので、これ以上わたしに関わらないでください。


以上です。
今回のように現実で実力行使のように出られると、わたしは体育の成績がいつも1か2だったこともあり太刀打ちは出来ず、ひたすら恐怖に苛まれてしまいました。人間関係上、フォロワーさんを何人かブロックをさせていただきましたことをお許しください。
また、今回のことで、助けていただいた方、励ましていただいた方、本当にありがとうございました。
次回はじっくりとオフ会にのぞみたいと思っています。

2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム 1





2015年8月22日 オウムと死刑を考える シンポジウム

出演:
松本麗華さん
河野義行さん
有田芳生議員
安田好弘弁護士


シンポジウムに行ってきました。
とても勉強になりました。
以下、重要と思った点の書き取りです。
正確な一言一句ではありません。
省略もあります。
ご了承ください。
また、訂正箇所などありましたら、お知らせいただけるとありがたいです。



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安田弁護士:
進行役をつとめさせていただきます。
今日のテーマは
1 オウムとの関わり
2 オウム事件とはなんだったのか
3 オウム事件後の社会はどう変貌したか
4 オウム事件と今日の日本
です。

それでは、「1 オウムとの関わり」です。
河野さんからおねがいします。

河野さん:
こんにちは。河野です。
1994年6月におきた、松本サリン事件で、オウム事件に関わりました。
この事件で、わたしの妻は心肺停止をし、14年間、意識が戻らず、亡くなりました。妻をいれて、最終的には8人の死者を出した事件になります。
妻は、サリンにより低酸素脳症という状態になりました。これは脳内の酸素濃度が下がり、脳が萎縮していき、最期の方は体温が低下していきました。夏でも湯たんぽをしていました。
わたしの場合は、犯罪被害者として、働けないとか、そういう問題に直面しただけではなく、この事件の二日後に殺人犯になってしまいそうになりました。これは、警察のリークから、マスコミがわたしがやったという印象の報道をはじめ、わたしが入院した2日間で報道が過熱しました。
最終的には、病院もマスコミからわたしを守りきれず、退院してくださいと言われました。退院後、犯人扱いされるような内容の事情聴取をされ、逮捕を覚悟しました。
わたしは家族を守る為、弁護団を組んだり、資金繰りをしたりしました。財産をなげうって家族を守ろうと思いました。
しかし、翌年1月、読売新聞のスクープで、報道の流れが変わりました。
アレフの人たち、客席に来ている荒木浩さんも、妻のお見舞いに来てくれて、わたしはそれを受け入れていました。
アレフだからといって、世間が差別するのは許せません。自分の体験と重なるところがあります。

安田弁護士:
事情聴取を受けた時、死刑になるかもしれないという気持ちはありましたか。

河野さん:
わたしは入院中に報道を知って、子供たちに、「警察の誤認逮捕、裁判のミスジャッジはあり得る。このように『最悪』が重なったら、お父さんの死刑はありえる、人間のやることは、間違いがある」と伝えました。

安田弁護士:
有田さんお願いします。

有田議員:
1980年代、出版社をクビになり、フリーで活動するようになりました。
その時朝日ジャーナルが、霊感商法の特集をやっていた。そしてその頃、江川紹子さんが、オウムをやっていて、わたしは週2回くらいで江川さんと飲んでいた。その時、江川さんからオウムについて詳しく教えてもらいました。
事件から10年後、警視庁の幹部と飲み会をしました。今だから言えるといって、当時わたしの事務所にわたしがいない間に上がり込んで調査したり、尾行したり、妻も尾行したりしていたという話をされました。50人体制で尾行されていたそうです。

安田弁護士:
それだけの警察がついてて、どうして事件が止めれなかったんでしょうね。
それでは、松本さんよろしくお願いします。

松本さん:
わたしは、事件当時の関わりはありません。ただ、事件前後を過ごしてきた、ということでしょうか。
しかし、父や親しい人たちが、軒並み逮捕されて、面会や差し入れをしていくうちに、事件に向き合わざるをえませんでした。

安田弁護士:
本を出された思いは何でしょうか。

松本さん:
本を出す時は、怖くてとても悩みました。
しかし、父が心神喪失で、赤ちゃん以下で、執行される恐怖がありました。
あと、わたしがいくら教団から離れても、公安から尾行や盗聴されて、わたしもいつ何で逮捕されるか分からないという恐怖がありました。
こうなったら、もう自分から、しっかり発信できる人になろうと思いました。

安田弁護士:
では、次のテーマ「2  オウム事件とはなんだったのか」に参ります。
事件とは、狂気か、教祖か、信者か、何が問題だったのでしょうか。

河野さん:
誰もわからないんじゃないかと思います。教祖本人が話さないと。
裁判は、起訴事実のみ語られます。真相というのは、実際には分かってないし、分からないのでは。
麻原さんに喋っていただかないと。
ただ、社会の正義と、あの組織の正義は違った。

有田議員:
シャクティーパットは、暗示作用もあったかと思いますが、やはり麻原さんには優れた能力があったのでは、とも思っています。
教団は、最初はヨガのサークルでした。信者たちの入信同期も、ほとんど健康目的の人ばかりだった、あるいは真面目に悟りを開きたいという人もいたかと。
最初に信者さんが亡くなりました。それを表に出さないことで、内部の軋轢ができて、次に信者を殺してしまった。そこから隠さなければという精神が出てきたのでは。
上祐さん、早川さんは選挙出馬を反対したが、選挙に出た。
麻原さんは本気で当選すると思っていたから、落選した時、陰謀だといった。そして石垣島ツアーを行い、ボツリヌス菌の準備をした。
村井秀夫が殺されたことや、井上嘉浩の動きなどを追うと、幹部間で出世競争があったのではとも感じる。
教祖の威を借りて、動いた場面があったのではないかと。

松本さん:
わたしは、事件についてしっかり勉強できていません。
当時の教団の空気や、(囚人たちへ)面会した状況から感じたことは、事件を起こした真相は、個々人によるもので、日本人的・人間的な弱さが大きかったのではないかと思います。
父は、性格的に空気を読む、おもんばかる、人をねぎらったりとか、人から嫌われたくないという繊細さを持っていました。
そういう人を、周りの人間たちが神格化して、周りの人間が力を得てゆく。周りも空気に逆らえなくて、例えば作業についてもこれはこうでいいんですかとか、確認をしない、なんとなく、グル・・・グルというのは父のことですが、グルの意思をおもんばかる、という教義ゆえ、暴走しやすい空気ができたのではないかと思います。

安田弁護士:
共犯者たちは、マインドコントロールだったということで解決されていますが、そこのところが、詳しく、どういう思いだったかということが、法廷では全く明らかにできませんでした。そこのところを、今日会場にいらっしゃる、荒木浩さんと、永岡さんにも聞きたいです。

荒木さん:
・・・みなさんのおっしゃることは、もっともだなと思います・・・

安田弁護士:
タントラヴァジラヤーナという教義は、人を殺すことが正しいということを説いていますが、その教義についてどう思いますか

荒木さん:
わたしも、同様の教えを学んでいましたが、事件には結びつきませんでした。
「でっちあげ」だったと思っていました。
当時の空気としては・・・事件に飛躍するような感じではなかったけども、組織は大きかったので、一人一人が思い思いに動いているところがありました。
松本さんの言う様に、そういう所はあったと思います。

安田弁護士:
「尊師」の命令に、絶対従え、と言われていましたか

荒木さん:
当時はそうでしたが、あくまで一般的なものだったと思っていました。
どんな宗教でも、信仰があれば、その宗教が崇めているものに帰依するじゃないですか、そういう普通の信仰と変わりません。
宗教的な、「グル絶対」だったと思っています。

安田弁護士:
永岡さんはどうですか

永岡(英子)さん:
わたしは、今日は、おしゃべりするなと、言われてきたのですが・・・
教団の考え方について、はじめは、苦悩しましたが、マインドコントロールということは、初期から学んできました。そしてそれは、社会の中でも多分にあることだと学びました。だからといって、100%悪いものというかは、内容によります。
オウムの場合は、教祖自身が、本人の強い意思をアピールして、彼のものの考え方があり、それに同調できる人が集まり、こういう結果を招いたのではないかと思っています。
こんな結果・・・13人もの死刑囚が出るようになるとは、思いませんでした。
そして、今回、フォーラムで、こんなにも幅広く、たくさんの人が会場に集まったことも、あまりなかったと思います・・・
事件は何だったのか・・・結論はまだ出ません。


安田弁護士:
永岡さんの息子さんは教団から帰ってきましたが、同じ信者で罪を犯した方もいます。同じ信者の親として、どう思っていますか。

永岡さん:
それは、もっとも聞かれたらキツいところです。
死刑囚の親御さんとも、全員ではないですがお付き合いはあります。
子供が入信してからですから、およそ30年間、本当にお辛いと思います・・・声のかけ方は・・・今も分かりません・・・・(泣きそうでした)

有田議員:
カルトに入信する人というのは、オウムに限らず、統一教会なんかもそうですが、親子問題を抱えている人が結構多いです。そこが気になっています。
上祐さんも、自分の本で、お父さんとお母さんのことをはじめて明かしました。
プライバシーがあるのであまり言えませんが、上祐さんは「尊師は目標であり、父のようだ」と言っていました。
また、岡崎一明さんも、実の親もあまり知らないまま養子に出されました。
岡崎さんも「尊師は父のようでもあり、母のようでもあった」と公判でいっています。
父や母との、うまくいかない関係を、教祖に託す人がいるのではないかと思いました。

河野さん:
アレフの信者さんと話をしたり、井上さんや遠藤誠一さん、中川智正さん、新實智光さんと面会したことがありますが、その時必ず「なんでオウムに入ったのか」と聞きます。
みんな麻原さんの能力・・・というんですかね、特別なものをもっているといいます。
中川さんは、病気(巫病)のようでしたが、それが麻原の前では治ってしまったことで、信用してしまった。
例えば、教団内の仕事で、たくさんの報告書を出したとき、それがかなりの量で、少しだけ手を抜いてしまった、その手を抜いたところはあまり見ないで欲しかった・・・でも麻原さんは、そういうところを的確につっこんでくるとかあったようで、特別な能力をもっている人に、なっていった。彼のいうことなら、聞くこと、やること、正義なのかなと。
信者たちは、シャンバラ計画というんですか、聖地を作ろうとか、真面目にやっていた人たちです。テロをやろうとかではなく、自分たちと教祖は特別で、特別な人たちが住むところ、聖地を作ろうとしていた。そういう人たちだったのに、どこかで歪んでしまったのではないかなと思います。


つづく

2015年8月16日日曜日

高山文彦「麻原彰晃の誕生」


今更ですが読みました。

なんでもう少し早く読まなかったんだろう。

九州から東北まで、とても綿密に取材されていて、麻原がどう誕生してどう歩んでいったのかがよくわかりました。

滝本弁護士も絶賛の書のようです。

以下気になったところ引用させていただきます。




松本智津夫の幼少期〜青年期の歪みぷり(ただの不良学生)を体感していた先生の言葉。
「古くからいる教師たちは、智津夫のことをまったく信用していなかった。オウムのいろんな事件が起きても、あの智津夫が人の上に立ってやれるわけがない、だれかに担がれとるだけじゃないか、と思っていたんです。ところが、だんだん真相がわかってきた。私らは、オウムの信者たちは、智津夫に騙されているとすぐに思った。智津夫の得意なこけおどしですよね。智津夫がオウムでやったことは、もう学校でしょっちゅうやっていたことの延長です」



チベット仏教の高僧やダライ・ラマに褒められたことなどを勝手に書くこと
あるとき智津夫は、法王にこんな話もした。
「密教の修行のひとつである血管と風の修行を、私はものすごくやりました。それで目が見えなくなりました」
法王はこのときも大きく笑った。
「それはおかしいです。ほんとうは修行すればするほど、目はよくなるはずですよ」

しかし、このように言われたことは機関誌などにはひとつも書かず、麻原はひたすら自分が法王にホメられたことなんかを書いていました。実際そんなこと言ってないのに。
これはマインドコントロールの手法にも使われる「権威付け」になります。
人は、警察とか、大臣とか、博士とか、教授とか、法王とかいった地位の人たちに言われたら、そういう人の言っていることはみんな正しくて、その人が認めている人ならその人もまた素晴らしいと思うそう。



上祐さんの小言も載っていました。
すべての財産を布施し、遺書を書き、家族との縁を断ち切ってきた彼らには、帰る場所はなくなっていた。上祐史浩は教員免許をもっているある女性信者に、ぽつりと洩らしている。
「あなたはいいですね。教師の免許ももってるし、力もあるから、社会にもどってもやっていけるでしょう。でも僕は、もうもどれません。社会にもどっても、生きていけないから」

生きていけるので、大根作りましょう



身勝手なポアの思想のはじまり。
「チベット密教というのは、非常に荒っぽい宗教で・・・私も過去世において、グルの命令によってひとを殺しているからね。グルがそれを殺せと言うときは、たとえば相手はもう死ぬ時期に来ている。そして弟子たちに殺させることによって、その相手をポアするというね、いちばんいい時期に殺させるわけだね。」
智津夫がはじめて「ポア=殺人」というものに具体的にふれたのは、殺意をもって最初の殺害にいたった田口修二事件より二年前の1987年1月、丹沢でおこなわれた集中セミナーでのことだった。


「解脱者はカルマをつくらない。解脱者には自分のエゴがないから、すべての行為は必然なんだよ。たとえば、ひとを殺したとしても、それは必然だ」
 斎藤誠(元信者・仮名)はそんな奇妙な論理をふりかざす智津夫を、茫然と見つめていたことがある。最終解脱者であるということが、すべての正当化につながっていた。

オウム初期の頃、確かにヨーガはやっていて、自分のエネルギーを人のために使っていたところもうかがえる。しかし、チベット仏教の「ポア」の思想を、本来の高い世界へうつすという意味を歪曲させて説いていたのは、やはり初期の頃からでもおかしさを感じる。



麻原彰晃とは何だったのか
 ひとりの男が、壁に向かってじっとなにかを凝視している。いったいなにを見ているのだろうか。
 群衆が集まってきた。そのまわりを、新しい群衆がとりかこんだ。彼らはいつかきっとこの男がふり返り、なにを見ているのか教えてくれるにちがいないと待ちわびている。集まってきた群衆は、千を超え、万を超えた。
 じっとその場を動かず、結跏趺坐を組んで、ひたすら壁と向き合っていた男が、ゆっくりとふり向く。人びとの期待は最高潮にふくらむ。
 つぎの瞬間、彼らは、その男がなにも見ていなかったことに気づかされる。男の顔には目もなく、鼻もなく、口もない。男はのっぺらぼうだった・・・。
 そんな映像を、私は智津夫に思い描いてみることがある。

とても想像し易い映像でした。
恐ろしい詐欺師です。



井上嘉浩さんにも触れられていた。
地方都市の典型的な核家族の一員としてなに不自由なく暮らしていたはずの中学三年生の少年が、こんな詩をノートにしるしている。

救われないぜ
これがおれたちの明日ならば
逃げだしたいぜ
金と欲だけがある
このきたない
人波の群れから
夜行列車にのって

麻原の側近のなかで最年少であった井上嘉浩が(略)尾崎豊の詩をアレンジして書いた詩だ。
<このような、尾崎豊さんの歌にある詩の内容に、現代の若者を中心とした多くの人たちが共感を覚えていったという事実が存在する理由は、戦後、この日本に、経済成長とともに、「経済的に、物質的に、豊かになることが、幸せなんだ」というような価値観が広まっていった結果、そのなかにおいて精神性を失ってしまった日本の現実のなかで、多くの人たちがこの「物質主義」でできた現実のなかで、本当の自分を確かめようとし、「精神性」を必死になって見つけ出そうとする衝動を有していたからだと思います。
 一方、私たちを豊かにするはずだった物質主義は、人類そのものを破滅に導いてしまうような「核兵器」等の様々な近代兵器の開発にもつながって、「第三次世界大戦の恐怖」が現実的なものとして感じられるようになり、かつ、つぎの世代が生きていけないような「地球規模における大規模な環境汚染」を生じさせていくことにもなっていったのです>(降幡賢一『オウム法廷〈9〉』より)


おりしも、昨日は70年目の終戦記念日だった。
焼け野原の都市の写真を見ると、物質主義に走りたくなる気持ちもわかる。
わかるけど、やはりあのとき、物質やお金より大切ななにかも失ってしまったんだと思う。
井上家は、父親が家に帰らず、母親は幼稚園児だった井上さんの目の前で自殺未遂をしているので、「典型的な核家族」に分類されるのかどうか不明だけども。オウム事件をおっていると喪失された何かを感じることがたくさんある。

「麻原彰晃の誕生」は、麻原の半生を追いつつ喪失された何かに触れることができそうな一冊だった。

わたしも、他人も、きっとたくさんのものを喪失している。
でも無理に集めなくても、もういいんだとも思う。


本日は以上です。

2015年8月6日木曜日

ブラック企業の思い出

さーとしーさんがブラック企業の洗脳から解かれて復活した。
http://ameblo.jp/h29d75/entry-12058644499.html


それで思い出したのですが(というか定期的に思い出されてわたしの頭をもたげるエピソードなのですが)、わたしもブラック企業みたいのに少し関わったことがあるのです。


10年・・・・・くらい前ですかね・・・・・・まだ学生でした。

当時いろいろなバイトを掛け持ちしていて、その中で、今は亡き、派遣会社グxxxxルに登録していました。

グッxxxルについては、一時期かなりニュースになってぶっつぶれたので、ご存知の方も多いかと思います・・・


もうどのような仕事だったか忘れましたが、確か、1日だけ工場に派遣されてバランをひたすら並べるとか、そういう仕事だったかと思います。


わたしは、その頃は、ほんっとうに世間知らずのカマトト女でした。


ただ、なんとなくグッxxィルに登録して、言われた派遣先へ行って、言われたことだけして、お金をもらって帰るということになんの違和感もありませんでした。



ある日、ア・・・・アなんとかという消費者金融へ、グッドxィルから派遣されました。


※本当に店舗名は忘れましたが、たしかアなんとかだったかと思います。





そこではティッシュ配りの仕事を命じられました。

店長っぽいおじさん曰く

駅前でティッシュを配ってきなさい。

ティッシュの裏にスクラッチカードが入っているから、できるだけその場でやってもらいなさい。

それで、お客さんが当たりを出したら、「店舗に来てください、景品を差し上げます」といって店舗へ誘導しなさい。

スクラッチカードは全部当たりなんだけどね(笑)


わたし「はぁ」


おじさん
昨日の子なんて、こんなに連れてきたんだよ!


おもむろに紙を見せてくるおじさん
「13」と書いてある

わたし「はぁ、すごいですね」

おじさん
キミも頑張ってね!!
10人以上連れてきたらお給料上乗せだから!!

わたし「はぁ」





ということで、わたしは、お給料上乗せされたらイイなぁなんてぼんやり思いながら、街頭に立ちました。


そこはものすごく田舎の駅で、人なんてほぼ通らないので、たまに来る人にティッシュを配りつつ時間を余らせていました。


近くのホストクラブのお兄さんが、なぜか昼なのにウロウロしていて、話しかけてくれたりしました。仕事後遊ぼうよ〜などと言われましたが、わたしがあまりにイモかったからか、忘れて帰っても何も言われませんでした。


サラリーマン5〜6人が連れ立って通りかかったので、ティッシュを配り、スクラッチをしてみてくださいと言ったら

「あぁ〜・・・またね」

という気まずいかんじで去って行きました。


なんだか全体的に、バカにされているような感じになってきました。
一体わたしは何をやっているんだろう・・・

そう思っていた矢先、おばあさんが一人通りかかりました。

おばあさんにティッシュを渡し、スクラッチをしてもらい、当たりの人は景品があることを説明すると、おばあさんは何の疑いもなく、わたしの誘導のまま、店舗へ入って行ってしまいました。








結局、わたしはその日、そのおばあさん一人しか誘導できませんでした。

店長は残念そうでしたが、なぜだか直感的に、この店長はまたわたしの実績に「1」を書き足して明日のバイトを騙すのだと思いました。

正直、あんな人のいないところで、あんなバカにされた雰囲気で、そんなにたくさんの人を連れてくるなんて無理じゃないかなと、さすがのカマトト女も思っていました。

上乗せは残念だったけど、基本のバイト代は変わらないのだから、と思い直し、給料を受け取って帰りました。




その後、友人から、そのバイト先の評判が悪く、みんな行きたがらないということを聞きました。


給料もらってやるだけなんだから、いいじゃないかと思いました。


そもそも、わたしはそのとき、アなんとかがどういうお店なのか詳しく知りませんでした。






それから、社会人になり、歳をとって、理不尽なことにたくさん直面して、いろいろと考えたり、経験してゆき、そしてオウム事件に出会い、調べてゆくうちに、ふと、このバイトの出来事を思い出し、わたしは戦慄しました。





やらかしとる、わたし











あのおばあさんはどうなったのだろうか




無理やり借金をさせられたりしていないだろうか




最近知ったのですが、「ボケはじめのおばあさん」というのは、詐欺のカモになる

多少の物忘れと判断力の低下以外は、普通に生活しているので、家族が知らない間に借金を重ねたり、リフォーム工事などで騙されたりするのだ。


わたしは、その詐欺の片棒を担いでしまった






本当に申し訳ないことをした、という気持ちが止まらなくて


消費者金融を見たとき、バイト募集の広告を見たとき、いろんなときに思い出す。


本当に申し訳なかった。


おばあさんの大事になっていませんように。


そしてもう騙される学生がいませんように。



今、わたしは福祉の仕事についているけど、

そのころの懺悔のような気持ちも結構あります。




本日は以上です。

2015年8月3日月曜日

麻原彰晃の野望

オウム真理教年譜
http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/07/blog-post_30.html

これを書いていて、思っていたのは、麻原彰晃はいつから犯罪をしようと画策していたのだろうか、ということです。

わたしは、オウム真理教事件について、はじめはそれがずっと疑問でした。

今は、NHK未解決事件や、さまざまな本などから、こう思います。


生誕時〜幼少期・・・親や家族から愛されなかったと考えたため、性格が歪む、もともとサイコパスっぽくもある、昔から同級生や後輩を従え、先輩や先生には媚びへつらうような性格で、人を操ることが得意。

青年期・・・東大合格して政治家になるなど大きな野望を持つが挫折。結婚する。子供ができる。霊感商法的な商売をする、薬事法違反。

この流れで、麻原はオウムを作ります。
オウム真理教に名称変更した頃にはすでに、近しい幹部に反社会的な行動を示唆する説法をしています。
確かに、ヨーガの修行法や、魅力的な説法など、新興宗教の技術的には、類まれなる才能があったかもしれません。

でも、普通犯罪したらだめでしょう。
いくら世の中がくだらないからって、全て壊して自分中心に再建するというのは、おかしい考え方です。

オウム真理教に名称変更して以降は、真島さんの事件をきっかけに、どんどんと犯罪の程度を酷くしていったと感じます。
つまり、麻原はオウムをはじめた最初から、社会へ何らかの制裁を企てていたのではないかと思うのです。
さらに、集団心理などでおかしくなってしまった幹部たちも巻き込んで大変なテロ事件になってしまったのでは。

などと、わたしは考えるように至りました。


今度読みたい本