2016年3月27日日曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑥

すみません、体調をハデに崩し、今週中に終えようと思っていた書き起こしですが、終わらなくなってしまいました。
がんばります。

今回は、西田公昭教授、アンソニー・トゥー博士、滝本太郎弁護士の意見です。
オウム事件におなじみの方々のお話ですが、とても勉強になりました。
特に西田教授の、専門家として死刑囚や被告人に会えない状況というのが、本当に問題だと思いました。
トゥー博士は、いつもニコニコされていて素敵な紳士でした。
滝本先生には、個人的にもお世話になっていてこの間も貴重なお話とともにビールをおごられてしまいました。おいしかったです!すみません!


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武井弁護士「あらかじめ主催者団体の方で、三人の方にご意見をお願いしております。まず、立正大学教授の西田公昭さんにお願いします。」


西田教授:
みなさんこんにちは。立正大学心理学部、そして日本脱カルト協会の代表をやっております。西田と申します。
わたしからひとこと申し上げますと、わたしがこの問題に関わってマインドコントロールの問題を根幹としてですね、心理鑑定として弁護人から依頼を受けた、オウムの裁判っていうのは11名いらっしゃいます。そのうち7名が死刑確定者です。ただしですね、ちゃんと研究ができたわけではないんです。
目的がまぁ、「証人」や「鑑定」ですので、研究ではないんですけども、当然わたしにとっては研究になったわけなんですが、先ほども出てたんですが、専門家がですね、研究する際、本当に貴重な資料といえるし、それをさせない国家ってどうなんだろうと。ある・・・学者が言ったことなんですけど、世界のテロリズムってのは今、大きな問題なんですけど、それに対してですね、日本が貢献できるチャンスというか、そういうデータを得ているにもかかわらず、それをさせないっていうことで、一体日本って国はどうなのっていうような、厳しい批判があってですね、わたしもそこにですね、そうだなーって思っております。
実はこのオウムの裁判でですね、正式に鑑定が認められたのはわずか2件しかありません。
わたしが、私的に鑑定を弁護人から頼まれてですね、何人かにチャレンジしたんですが、わずか15分とか30分しかお会いできない。しかも刑務官はついている、っていうような、典型的な状況の中でしか、この問題について・・・向き合うことができなかった、っていうのがあります。

わたしも死刑云々いう前にですね、無駄に長い時間、20年の間、彼らをおいておく、っていう、そういう発想がおかしいんじゃないか、裁判終わったんだったら、とっとと、彼らに貢献してもらった方がいいじゃないか、と、わたし含めてですけども、おそらく、何人もの、関係にある・・・さまざまなですね、分野の違う研究者が、彼らに興味を持っていたはずなんですね。

もちろん、後でお話ししていただけると思いますけども、トゥー先生なんかは、生物化学兵器の研究者という立場で、アメリカの方として特別に(交流を)許されているというのが、ある意味・・・不思議な感じもするかもしれませんが、日本人の学者は、一体どうなっているのか、ほとんど誰も接触できないという、こんなことでいいのかっていうのが、非常に、心の中で、もやもやと、してきた・・・ですね。

で、事件は解明されてないとかいうこと言われますけども、それをさせないっていうか、そういったことをさせないでいて・・・その、死刑、執行はいつなのか、という話にするのはですね、あまりにも勿体無いなと、先ほど、江川さんがおっしゃっていたように、本当に・・・教育的にも、反省している方々何人もいらっしゃいますので、彼らがなんで、こういうことになってしまったのか、いうようなことをですね、語り部とでもいいましょうかですね、みんなの前で、彼らの直接の言葉で語っていただければ、これからの日本社会を考える上で、大変役にたつだろうと思います。

そういった意味での、制度ということですね、死刑制度だけではなくて、裁判の制度そのものに、大きく疑問を投げかけております。

もう一つそれに加えたいんですけども、最近は、裁判員裁判ですね、これは高橋さんが最初に言ってくださったように、「公判前整理手続き」っていうのがあってですね、そこで争点だけが決められて、それに関わった内容だけが、裁判員に開示されて、法廷で審理されて・・・つまりですね、例えば、わたしに鑑定を頼まれて、書いたとしてもね、裁判員が読めるかどうかはわからないと。
実際、ぼくのケースであったのはですね、書いたんですが、届きませんでした。裁判員も裁判官も、読むことはできなかったんですね。これいらないんだ、という風な判断をですね、勝手になさるわけですね。もし、裁判員の方が、対等であるならば、読みたいという人がいたかもしれません。そういう人たちに、鑑定書を読めない、そういう制度っていうのも、どうかなっていう風に、思っております。

裁判員の負担を減らすという言葉は非常によく聞かれるわけですけども、確かに、負担は負担です。
ですから、制度そのものの見直しが必要なんだとおもいますけれども、ある以上は、ちゃんと、裁判員だからといって、負担だけではなくてですね、きちっと、序せるようになっていただきたいと思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「西田先生ありがとうございました。今お話しに出てきました、アンソニー・トゥーさん、毒物が専門でコロラド州立大学名誉教授でもあられます。ぜひよろしくお願い致します。」


トゥー博士:
はじめまして、私は、アメリカのコロラド州立大学の化学の教授です。今日は二つ、報告したいんですけれども、一つはですね、私は、法務省から特別に(死刑囚との)面接を許されてですね、今、面接を許されてるのはですね、二人なんですね、私と、先ほど誰かが申された、ダンジグですね、ダンジグは、今ではアメリカの海軍長官ですから、日本でいうと、日本の海軍大臣に相当するですね。
しかし、日本の法務省が許可にする理由は今、ワシントンDCでですね、テロ対策のシンクタンクを作るっていってて、それで、非常に活発にですね、オウム真理教が、なぜ、テロの段階に走ったかということを、非常に熱心に調べてると。ですから、ダンジグさんと、日本に十何回か来て、死刑囚と面接してですね、アメリカでも、英語で報告書が二回出されてます。日本でも翻訳されて、日本でも見れるはずです。

それで一つ、一番初めに話したいのはですね、私は中川智正死刑囚とですね、今までに8回面接したんですね、そして、明日また面接する予定なんですけど、中川さんが私にいうにはですね、「本当に、被害者に対して、また被害者の家族に対して、非常に悪かった」と。自分は、誤りをですね、裁判所で言うだけでも、裁判所は、聴く人が非常に限られてるから、「先生はいろんなところで講演するから、そういうところで、私に代わって被害者や、家族に対して非常に悪かった」ということを、伝えてくれ、って、それで今、忘れないように、お伝えしたいと思うんですね。

さっきも、西田先生がいうようにですね、今のところ、オウムの死刑囚の面接、二人しか許可になってないんですね。日本人は一人も許可になってないんですね。実際にはですね、日本の人にも、そういう機会を与えるべきだと、私は思うんですね、ダンジグさんも、私もですね、許可になった理由はですね、「テロを調べる」という面から日本政府から許可になってるんですね。で、私は、化学者なもんですから、面接してもですね、主に化学兵器・生物兵器のプログラムについて聞いてますね、私がその時に感じることはですね・・・今までに発表されたオウムの化学兵器・生物兵器のことはですね、かなりわかっとるんですけどね、わからないこともたくさんあるというのはね、それは日本の警察の制度によるんじゃないかと思うんです。なぜかっていうとですね、警察が調べるのはですね、犯罪と関係あったことだけ、調べるんですね、ですから、犯罪と関係ないことはですね、全然、調べないんです。だから、化学兵器・生物兵器についてですね、わからないことたくさんあるんですけども、私は個人的に、中川死刑囚からたくさん、いろんなことを教えてもらって、かなり分かるんですけども、そういうことは一般の人には全然、発表されてないからわからないんですよ。

それからもう一つはですね、日本の警察ではですね、犯人を尋問する時はですね、それ専門の警察官がいるんですよ。
ところが、日本の警察の中でもですね、実際に化学兵器・生物兵器のことをわかるのはですね、化学警察・・・研究者だけです。尋問する人はですね、そういう人たちはしないんです。ですから、犯人を尋問する係の警察の人が、まあ刑事が知らんけど、専門に聞かないのです。
ところが、オウムの地下鉄サリン事件とか、松本サリン事件というのは、化学なんですね。ところが、質問する人は、化学全然知らないんですよ。
それで、ペンと、紙を持ってきて、お前書けって、書かせてるわけです。ですから、聞かれないことは書かないわけです。ですから、まだまだですね、オウムのことで、知られないことがたくさんあると思うんですよ。でそういうのはですね、日本の方に機会を与えて、真実を明らかにするべきではないかと思うんです。

私はただ、化学兵器・生物兵器的な理に興味を持っておりますから、そっちの方しか聞かないんですけど、また、日本の方が聞く場合にですね、もっと広くいろんな点で調べることがあるのではないかと思うんですね。

それからもう一つはですね、ちょっと、死刑とは関係ないんですけども、(資料に)関連年表ってのがありますね、関連年表の、2ページの・・・とこに、9月・・・20日、江川さんの次のところに、「杜博士が、科警研に土壌からサリン残留物を検出する方法を伝えた」それからその次に、「警察当局が、第7サティアン付近の土を採取し、科警研が調べたところ、11月にサリン製造の際の複製物が検知され、松本サリン事件で現場に残留してる複精製物とほぼ一致したことが判明する」。
私が日本の警察をサポートしたのは、ココなんです。それで、おそらく日本ではですね、どういう風にして私が、日本の警察の手伝いしたか、知らないと思いますから、そこをちょっと簡単に、内幕の話をお伝えしたいです。特にですね、サリンというのはですね、毒ガスなもんですから、みんな空気と連想してしまいます。しかし、サリンてのは揮発性の強いもんですからね、すぐに調べれば見つかるんです。二、三時間経ったら、空気として消えてしまう。ところが、土壌、土ですね、土の方はですね、あらゆる毒ガスを吸収して、地面の中で、非常に安定した化合物になってしまうんです。

ですからその、安定した化合物を調べればですね、誰がサリンを作ったかとかわかるんです。そこをですね、日本の警察はですね、教えてくれっていうわけで、お手伝いし始めたんです。
ところが実際に、そういう分析をするのはですね、やはり、アメリカ本土でないと、そういう情報がないわけです。
私は、1980年以来ずっと、アメリカ政府の特捜事件をお手伝いしたんですけども、それは主にですね、それに対しての生物兵器、特性兵器ですね、それで私はですね、アメリカ陸軍の生物兵器の人たちはかなり知っとるんですけども、化学兵器のは、知らないんです。それで日本から、FAXがきてですね、手伝ってくれと言われた時にですね、「困ったなー」と思ったんですよ。サリンていうと化学兵器ですからね。

そうするとアメリカ陸軍の化学兵器を担当してる人に聞かなければわからないわけです。
それで、先にですね、生物兵器で、私の知ってる人に、電話して聞いたんです。
そしたら「化学兵器のことなら、誰々に聞いたらいい」と案をもらった。知らない人にですね、電話するの怖いんですよ、しかもアメリカ陸軍で、そんな、地面の中からサリンの分解物を検出するという方法を教えてくれなんて・・・非常に、怖かったですよ、聴くのがですね(笑)。ですけども、日本からの、警察のFAXはですね、「今日本が非常に困ってる」と、あの、「分析の方法を教えてくれ」ってありますからね、それで私はですね、アメリカの陸軍の、化学兵器の司令官にですね、「今日本で非常に困ってるから、お手伝いしていただけないか」と、勇気を出して聞いたんです。そしたらですね、その司令官がですね、教えれるかどうかは、今答えられないけども、みんなと相談してから、返事しますと、それで私は日本の警察にFAXを送ってですね、2週間経って、返事がない場合は、こちらからまたアメリカ陸軍に電話して聞くから、それまで待ってくれって言いました。
翌日大学に来たらですね、私のFAXの紙を動かしてるのが見えるんですよ、びっくりしたですよ、アメリカ陸軍から、分析方法を、バーっと送ってきてるんですよ。
びっくりしちゃってね、全部で32枚送ってきたんですよ。それですぐに、日本の警察にまずそのFAXを送ったんですよ。
私が日本の警察から、手伝ってくれと言われたのが1994年の、9月19日、それで、アメリカ陸軍に電話したのが、その日ですから、9月19日。でFAXをいただいたのは、9月の20日。ですぐに日本にそのFAXを送るからですね、ですから、日本の警察は、1994年の、9月21日、日にちがアメリカと1日、時差がありますから、日本の警察は、1994年の9月21日に、地面の中からサリンの分解物を検出する方法を知ったわけです。
それで、あのころはまだ、オウムは宗教法人ですからね、日本の警察も非常に遠慮してですね、公に、上九一色から土を持ってこれないから、警察がですね、農民のような格好をして、山草をとるというような格好をして、上九一色の土を持って帰って、東京に持ってきて分析したんです。そのサリンの分解物の、メチルホスホン酸というのが、出て来たと。だからここ(資料)に、11月に、「日本の警察が土からサリンの分解物を検出した」と。これでですね、日本の警察は、科学的証拠を得たわけです。私のお手伝いはここだけなんですね。
私はこれだけで、日本から勲章いただいて・・・私はこれで、終わりにします。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございました。それでは、引き続きまして、滝本太郎さんにお願いします。」


滝本弁護士:
滝本です。10分ほど、ということで、要領よく喋ります。
まず忘れないうちに、麻原の弁護団が、「麻原が宗教者である」「宗教だから事件をxxx(聞き取れず)」とか、今もそのニュアンスでおられたので驚きました。

宗教であることと、破壊的カルトであることはなんら矛盾しなくって、危なっかしい株式会社であることと同時におんなじように危なっかしい宗教があるし、宗教と殺人は多く結びついてる「宗教だから」という発想も「テロと結びつかなかった」ってのも驚きで、まさに「テロだった」っていうのはむしろ新實(智光)の弁護士がハッキリゆって、「内乱だから死刑は麻原だけに」と。内乱罪というのは、首謀者だけが死刑ですよと。麻原弁護団の話がそういう状況だったのは、今聴いても驚きました。
麻原裁判は、わたしから見ると実は理想的だったと思っています。麻原がみっともなく、ああいうアホな弁明をしたという。吉本隆明が期待したようにですね、「これは宗教殺人であって、ポアだ」と言ったらどうするのか、といったことを吉本氏は言ったんだけど、そういう期待はできなかったということです。

ただし、12人の弟子に至っては明らかに宗教殺人です。藤田先生が言われる全くその通りだと思います。
箇条書きで申すと、もう二十何年も経ったので、確認のためですけども、この事件は核兵器に匹敵する化学兵器サリンを無差別に大量に二度使われた、戦争だったということです。3月22日からのあれは、刑事捜査を使った代理戦であり、内乱だったと、実体としては、そういうもんだと、実質、自衛隊はあの日警官の格好をしていたんだと。自衛隊は、小銃の一発でも、またサリンの少しでも使われたら、治安出動もできるように準備もしていたわけで、内乱だったという認識でいます。

当時、ぼくもテレビでたり、いろいろしましたが、自分は心理捜査官だとメディアに言ってきました。主に現役信者相手だと、麻原さんに言ってた、心理捜査官だと自分は思っていたものです。

もう一つの特徴は、破壊的カルト団体においては、これは西田先生が言われた通り、本当に空中浮揚を信じてるんですよ、現役信者は。あのアホなわたしもできるんですが。本当に信じてる。それをわかってやってほしい。
事件の中の一つが、1994年5月9日滝本殺人未遂で、動機はわたしが脱会カウンセリングをしてきて30人くらい結局やめさせてきたと。それから、アホな空中浮揚をしてしまったというのは、麻原としては絶対許せなかったからという、極めてアホな動機です。
で、(滝本弁護士襲撃の)実行犯は麻原の愛人ですと。当時17歳の女性、出家して数ヶ月です。そのくらいの人でも、ポアするんだと思ってやったという、そこまでの、絶対者であるということ。麻原は絶対者であるということは別に犯罪だけの話じゃありません。尾籠な話ですが、女性信者にウンチをさせて、それを男性信者に食べさせてるんです、みんなの前で。いいですか、体はボディであって魂が大事だと、どんなに美人な人でも、けしてそれは人の本筋ではない、ということをお知らせするためにこうやっていい仲になった男女にそういうことをさせてるんです。もっとも女性も、麻原の毒牙にかかっちゃって、それに抵抗をしてない女性も多くいたわけです。
そこまでの絶対者だということを、認識していただきたいと思います。
さて死刑については、資料の11ページにオウム被害対策弁護団のものがありますので、ご参考にしてください。要は、麻原以外の12人は絶対的な麻原を信じてしまい、麻原の手足として(事件を)起こしたんだから、死刑にはしないでほしい、麻原は一方で死刑でいい、というものです。

こっから先は個人的な意見ですけどね、わたし自身は、強固な死刑存続論者です。麻原法廷でも堂々と述べてきました。死刑廃止論を言われる方は、「死刑の理由(井上薫・新潮社)」という本・・・多くの判決文の、死刑の理由なんですけど、それを整理した本なんですが、それさえも読んでいない。
意見がどういう実態だったか、自分が被害者・遺族になった気持ちになろうとした上で判断しようとしていないのが、非常に不満に思います。

麻原法廷では、後ろに、その娘らが、傍聴席にいる場で、やむなく、「あなたは死刑」と言ってきました。冤罪の可能性と、死刑執行の苦悩を考えるときには、死刑というものの制度を存続するかどうか、悩むものでありますけども、やはり、現世の責任は現世でとってもらわなければいけないものですから、もっとも大切な命を奪う刑罰というものの存続が必要だろうと思うわけです。

産まれながらの犯罪者はいないんです。だからこそ、煩悩、欲望を満たすために、多くの人をひっぱりこんで、ここまでのことをした。実は、(オウム事件は)起訴されてないのを含めて50人は死んでいる。これだけの事件を起こした麻原を死刑にしないでどうするのかと思ってはいます。

なお、受刑能力の点は先ほど小川原先生が言われた通り、今としてはわかりません。情報も入ってないし、専門家でもありません。麻原死刑にしても、今更神格化されることもありません。後追い自殺は数人あるかもしれませんが、その程度だろうと実は思ってます。残念なことですが、それはある。

それからずっと、(弟子)12人についても、死刑というかというふうに思われるかもしれませんが、そこはやっぱり違う。12人は坂本一家を殺し、またわたしを殺そうとした人たちです。だけども、やはり、脱会カウンセリングをし、また岡崎被告(ママ)、井上被告、早川被告にも会ってきましたが、早川なんてのは、宗教好きなただのおっちゃん、ほんとそう感じました。岡崎被告の頃は、まだ薬物は使われていませんでしたが、漆黒の闇の中に数十日間(岡崎氏によると50日を超えるとか)麻原のビデオを見せられて(岡崎氏によるとビデオは見ていない、他の信者にはあった)・・・

94年からの事件、これは、松本サリンのあとですけども、薬物宗教、LSD、覚せい剤で、さまざまな体験をしている。
カウンセリングも、この薬を使われた以降は非常に難しくなってきた感じがしています。その薬物の点は起訴は取り下げられてしまったので表に出てないのですが、途方もないLSDが押収されてるわけです。これ薬物宗教だったということ。(弟子たちは)マインドコントロールの結果手足となっていたということから、彼らはやるべきことを他にすべきだろう、と、言うべきことをやるべきだと思うわけです。

なお、実際は死刑執行すると、麻原が喜ぶことになるので、麻原にこれ以上殺されたくない、と思っているものです。実際早川に面会した時は、「生きてても同じなんです、早く死にたい」みたいなこと言ってて、「そう簡単には死なせないぞ」と言ってきました。
井上の高裁の裁判で出たので、「出てくれることをありがとう」っていうから、「ありがとうじゃないよ、あんたを簡単には死なせないよと、自然に死ぬまであなたにはじっくり考えてもらわなきゃいかんから、だから死なせないんだよ」と言ってきました。

死刑については、ちょっと申しますと、一審で終わっちゃって本人がいいってするのがけしからんので、国が人を殺すんですから、国の機能ではありますが、最高裁まで当然行くべきだと思ってます。
死刑執行は、立ち会った人もいますが、法務大臣以外にも立ち会うのが当たり前だと思っています。それから被害者らも希望する場合は立ち会わせてほしいと思います。

ただ、執行までの間でですね、特にオウムの男性信者は、現実感をまた失ってく。オウムではもともと、麻原への絶対服従もいけないんだけど、現実感がない。
映画の中にいるような感覚、あれが大いに問題なんで、生き物を飼わせるとか、ヒヤシンスを・・・冗談じゃなく本当にねえ、東京拘置所はひどいです。昔は緑が(独房の窓から)ちょっと見えたけど、今は全く見えない。あれが現実感覚をなくしていって、今も死刑囚の人で、宗教には逃げないはずなのに、やっぱり宗教の本ばっかり読み始めちゃうという。

現実感覚の重さがあったから、平田信も出てきたわけです。
2011年3月11日の東日本大震災だけではなく、あの年、10年間以上飼っていたうさぎが8月に亡くなったんです。うさぎと比較して本当に申し訳ないんですけど、やっぱり始めて飼ったいきものが・・・おなかの上で死んだんです。その重さ、それで彼は、現実感覚をとりもどし、かつ、愛し合っていた女性がいたことから、彼は出頭までに至った。

高橋克也と平田の大きな違いは、そこにあると思います。

もう一点だけ、松本死刑囚ですけども、法廷では、中島みゆきの「誕生」という歌を覚えてくださいと言ってきました。安田弁護士からは、「誰かに生まれ変わったら自ら言ってほしいですね」という尋問がございました。
97年の秋は、わたしは彼の元の家、金剛小学校というんですが、そのそばにある家を訪ねました。その(麻原の)弟さんからですね、「貧乏や、目が見えなかったことが原因だとは言わないでください」と。
つくづく言われました。他の兄弟はみんなまじめにやってるからです。親のせいだと言わないてくれと。そりゃそうだろうと思います。
だからこそ、自分の選択でもって、生まれながらの犯罪者じゃないから、死刑しかないと思っています。それに立ち会いたいとも、申してきております。

そして、最後に申すと、今日も、教団の現役信者が来てます。冗談じゃないと思います。ヒトラーを信仰するものが、ヒトラーの被害者らの集まり、その研究会に来るという状況と同じです。それは「聖無頓着」・・・オウム流の、心を閉ざし、感じないこと、その無頓着の実践のこととしてのことだと思います。自らを恥じなさいとつくづく思います。「麻原さん」と呼びましょう、と親御さんに言ってきたわたしとして、つくづく、恥を知りなさい、と思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「はい、ありがとうございました。」


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