2016年3月16日水曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ①



2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」が開催され、テーマは「死刑についてーオウム事件を考えるー」ということでした。テーマの死刑についてなのですが、2013年のシンポジウムでは、高橋シズヱさんはこのように述べられていました。

Q (高橋さんへ)12人の死刑囚についてどう思うか。 

高橋さん:「大事な家族を殺された遺族に、そんなことを言うか」と言いたい。
豊田亨の両親の希望で、弁護士を通して自分と被害者団体の他のメンバーと豊田の両親に会った事があるが… (少し考えられ)「答えられない」と。

しかし、今回は積極的に、死刑について考えるということで、高橋さんをはじめさまざまな発言者から、さまざまな問題定義がされ、大変興味深いシンポジウムでした。
また、高橋さんは、2013年のシンポジウムで見たときよりも、穏やかな語り口になられている印象がありました。

これから、何回かに渡って書き起こしを掲載します。
※公表されている以外の個人名は伏せさせていただきます。




宇都宮健児さん挨拶


みなさんこんにちは。オウム真理教犯罪被害者支援機構の理事長をしております、弁護士の宇都宮健児と申します。今日は、日曜のこのお休みのところ、こんなにたくさんの方が、私たちの集いに参加していただき、大変ありがとうございます。今年の三月二十日で、地下鉄サリン事件が発生してから21年になります。



地下鉄サリン事件では、13名の方が亡くなり、六千人を超える方が負傷しております。大変甚大な被害を発生させた事件です。
それから、昨年20周年の時に、被害者や被害者の遺族の方について、アンケート調査をしました。20年たっても、未だに、PTSDで悩んでおられる方をはじめとしまして、心身ともに、まだまだ傷が癒えてない方がたくさんいらっしゃいました。今日は地下鉄サリン事件、オウム事件を通じて、「死刑について考える」という集いですけど、この問題、大変、あのう、深刻な、重たいテーマであると思います。地下鉄サリン事件では、現在までに10人が死刑判決、それから4人の無期懲役刑が確定しております。それから一人の刑事裁判がまだ進行中であります。

ところで、死刑につきましては、日弁連のパンフレットも(来場者の手元に)配布されてるようですけど、現在、世界の2/3の国が死刑を停止あるいは廃止しております。国にしては140カ国にのぼるということです。死刑を停止したり廃止するっていうのはいろんな理由があるかと思いますけど、私はまあ、4つぐらいが考えられるかと思います。

一つは、刑罰の目的ですけど、これは罪を犯した人にですね、その罪に応じて、制裁を加える、「応報」という考え方。こういう目的があると同時にですね、罪を犯した人を更正をして、社会復帰をすると、こういう目的もあるということです。

それから、もし死刑が執行した場合に、その裁判が、誤判、つまり冤罪があった場合は、取り返しがつかなくなる。日本の、戦後の事件でですね、これまでに、免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件と、四つの死刑確定事件で、再審裁判がなされて、冤罪だったことが、わかっております。こういう方が、死刑を執行されてたら、救済できなかったわけです。それからみなさんもご承知だと思いますけど、2年前に袴田事件で、静岡地検が再審決定を出しています。で、この再審裁判、これから行われることになっていますけど、もうこういう冤罪の場合に執行してしまったら取り返しがつかないという問題があります。

それから、国は、人を殺すことを法律で禁止してるわけですけど、その国がですね、殺人を犯してるのは矛盾ではないかと、こういう考え方から、死刑を廃止する考え方があります。

それから、もう一つは、ノルウェーの犯罪学者ニルスプレスティーという方が言われてるのですが「人はだれでも、犯罪者とは生まれる人はいないんだ、生まれながらの犯罪者はいないんだ」ということも、死刑廃止・停止を考える理由なのかなと思っております。ちなみに、ヨーロッパ諸国では、死刑廃止が多くの国でなされておりますけど、一方で犯罪被害者の支援も、手厚い支援が行われているということで、犯罪被害者が忘れ去られてる、ということではないということです。

日本弁護士連合会、今日、参加してる弁護士は、みんな日本弁護士連合会のメンバーなんですけど、2011年の11月にひらかれた人権擁護大会で、「罪を犯した人の社会復帰のための施策の確立を求め、死刑廃止についての全社会的議論を呼びかける宣言」を採択してます。実はこの時、あのう、日本弁護士連合会の会長だった(のは)わたしなんです。
この宣言の議論をですね、理事会でやる時に、三回に渡って、真剣な議論が行われました。わたしも、一方で、当時は地下鉄サリン事件被害者弁護団の団長としてですね、被害者や、被害者遺族の心情は、痛いほどわかっている立場で、片方で、世界的な死刑廃止の流れに、どう我々は考えるのかということを、理事のみなさんと、あの、しっかり議論しました。そして最終的にですね、議論が行われたのは、本音の議論をしますと、やっぱり自分の家族が犠牲になった時に、本当に心から死刑廃止言えるのかどうか、この議論に落ち着いたんですね。それで、えー、宣言の内容を若干変えました、まずそういう議論を現代に呼びかけようじゃないか、というような宣言になった次第です。

それから、わたしは死刑問題について、議論する上でもですね、死刑を執行する日は、ある日突然発表されますよね。どういう手順で、どういう順番で死刑は、手続きが行われるのかと、まったく我々は、知らされていないんですね。それから死刑を、どういう形で執行してるのか、こういう方法についても、情報が明らかにされていない、こういう情報をもっともっと開示される必要があるんじゃないか、その上で、議論がさらに深まるんじゃないかと、こういう死刑制度に関する、情報を開示するのは、議論の前提として必要なんじゃないかと思っております。

いずれにしても、このオウム事件 ・・・地下鉄サリン事件を通じてですね、多くの死刑囚がおります。その時の、はじめてわたしたちは、このテーマを取り上げたんですけど、その死刑問題について議論が深まることを期待して、開会の挨拶を終わりたいと思います。今日はよろしくお願いします。(拍手)


武井弁護士(司会)「続きまして、この会の発起人である、地下鉄サリン事件被害者の会代表世話人高橋シズヱさんより、この会の趣旨説明と映像をごらくんださい。これは、高橋さんがインタビューされたものです。それでは、よろしくお願いします。」



高橋シズヱさん

改めまして、地下鉄サリン事件被害者の会の代表をしております。高橋シズヱです。あの、本当に、たくさんの方々にお集まりいただきまして、いかにこのテーマが、関心を呼ぶテーマかという・・・しかし、とんでもない、発案をしてしまったなあって(すこし笑いながら)、ちょっとドキドキしてるわけですけども・・・まぁそのテーマについて、少し、お話をさせていただきます。

事件がおきた95年から、刑事裁判が始まりましたけども、当時の東京地裁というのは、刑事16部まで、全部オウム裁判が行われていました。わたしは、・・・銀行に勤めてた普通の主婦でしたので、もちろん、裁判所というところに行ったことは、なかったんですけれども、なるべく事件のことを知りたいと思って、裁判所へ傍聴に行きました。今日の、ゲストの江川さんも、傍聴されてまして、わたしにいろいろ、あの、お話をしてくださいました。裁判のことも、傍聴するようになりました。で、初めの頃はですね、傍聴席にたくさん、オウム信者がいました。そういう中で、傍聴を続けられたのは、江川さんのおかげでした。松本智津夫の裁判、がですね、刑事7部で、行われていまして、弁護団は、12人、いました。今日のゲストの小川原さんは、その弁護団のお一人でした。えー、わたしはその、更新手続きの時にも、意見陳述とかですね、いろいろな意見陳述書などを、弁護団からいただいていました。小川原さんは、被告人の弁護団に、「ください」って言って(すこし笑いながら)あの、もらいにいく・・・わたしを・・・どう思われてたかわかりませんけれども(すこし笑いながら)、まぁ今日はゲストにお願いいたしましたら、快く引き受けてくださいました。

それからオウム真理教は、89年に、東京都から宗教法人の認証を受けたんですけれども、まぁ独自の国家建設・・・を目指して、教団内に省庁制を導入したりとかですね、あと、小銃の密造とか、化学兵器で・・・武装化をして、果てはですね、地下鉄サリン事件を起こすに至ったわけです。
で、あの、松本智津夫の、指揮命令があった、ということが、死刑を考えることの、難しさになったのではないかなと、思っています。今日のゲストの藤田さんは、そういう宗教的な観点から研究をされている方なので、そういう話を今日はじっくり伺いたいと思っています。

今、死刑についての講演会とかシンポジウムが、いろいろなところで、開催されています。今日は、オウム事件についての、死刑、ということなんですけれども、16時半までの短い時間ではありますけれども、皆様方と一緒に、いろいろなご意見を参考に、死刑について考えていきたいと思っております。

最初に、映像をご覧いただきたいと思います。
これは、あの、この映像についてご説明しますとですね、カメラを設置して、わたしが、インタビューをさせていただきました。全員に、同じ質問をしました。被害について、それから裁判の傍聴について、被告人について、死刑判決について、そして日本の死刑制度について。その他にもすこし、お話を伺いましたけども、だいたいそういうような感じで、質問をいたしました。で、あの、いつも、被害者の会で、みなさん一緒なので、そういう関係で、わたしの質問には忌憚なく答えてくださった、ということもあって、タイトルを「被害者遺族の本音」というふうにしました。それでもですね、中には、あのー・・・「わたしが『死刑』という言葉を使った映像を公開しないでください」とおっしゃっていた人もいましたので、えー・・・オウムへの恐怖というのが、未だに続いてるんだなっていうこともわかりました。
最終的には、映像は28分で、答えてくださったのは、7人です。映像の中に、わたしが、質問をしたので、わたしの意見というのが入っていないので、映像が終わってから、そのわたしの、意見を、少し述べさせていただきたい、と思います。それでは、ご覧いただきたいと思います。どうぞ。




ご覧いただきましてありがとうございました。わたしの意見をここで述べさせていただきます。
主人に関してなんですけども、事件当時、霞が関駅で働いていました。で、映像の中で、Aさん(負傷者の男性)が、その、まさにその、サリンを取り出したときの様子を、お話くださっていましたけど、あれから、車内のサリンを取り出して、ホームの上で、痙攣をして、倒れていたのだと、そういう話を、ホームで主人を見ていた人からも、うかがっています。

刑事裁判についてなんでですけども、裁判員裁判というのが、2005年の5月から、施行されてて、わたしとしては、それ以前の裁判と、裁判員裁判の、両方を、経験しました。

そこで、遺族として感じた事はですね、裁判員裁判っていうのは、短い期間で、集中的に審理が行われるということが良い点、なんだと思いますけども、「公判前手続き」というものがありましてですね、それは、あのその中でどういう風になされているのかということが、ま、あの、あんまり、知らされません。わからないわけで、しかもそれが、裁判が始まる前に、非常に長い期間かかってる・・・知らされないから長くかかっていると感じるのかもしれませんけれども、まあ、そういうことで、その期間が非常に長く感じた。で、実際に裁判が始まると、そこに出てきたのが、「争点だけ」ということで、極端に言うと、争点以外は、詳細がよくわからない。という、まあそういうことでした。

去年は、ちょうど今頃だったんですけれども、高橋克也被告の裁判員裁判が行われていました。高橋被告は、日比谷線にサリンをまいた、豊田死刑囚の、送迎役、だったわけですね。それで・・・その、争点に関しては、被害については争わない、ということで、つまりそれは、裁判員裁判の中に、被害者が出てこない、ってことになるわけですよ。

でも、あの、検事さんの取り計らいで、わたしが被告人質問もできましたし、意見陳述もさせていただきました。裁判員裁判には、そういうことだからといって、じゃあ、前の裁判のように長くかかるほうがいいのか、っていうことではないんですけども、でも、まあ長く・・・その被告人を見る、そのことによって、公判の中で、ゆっくり被告人の様子を、見ることが、あの、できたと思います。

それからもう一つお話したいのはですね、刑事裁判って・・・あの、去年の、高橋克也被告の裁判員裁判で、死刑囚が証人出廷したということです。遮蔽されていまして、傍聴席からは、その死刑囚の証人を見ることができなかったんですけれども、わたしは、被害者参加制度を利用しまして・・・被害者参加制度というのは、法廷の中に入って、検事さんの隣とか後ろに座ることができるんですけども、そういう関係で、遮蔽の中側だったんですね。なので、わたしは、死刑囚を見ました。
で、えー・・・その死刑囚の人たちを、最後に見た、というかですね、法廷の中で見るわけですけども、それは、最高裁は出てこないので、控訴審、なんですけども、その後ろのほうに死刑囚の、(資料を指して)この裁判でいつどういう風になったかをご覧いただければわかると思うんですけれども、まあ、2003年、2004年、2005年、2006年、2007年くらいですかね、まそのような感じで、そうするともう10年くらい、拘置所から出ていない・・・と、いうことになると思うんですね。

でもそういうことを考えても、死刑囚の誰もが、すごいしっかりした証言をしていたな、と思いました。その中で、豊田死刑囚の証言は、東京地裁ではなくて、東京拘置所の中で裁判が行われました。

豊田死刑囚に関しては、一審の時からそうなんですけども、無表情で、たんたんと証言をしていまして、その態度は全然変わってないなあって思いました。どうして、そういう様子なのかっていうのかはですね、やっぱり自分が感情をあらわにすることが、被害者遺族に対して、さらに傷つけることになる、という、そういう考えからだとわたしは聞いています。
今回、東京拘置所での裁判は、本当に、限られた人間だけしかそこに参加することができなかったのですけれども、豊田死刑囚の、そういう気持ちが、十分に汲み取れたと感じています。

えー・・・遺族になるまでは、わたしはオウム真理教と何ら関わりなかったわけですけれども、そこで感じたことはですね、裁判では、刑罰を決めるために、必要なことだけが、話される・・・証言されるということです。それは、裁判員裁判だとなおさらのことだと思います。
死刑囚は、もっともっと、いろいろなことを話したかったのではないか、今、死を目の前にして、今だから言えることが、あるのではないだろうか。ということです。
通勤電車に、サリンがまかれるなんて、誰が想像できたでしょうか。もうそれを実行してしまった、そのことについて、裁判の中だけではなくて、自らの話をしてもらって、それからの死刑執行でも遅くはないのではないかなという風に思っています。

その死刑執行についてですけども、わたしは2011年に、最後の死刑判決が確定した時に、その時からですね、ひとつの要望を持っていました。この度、それを、法務大臣あての要望書として書きました。でその内容は、冊子の10ページに書いてあることなんですけども、まぁ文章が下手な、わたし、なので(すこし笑いながら)、これをあの、しっかり読んでくださった弁護士さんが、この四項目の要望が、まちまちで、とても分かりにくいというご指摘を受けまして、あの、ちゃんと、書き直しました。全くこれと同じものではないわけですけども、でも、きちんとした形で、要望書に仕上げて、先日法務省に連絡をしまして、今国会の会期中なので、法務大臣に直接お渡しできるかどうかわかりませんけども、とりあえず、受け取ってくださるということで、17日に法務省に行くことになりました。

それから、その他の項目としてはですね、死刑囚に会えるとしたら、どうするか、ということですけれども、まあ、自分から会いたいということではなくて、そういう機会が与えられたら、その機会を利用したい、ということです。
それから、終身刑の導入に関しましては、終身刑の導入には賛成ですが、やはり死刑・・・というのは、残すべきだと思っています。
ありがとうございました。(拍手)


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