2016年3月16日水曜日

絶縁のすすめ

よくわからない考えを持っている人を「サイコ」と呼んだりする。
サイコパスからきてる言葉だけど、本当に病気かどうか、素人判断はできないので、まあちょっと人に迷惑をかけがちかな、みたいな人をサイコさんと呼んだりする。

サイコさんというのは、人の気持ちがわからないらしく、人に迷惑をかけたり、人を傷つけたりする。
まんしゅう家の憂鬱にも出てきたけど、まんしゅうきつこの元彼も、キレたら刃物で刺そうとしたあと自傷するなど相当なサイコっぽい。

わたしは、長い長いあいだ、家族のサイコっぷりに苦しめられてきた。

家族がサイコだと、とても大変だ。

まず、生まれ育った環境のため、その考えや状況が普通だと思ってしまう。
それに気づかずに成長すると、知らないあいだに自分も人を傷つける人間になってしまう。
そして結婚して実家を出たとしても、トラウマやパートナーとの生活習慣、考え方の違いに苦しめられる。

ここでは、具体的に誰がどうという個人的な糾弾をしたいわけではないので、詳細は伏せるが、とにかく家族のサイコっぷりにはもうずっと悩まされてきた。
そして先日、ついにある事件が起こった。
それは、もう、起こるべくして起こったというか、いままでたまってきたものが一気に噴出した上、少なくともわたしの友達や主人が向こうがおかしいよなーって思えるような出来事だった。

そして、わたしは思った。
今は、結婚して家族がいて、精神的にも経済的にも自立している。
若い頃あんなにムチャクチャしたのに、たくさんの友達とその家族が遊んでくれて、助けてくれる。
資格をとり、仕事の経験も積み、趣味も楽しい。
主人も優しい。

実家へは、ほとんど義理で、正月や法事などの行事に付き合ってきたけど、正直それも行く直前に過呼吸にみまわれるなど辛いことだった。向こうはなんだかんだと言ってくるが、結局はわたしに甘え、粘着し、なにか人任せにしていたら物事が解決すると思っているようだ。

重い、実家が重い。
重い荷物は手放そう。

かくしてわたしは、絶縁状を書いた。

書いているそばから、とても心が軽くなっていった。
もう、この人たちに悩まされることはないんだ。
もう、過去の言動で自己嫌悪にみまわれる必要もないんだ。
わたしはわたしの考えで生きることができるんだ。

子供の頃は、どうしてそんなことをされなきゃいけないんだろう、とうじうじしていたけど、自立すればそんなことに悩むことはない。こんなことなら、高校生くらいから自立していればよかった。まあ体が弱くて無理だったけど。

人間同士、考え方や人間性が違うことってたくさんあるし、わたしはそれがたまたま血縁者だったから苦しんだけども、普通にああいう人がいたら速攻で関わらないだろう。向こうも、わたしの考えていることがさっぱりわからなくて、また然りだと思う。

もちろん、子供の頃のトラウマは、わたしに暗い影を落とし続けると思うけど、これ以上塗り重ねなくていいのがとても嬉しい。

ということで、真剣に向き合ったら絶縁しかないという話でした。
絶縁というと冷たい感じがしますが、本当に真剣に悩み、向き合って、自分のために決めました。主人も賛成しています。
重い荷物は手放しましょう。


本日は以上です。

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