2015年8月16日日曜日
高山文彦「麻原彰晃の誕生」
今更ですが読みました。
なんでもう少し早く読まなかったんだろう。
九州から東北まで、とても綿密に取材されていて、麻原がどう誕生してどう歩んでいったのかがよくわかりました。
滝本弁護士も絶賛の書のようです。
以下気になったところ引用させていただきます。
松本智津夫の幼少期〜青年期の歪みぷり(ただの不良学生)を体感していた先生の言葉。
「古くからいる教師たちは、智津夫のことをまったく信用していなかった。オウムのいろんな事件が起きても、あの智津夫が人の上に立ってやれるわけがない、だれかに担がれとるだけじゃないか、と思っていたんです。ところが、だんだん真相がわかってきた。私らは、オウムの信者たちは、智津夫に騙されているとすぐに思った。智津夫の得意なこけおどしですよね。智津夫がオウムでやったことは、もう学校でしょっちゅうやっていたことの延長です」
チベット仏教の高僧やダライ・ラマに褒められたことなどを勝手に書くこと
あるとき智津夫は、法王にこんな話もした。
「密教の修行のひとつである血管と風の修行を、私はものすごくやりました。それで目が見えなくなりました」
法王はこのときも大きく笑った。
「それはおかしいです。ほんとうは修行すればするほど、目はよくなるはずですよ」
しかし、このように言われたことは機関誌などにはひとつも書かず、麻原はひたすら自分が法王にホメられたことなんかを書いていました。実際そんなこと言ってないのに。
これはマインドコントロールの手法にも使われる「権威付け」になります。
人は、警察とか、大臣とか、博士とか、教授とか、法王とかいった地位の人たちに言われたら、そういう人の言っていることはみんな正しくて、その人が認めている人ならその人もまた素晴らしいと思うそう。
上祐さんの小言も載っていました。
すべての財産を布施し、遺書を書き、家族との縁を断ち切ってきた彼らには、帰る場所はなくなっていた。上祐史浩は教員免許をもっているある女性信者に、ぽつりと洩らしている。
「あなたはいいですね。教師の免許ももってるし、力もあるから、社会にもどってもやっていけるでしょう。でも僕は、もうもどれません。社会にもどっても、生きていけないから」
生きていけるので、大根作りましょう。
身勝手なポアの思想のはじまり。
「チベット密教というのは、非常に荒っぽい宗教で・・・私も過去世において、グルの命令によってひとを殺しているからね。グルがそれを殺せと言うときは、たとえば相手はもう死ぬ時期に来ている。そして弟子たちに殺させることによって、その相手をポアするというね、いちばんいい時期に殺させるわけだね。」
智津夫がはじめて「ポア=殺人」というものに具体的にふれたのは、殺意をもって最初の殺害にいたった田口修二事件より二年前の1987年1月、丹沢でおこなわれた集中セミナーでのことだった。
「解脱者はカルマをつくらない。解脱者には自分のエゴがないから、すべての行為は必然なんだよ。たとえば、ひとを殺したとしても、それは必然だ」
斎藤誠(元信者・仮名)はそんな奇妙な論理をふりかざす智津夫を、茫然と見つめていたことがある。最終解脱者であるということが、すべての正当化につながっていた。
オウム初期の頃、確かにヨーガはやっていて、自分のエネルギーを人のために使っていたところもうかがえる。しかし、チベット仏教の「ポア」の思想を、本来の高い世界へうつすという意味を歪曲させて説いていたのは、やはり初期の頃からでもおかしさを感じる。
麻原彰晃とは何だったのか
ひとりの男が、壁に向かってじっとなにかを凝視している。いったいなにを見ているのだろうか。
群衆が集まってきた。そのまわりを、新しい群衆がとりかこんだ。彼らはいつかきっとこの男がふり返り、なにを見ているのか教えてくれるにちがいないと待ちわびている。集まってきた群衆は、千を超え、万を超えた。
じっとその場を動かず、結跏趺坐を組んで、ひたすら壁と向き合っていた男が、ゆっくりとふり向く。人びとの期待は最高潮にふくらむ。
つぎの瞬間、彼らは、その男がなにも見ていなかったことに気づかされる。男の顔には目もなく、鼻もなく、口もない。男はのっぺらぼうだった・・・。
そんな映像を、私は智津夫に思い描いてみることがある。
とても想像し易い映像でした。
恐ろしい詐欺師です。
井上嘉浩さんにも触れられていた。
地方都市の典型的な核家族の一員としてなに不自由なく暮らしていたはずの中学三年生の少年が、こんな詩をノートにしるしている。
救われないぜ
これがおれたちの明日ならば
逃げだしたいぜ
金と欲だけがある
このきたない
人波の群れから
夜行列車にのって
麻原の側近のなかで最年少であった井上嘉浩が(略)尾崎豊の詩をアレンジして書いた詩だ。
<このような、尾崎豊さんの歌にある詩の内容に、現代の若者を中心とした多くの人たちが共感を覚えていったという事実が存在する理由は、戦後、この日本に、経済成長とともに、「経済的に、物質的に、豊かになることが、幸せなんだ」というような価値観が広まっていった結果、そのなかにおいて精神性を失ってしまった日本の現実のなかで、多くの人たちがこの「物質主義」でできた現実のなかで、本当の自分を確かめようとし、「精神性」を必死になって見つけ出そうとする衝動を有していたからだと思います。
一方、私たちを豊かにするはずだった物質主義は、人類そのものを破滅に導いてしまうような「核兵器」等の様々な近代兵器の開発にもつながって、「第三次世界大戦の恐怖」が現実的なものとして感じられるようになり、かつ、つぎの世代が生きていけないような「地球規模における大規模な環境汚染」を生じさせていくことにもなっていったのです>(降幡賢一『オウム法廷〈9〉』より)
おりしも、昨日は70年目の終戦記念日だった。
焼け野原の都市の写真を見ると、物質主義に走りたくなる気持ちもわかる。
わかるけど、やはりあのとき、物質やお金より大切ななにかも失ってしまったんだと思う。
井上家は、父親が家に帰らず、母親は幼稚園児だった井上さんの目の前で自殺未遂をしているので、「典型的な核家族」に分類されるのかどうか不明だけども。オウム事件をおっていると喪失された何かを感じることがたくさんある。
「麻原彰晃の誕生」は、麻原の半生を追いつつ喪失された何かに触れることができそうな一冊だった。
わたしも、他人も、きっとたくさんのものを喪失している。
でも無理に集めなくても、もういいんだとも思う。
本日は以上です。
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