2016年3月31日木曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー「被害者遺族の本音」

高橋シズヱさんがインタビューした「被害者遺族の本音」とされる映像の書き起こしをupします。


2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ①
こちらの文中と合わせてどうぞ。





映像「被害者遺族の本音」
※高橋さん以外の名前は全て伏せました。


1人目
男性(負傷者):
えー・・・やっぱり目ですね、完全にこう、瞳孔が縮まっちゃって、あの、ちょうど夕方の薄暗い・・・ああいう状態の目に、完全に薄暗くなりましてですね。


死刑っていうのを、早めに、もう決まってるんですから、してもらいたいっていう気持ちは持ってます。
それは、ここはやっぱり悪いことしてるんだから、犯罪してるんだから、やっぱり死刑は死刑で執行していただきたい、という気持ちは持ってますね。あの、それをあの、廃止したりなんかするってことは、今まで決めてきた人に悪いんじゃないかと思います。はい。


(自分は事件について)残すよりとか、(事件の背景を)みなさんに語ったり、いろんな取材に出たり、出来るんだったら、友人同士や知り合いでも、なるべく語るようにしています。


2人目
男性(負傷者):
(事件当時について)(目の前が)薄暗くなってきたので、あわてて、自力で、逃げました。細い、道に逃げ込みまして、50mくらい行った時点で、目が一瞬で見えなくなりまして、そのまま行き倒れみたいな、記憶を失って倒れてしまいました。


林郁夫の裁判を傍聴しましたけどね、あれでわたしね、すごく緊張しましてね、裁判の難しさとかね、感じましたねえ。


そうですねあの、わたしはね、なんであんな優秀な人たちがね、ああいう悪い道に入りこんだのか、非常に強い憤りを感じますねえ、なんの権利で、われわれのこの、社会の・・・今でも・・・わかりませんねえ、なんであんな道に入ってったのか。


やっぱりあの、司法がやったことは納得してますけど、まだまだあの、死刑執行までいってませんからね、執行してもらいたいですねえ。


高橋さん:もし(死刑囚に)会えたら、どうしてあんなことをしちゃったんだ、って聞いてみたいですか?


男性:(質問に食い気味で)あ、聞いてみたいですねえ!一歩踏み出した時の分岐点ですか、気持ちをね・・・できれば聞きたいですね、聞きたいです。
林泰男ですか、あの人、サリンの袋を3個、1個(を他の人より)余計に持ったってことで、気になってますけどねえ・・・聞いてみたいたいと思いますね、今の、(自分たちの)辛さというものを、わかっていただきたいですねえ・・・


3人目
女性(遺族):
(亡くなった妹さんが事件にあったところをみたという)女性の方の、名前も住所もわかったので、その方に連絡をしました。そしたら手紙をくださったんですけども。
その手紙の中に、日比谷線のホームに、でたら、すごく苦しんでいる人がいて、ものすごいケイレンを起こしてるのをみて、その女性は「あ、これはすごい、てんかんの発作かもしれない」と思って、ちょうど近くの娘さんが看護婦さんをその頃していたので、その娘が言った、胸を広げたりとかいろんなことを教えてくれて、それで、もう一人女性が、売店の女性に「助けてください!!」ってもう、すごい状態で言ってるのをみて、そしたら売店の女性はもう、「救急車を呼んでほしい!!」ってことを、悲鳴のように言って、大声をあげたんですって。そしたら、「もう、救急車は、呼んであるよ!」という声とか、いろいろな人がこう・・・すごい騒ぎになっていたんだけど、そこへ、「わたしは医療のものです」ってことをいう男性が来たので、その方と一緒に、人口呼吸をしたり、しているうちに、妹はもうぐたっ・・・としてしまって、ものすごい・・・こう・・・唾液を出すので、それを拭いたりしました、っていうお話を聞きました。

死刑制度があって良かったんじゃないって、思います。

もし妹が、サリン事件にあってなく、親族がだれもあってなかったら、わたしの場合、えー・・・刑罰200年とか、刑罰300年というふうなことを言って、「死刑は、反対!」って言ってたと思うんですけど・・・


その先に、どういうことが起きるかっていうことをね・・・考えてない人がいるんじゃないかなって、決めつけてはいけないんですけど、そう思うんですけど、多分オウムの人たちも、そうだったのかなあって・・・とても、狭い範囲の中で、考えを固まめてしまって・・・もし、違う意見があっても、「あー、そういう意見もあるのかあ」って、思えたら、違う世界が広がると、思いますけどね。


4人目
高橋さん:(事件当時)何が起きたと思いましたか?

男性(負傷者):全然わからなかったですね。霞が関までの車内で、みなさん、周りの方々が、咳き込んで、なんか、バタバタしはじめて、そのとき、いつもなら座れないとこで座って、寝てたんですね、全然状況がわからなかったと。
で霞が関についたところで、みなさんバタバタ降りて行って、目の前、一番先頭車両の、前のところに、駅員さんが、なんか誰かに言われて、たくさん入ってこられて、袋?を出していたとこを見てて、何があったんだろうな〜とこの騒ぎは何なんだろうなと、ニオイも正直、かいでみたりとかしたんですけど全然、わかんないし、果たしてなんでみんな咳き込んだのか、アレ(袋?)が原因なのか、なんなんだろうなこれは、っていうのは覚えていて、水があって・・・で、全然あとの被害は、わかんないまま、そのまま会社に行って、体調がおかしくなってきたんで、一時間くらい、でやっと、赤坂病院いって、何が起きたのかさっぱりわからないっていう・・・わたしは目が見えないんで、声だけ聞いてると、病院の方が、眼科に電話するようなことを、聞こえてて、でわたしの番になったとき、何も言わずに「即入院してください」って言われたんですね、なので、何が原因だとか、何がどういう症状だからこうだとかいうこともなくて、この状態なら即入院してくださいと、いうことでしたね。

死刑が確定したことについて、それは、あの、必ずしも・・・(司法が)判断されたことですから、いま自分が、うーん、異論はないですし、ただ死刑っていうのは、死んでしまえはそれだけのことになってしまうので、そういう意味では、無期懲役でなくて、終身刑のような、ずっと責任を負うような、・・・ことを、望みたいかなと個人的には思いますけども・・・

高橋さん:(死刑囚と)面会が、できるとしたら、どうしますか?

男性:僕は別にしたくはないですね・・・うーん、実際自分の職場とかで、自分の経験を話していると、まだ今の段階で、20代のコとかは、わかんない、何かで見たとか、そういう程度で、それを実際に聞いたことないということで、(体験談を聞いたことあるような人は)一人も居ないですから、今の段階で、知らない世代が多い・・・たったの20年かもしれないけど、それだけでもこんなギャップがあるんだな、っていう・・・まあ知らないと怖いなっていうことですよね・・・


5人目
男性(負傷者):えっとですね、築地で、外に出て、六本木の会社に向かうまでに、タクシーで避難したんですけども、目の前が暗くなる、視野がだんだん狭くなる、涙が出る、それから、鼻水ですね、鼻水がやたら出てくる、で、若干こう、心臓が苦しいっていうか、息が苦しいというそんな状態がだんだんだんだんと、六本木に向かうにしたがって、強くなって、で、会社に行ったらもう、ほんとにもう、一部爆破騒ぎだどうのこうのって言いながらも、わたし一人が会社に行った中で、すごいやっぱり、症状が悪くなってきたと。

高橋さん:裁判を傍聴したことはありますか?

男性:麻原のも聞きましたし、そのー、ほんとに、こいつら(オウム信者)何を考えてるんだろう、っていうのと、彼らは、何もほんとのことっていうか、なんであんな・・・そんなことをやったんだってことを、ほとんど語られてない。

それは、しっかりと、極刑は極刑で、されるべきだと思ってるし、その判断を今持って下せないっていうのは、おかしなことだと思っている一人ですけれども。
やっぱり、罪というのは償ってほしいなと思っています。

ある意味抑止力にもなるし、これから同じようなテロを企てようとするような、まあ世界的にみれば、ISのようなこともあったりするんですけどね、ある部門でちゃんとした情報をその、専門家がですね、訪ねて行く、でなんでなんだ、どうなんだっていうね、やっぱりその辺は、しっかり、分析をして、抑止力っていうか、犯罪の抑止力の糧にするっていうのは、絶対必要だと思いますね。

ほんとに、量刑としての、終身刑みたいな制度も一つだと思うし、やっぱり量刑としての終身刑、そして、死刑というのを、絶対残すべきだな、と思っています。

高橋さん:終身刑は死刑の代替案にはならない・・・?

男性:ならない!それはならない。よく、ありますよね、無期(懲役)っていう。無期も、途中で出てきたりとかあるじゃないですか、だから、そういうことではなく、終身。終身ってことは全く出られないってことで、ただ、死刑イコール・・・代案ではない、っていう風には思います。

感情として、それこそ昔の時代だったら「敵討ち」ですか、そういう考え方のDNAが日本人の中にあるんじゃないかなと思うし、それは、宗教的な意味でも、それは、償いとして、ありうる、というような・・・感情論・・・あの、DNAの中にあるんじゃないかなって、僕は思うんですけどね。


6人目
女性(娘さんを亡くされた遺族):T(娘さん)が身につけていたものをわたしも身につけると、自分も勇気が出るんです。
(事件当日)Tが(警察署の)下にいる、っていうから、入った時にお巡りさんが、迎えに来てくださいって言われたから、行ったんですよ、迎えに行っていろんなこと聞かれたんですけど、あたし、答えることができなかったんですよ。死んだこともよくわかんないのに、しゃべることできるわけないじゃないですか。お父さんが一生懸命しゃべってましたけど、まず第一に、Tに合わせて欲しいって言って。
そしたら地下室まで、エレベーターで降りて、「ここです」っていうから、わたし「え、なんでこんな地下室ですか」って聞いたんですよ、そしたら「ちょっと待ってください」って言われて、それで冷蔵庫みたいのをガチャンって開けて、冷たい風がぴゅーってきたんですよ、冷蔵庫から、出して、棺が、入ってて、「お母さん触らないでください」って言われて、それで開けて、ビニールが張ってあって、つめたーい冷蔵庫に入ってるから、一回触った時冷たかったです。「なんで姉ちゃんこんな冷たい中にいるのお父さん!」って言ったんですよ・・・

高橋さん:警察の人はなんて説明してました?

女性:わたし聞いたんですけど、覚えてません。

高橋さん:サリンで亡くなったってことは、いつ知りました?

女性:主人から聞きました。お父さんがね、「Tはサリンで死んでるから、ビニール張ってて触れない、Tには直に触れない」って、サリンがなんだかわかんないから、「なんで触れないの!!」って、「そういう決まりだから」ってお父さんは一生懸命わたしをなだめてくれたけど、わたしは自分の頭では、ほんと「お姉ちゃん帰ろうよ」って抱きしめて帰りたかったです。でもビニールでびちっと目張りしてあって・・・あの時は、自分でも帰りどうやって帰ってきたか覚えてません・・・

高橋さん:なにか言いたい、って思う被告人はいましたか?

女性:林泰男です!・・・何を言いたいかというと、わたしの娘を殺して自分は、逃げて、まして女性と二人で逃げたってのがわたし許せないです。
(死刑確定して)よかったと思いました。わたしはよかったと思う、すごい親だと思うけど、って主人も言ってました。お前は気の強い女だけど、って。母親だったら娘殺されて、笑ってる母親はいないと思います。

高橋さん:今からでも(林泰男に)会って聞けるとしたら、聞きたいですか?

女性:あたしはもう、娘は死んでいないんだから、何聞いても娘は帰ってこないのでわたしは聞きたくありません!
親としてわたしは、あの人の死刑のボタンを押したいと思います。あの人たちに対して、何も悪いことしてないと思います。それなのに、ああやってしたんだから、わたしは親として殺したい。死刑がどうのこうのじゃない。自分のこの手でボタンを押し、親の仇として、仇を討ちたいです。
これはね、身内がこういう立場になってみないと、死刑があっていいか悪いかって言われると、困るって思うんですけど、自分はわたしの娘がああやって殺された以上、殺した人は死刑になってほしい。

高橋さん:死刑に反対してる人たちがいますけれども、その人たちはどうしてそういうようなことを主張してるのか、聞きたいですか?

女性:あたしは、聞いてもあれなんですから、自分たちがどういう・・・ほんっとに・・・・真の底から悲しい思いをしてないからだと思います。

高橋さん:「いや、してるんだよ実は・・・」ていうことを言われたらどうしますか?

女性:そしたらわたしは、あなたは仏さんみたいな人だねえ、って言います。あたしはそこまで、人間穏やかでないから。そういう気には全然なりません。


7人目
男性(妹さんが重体となった方):
(事件当日、病室にて)もう・・・痙攣してる状態だったし、わたしが病室の中には行って触ろうとしても、「触らないでください」って言われたし、体にはいっぱい器具が付けられていて、人工呼吸器から、さまざまなものですね、管を通されて、おしっこも含めて、そういった状態で顔を見ても、もうほんとに、生きてるかどうか分からない。で、いつ死んでもおかしくないという状態だったので、まあたまたま どうしたんだろう、とにかく助かってほしい、なんとか助かってほしいという、その気持ちだけでしたね。

高橋さん:泣いたことはありますか?

男性:その控え室で僕は一晩、そばにいることは出来ないんですけども、一晩いていいよってことだったので、ずっと一晩いて、その翌日に・・・ま、安定、少し、してますから、「一回お家にお帰りになって」ってことで、うちの家内の車に、迎えに来てもらったんですね。車で運転をしてもらいながら、一度だけ「ごめん、泣かせてくれ」って言って、かなり大声で・・・ほんとに、大声で、助手席で泣きましたね。
それから、うちの母たちもずっと泣いてばかりだったので、なんかいろんなこと、死んじゃえばよかったって、うちの母が言ったんですけども、そのことがあったんで、それから、両親を含めて、僕は絶対泣かないようにしようって、だからそういった意味では、一度だけ大きく泣いて、その後は、極力、家族の前で泣かないようにしてます。

高橋さん:奥さんだけには見せる?

男性:そうですね、うちの家内、しか、しらないですね、はい。

高橋さん:どうして泣きたいと思ったんですか?

男性:なんでなんでしょうねえ、今思うと全然分からないんですけども、悔しい気持ちですとか、なんでこんなことになっちゃったのとか、なんで僕の妹がとか、いろんな複雑な気持ちだったと思います。

そうですね、一番僕の中で、記憶に残ってるのが、松本智津夫の傍聴したときに、前から、僕は、真ん中くらいの席だったんですね、で本当に・・・少し歩いて手を伸ばせば届くところにいたので、その時は本当に体がわなわな震えて、ほんとに・・・そばに行って、殴りつけたい、そんなような心境でしたね。

あのー、ぼくの中では、特に、印象に残ってるのは、やはり、広瀬健一死刑囚が、出てきた時、どうしても一番最初に聞きたかった部分だったので、そこは、「一生懸命に、いろいろなことを思い出しながら話そうとしている広瀬健一」というのが印象に残っていて、それがいい悪いとかではなく、彼は彼なりに、いろいろなことを思い出して、話をしようとしてるんだろうなということは、印象に残ってます。

事件当初の本当の気持ちと、今、うちの妹に対して、また、何人か亡くなってますから、その人たちに対してどういう気持ちなのかは、聞いてみたいですね。
ただ多分、返ってくる答えは「すまなかった」で決まってると思うんですが、本当にどうしてそういうことになってしまったのか、ということであれば、今であれば、少し聞いてみたいという気がしますね。本当に話せる、ってなるなら、やっぱり聞きたくないっていう気持ちの方が、強くなってくる気がします。
・・・今、話をしていておもったんですが、やっぱり、仮に、ということで、頭の中で想像したんですね。自分の中で。広瀬と面と向かって話ができるということになったら・・・やっぱり聞きたくないですね。うん。聞きたくない・・・聞きたくないです・・・想像した時点でちょっとイヤだったので。
うん、事件当初は、やっぱりニュースにも触れたくないし、見たくもないし、ニュースが出て来れば、自分から拒絶していて、でその中で、このままじゃいけない、と、被害者の会に出席させてもらって、いろんな人のお話を聞いたり、さまざまな人たちのお話を聞くことによって、なんていうんだろう、最初の、妹が助かればいい、そこから、なんとかしたい、で、時間が経つにつれ、少なくとも、事件当初に比べれば冷静にみることができるようになったとは思いますね。でそれによって、自分が、裁判員裁判に参加させてもらうまで、時間だったり、経験だったり、様々な人たちのアドバイスを受けることによって変わったっていうことは、あると思います。

死刑制度があるというなら、YESなのかなあと・・・で、その人の、犯罪者である、死をもって償うってことだと思うんです。
でも死をもって償うのは、ある意味、その人にとってもしかしたら、ラクかもしれない。なぜかというと人が変わってしまうわけですから。でも、もっと長い間、たとえば、何年も・・・海外では終身刑ということがあると思うのですが、その間辛い思いをして生きて行くほうが、もしかしたら辛いかもしれないし、ただ、犯罪をした人たちが、辛い思いをすることがいいことなのか、ってことは、疑問なんですけども、ほんとにイエスかノーかっていうのが、僕の中で、決めかね・・・ますね。
死刑が、契約書などで入ってる部分、そこは、国の税金なりなんなりでまかなわなければならないと思いますね。
そうするとうちの妹は一人で生きていけないですよね、じゃあ、もし、それって僕たちが何かあった場合、妹はどうしたらいいのだろう。被害を受けた人たちが、生活していける環境を作るべきだと思うので。そういうの改めてできないのかな、って思ってしまいます。
話の中で、わたしの大事の人たち、周りの友達、友人、その中で、僕の事件に対しても、周りの人たちは、死刑にしちゃえばいいじゃないか、って簡単に言葉が出てくるんですね。それは、多分自分が事件の当事者じゃないから言える言葉だと思うんですね。僕ももしかしたら、この事件の当事者じゃなくて関わってなければ、死刑にしちゃえばいいじゃないって思うかもしれない。でも、自分がその当事者になったとき、死刑によって、全てその事件が終わるわけではないですよね、ていうことを考えていくと、死刑制度が本当にいいのかどうなのか、終身刑のほうがいいのかどうなのかっていうことを考えると、何が一番いいのかって、僕の中で答えが出てこない、というのが本音ですね・・・




映像は以上になります。


2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑦

引き続き、学生さんと井上嘉浩さんの弁護人として有名な神山弁護士のご意見です。
そして住民運動をされている方からの質問です。
書き起こしは今回で以上になりますが、序盤の被害者の方の映像をなんとかして明瞭に起こしたいです。


①はこちら
②はこちら
③はこちら
④はこちら
⑤はこちら
⑥はこちら


武井弁護士「ありがとうございました。11ページを参照にした以降は、個人的発言ということで(笑)それでは、慶応大学の学生さんであるKさん(仮名)お願いできますか。」


Kさん:
ご紹介預かりました、Kともうします。僕みたいな学生が発言していいのかちょっとわからないんですけど、僕なりに、学生目線から、思ったことを発言しようと思います。
僕たち大学三年生はおそらく、この地下鉄サリン事件が発生した時に生まれて、事件とともに年をとっていく世代で・・・と、ある意味、感じるんですね。僕も、個人的に気になってこういった事件を調べていて。
大学で、周りの友達とかに聞いてみると、やっぱり「知らない」と。「オウムとは何か」と。
僕は、個人的に個別指導塾で、塾講師をやっていて、小学生の生徒たちに聞くとやっぱり「知らない」と。「オウムって何」って、同じような回答が・・・それはまぁ、小学生の方がもっと知らないんですけども。

僕たちの世代はどういう世代かなあって考えた時に、やっぱりこう、バブル崩壊後に生まれて・・・基本的に未来は明るくないだろうっていう、悟った姿勢がありますし(笑)何かに打ち込むことも、ちょっとダサいかな・・・って。
基本的にそういった中で、「熱くない」。そういった、なんか、夏報道されていたようなシールズのような若者の運動が、「あれは、若者の象徴だ」って言ってた報道もある一方で、基本的に若者はあれを、冷ややかに見る姿勢が、それが若者の明示する意味じゃないか、って僕は感じてるんですね。

そういった中で、オウムの事件が起きたみたいに社会のエリートの若者が、オウムの教団に入って、衣食住すべて、コントロールされた中で、破壊的カルトに進んで行くような動きは、起きるのかなって僕の中で考えた時に、一見、起きないだろう、ってまぁ僕たちの世代の中から、何かに熱くやるってことはないのかな、っていう一方で、「ひかりの輪」とか、そういった後継団体の入信者は増えてるわけで。
そういったことを考えると、やっぱり、今の世代っていうのはきっかけがすごく見えづらくなってるのかな、って思います。当時よりもかなり、そういった意味では危ないのかな、ってことを感じてます。

僕も親に、「オウムって大丈夫なの?」って幼い頃に聞いてみたりしたんですけど、「オウムは公安が見てるから大丈夫」っていう通り一辺倒な答えで、ほんとにそんなんで大丈夫なのかなって、感じたんですけど(笑)まぁもちろん大丈夫じゃないんですけど、僕たち若い人はそういった、なんか「熱いモノ」を排除したり・・・何かに取り組むことがダサいっていうムードがあるからこそ、そういったことに心を寄せる人が言えなかったり、オウムの後継団体がそういうものをこう、示してくれると、そういったとこにするするーっと行っちゃうのかな、って、そういった動きが・・・なんていうんですかね、進んでるというか、視野が狭くなってるんじゃないかなって、僕は個人的に思います。

やっぱそういった中で、これは、一般的な意見じゃないんですけど、家族とか、そういったもののつながりが大事なんじゃないかなっていう風に、感じました。

次にですね、僕らが育ってきた世代っていうのは、やっぱり凶悪な事件っていうのがたくさんあった中で、僕は個人的に、彼らには彼らの論理があるって思うんですね。ワイドショーとかで言うところの、いわゆる、「心の闇」とかそういう風なものなのかもしれないですけれど、まあ、犯罪者ってのは生まれた時から、犯罪者として生まれたわけではないですし、オウムもオウムとして生まれてきたのではないと思うんです。

オウムは、いつから犯罪者になったのかっていう、そういうことを細かく紐解いていくような作業が、やっぱりすごい大事で、こうやって僕も生きてても、いつそっち側に転がるか・・・それは無いと思うんですけども、何かのきっかけで転がることっていうのは、皆、一様に、あると思うんですね。「ある」ってしていた方が、僕はいいと思うんですね。

僕たちの世代的には、そういう風に転がるものの動きを、基本的に排除しようっていう動きが、やっぱりある中で、そこはすごい危ないんじゃないかっていう、考え方ができると、僕は思います。
江川さんが先ほどおっしゃっていたように、オウムっていうのはすごくいい教科書のようなもので、僕たち若い人っていうのはほんとに、オウムって教科書の一単語でしかないんですね。「地下鉄サリン事件があった」って。じゃあ何があったか、って、何が起きたかって、どうったのか、被害者がどう苦しんでるか、死刑囚はどうなってるか、例えばこういった講演会に行かないと、本当にわからないことで、そういった意見を若者に向けて、発信してほしいなということも感じました。以上です。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございました。それではもう一人、神山啓史弁護士・・・信者の弁護も担当されていた、神山さん、お願いできますか。」


神山弁護士:
弁護士の神山です。わたしはですね、井上嘉浩くんの国選弁護人を務めました。
そういう意味では、今日本当に、いろんなことを聞かせてもらって、改めて事件の大きさを感じたところです。

わたし自身は、どんな事件でも死刑は廃止すべきだと思っていますし、井上くんの弁護をした立場からいえば、先ほどから出ているように、麻原さん以下の信者とはですね、本当に麻原さんを信じてマインドコントロールされた中で、犯罪を犯してしまったわけですから、今、本当に悔いているとすればですね、それを死刑にする必要があるのか、その思いを・・・・裁判のためにも弁論で述べた通りです。

今日、話を聞いていて、やっぱり絶対にやってほしいなあと思う、やり残してきたなあと思うのは、カルトに引っかかってしまって、カルトの中で、なぜあんな風になってしまったのか、で、なぜ、助けることができなかったか、なぜ、あんな大きな犯罪に手を染めてしまったか。それがなかなか・・・なぜ解けなかったのか、そういったことについて、本当にもっとよくよくですね、本人に話を聞いて、あるいは、専門家がインタビュー等をしてですね、もっともっと解明すべきであるし、解明することが必要なんだなあと思います。
そうしないと、せっかくの、裁判・・・というとおかしいですけども、彼らがやったことが、日本の歴史の中で埋もれてしまう。非常に残念なことで。

今、カルトにとらわれてしまうことをなくすために、何を考えなきゃいけないのかという、一番いい材料があるということですから。もっともっと、やっておくべきだったと思うし、やらなきゃいけないんだと。

それを考えた時に、先ほどから言われている刑事裁判はやっぱり限界があると思います。所詮は証拠に基づいて事実を認定するというレベルのものですから、ともかくすると、先ほどお話があったように、今ですね、やっぱりあの、死刑囚の人たちにですね、多くの人が面接をできるようにすると、あるいは、研究の対象としてインタビューを試みるとかですね、そういうことをやって、彼らがやったことをですね、後世の材料になるようにですね、作っていかなきゃならないと、そういう仕事をやらなきゃならないなと思います。

高橋シズヱさんにも反対尋問しましたし、滝本さんも反対尋問しましたし、西田さんも反対尋問した弁護士としてはですね、やっぱり我々が法廷でやっただけではダメだったんだなあと。もっともっとやっぱり、やり残したことがあるんだなあということを、今日改めて感じましたし、もし、この会の中でですね、「やり残したことがあるね!やっていこうね!」ってことになるのであれば、非常に、いいことだなあと思って聞いております。ありがとうございます。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございます。それでは、ここでご質問を受けたいと思います。限られた時間ですが、ご質問ある方は、挙手をお願いいたします。」


質問者:
腰が痛いもんで、座らせてもらいます、すみません。
今日は非常に、有効なお話ありがとうございます。実は私ども、足立区にオウムの信者たちが大勢いますんで、それに対して反対運動をしてます、xx会のA(仮名)と申します。
わたしたちは今までの話を聞いた限りだと、裁判の、死刑の反対っていうお話に反するような・・・わたしたちは、あの人たちに対して、非常に不安を持っております。この不安は、あれから20年(ママ)ってことで、あのー、あの人の、松本智津夫の子供達が成長してるでしょうから、その、成長の過程というか、さらに、心配になるようなことが起きるのか、そこいらの話は全然出ませんので、今日は・・・こうやって、聞かせてもらっても、その不安はとれません。
その不安をとってくれるのは、どなたかわかりませんけども、わたしたちは、活動を、まもなく6年にわたるんですけども、その恐怖と不安をとってもらうのはどなたなんですか。・・・っていう、聞きたいんですね。
死刑廃止のことも、当然、治安のいい日本ですから、そういう話は結構ですけど、現実に、迫ったような不安を抱いてる地域の方も目を注いでいただきたいんです。
なかなかあの、わたしらも、素人でお話は、下手なんですけど、切実に感じているもんで、質問させていただきました。どなたか・・・適切じゃなくても結構ですから、ためになるようなお話を、してください。


武井弁護士「ありがとうございます。なかなか難しい質問ですが・・・宗教関係の、藤田さん、いかがでしょうか。」


藤田氏:
まずは自分たちですよね。誰かが言うわけじゃないですよ。って僕は思いますが。
彼らを理解するってことは、何も同情するとか立場を・・・とかそういう意味じゃないですよ。彼らがどういう考え方をしてて、どういう動き方をするんだっていうのは、まずは自分らで知っていかないと。誰かがやってくれるっていうのは、そんな・・・ちょろい案件じゃないと、僕は思っています。
その次において、行政とかなんかにきっちり働いてもらうと。
だけど行政に働きかけてどれだけご苦労したかは、家族の会の方たちに、交流があると思うので、お聞きになっていただければと思いますけども。「アテにならない」って言われてますよね。だけどあの事件のあとに比べれば、それなりに変わってる。
だけど何よりも、自分たちで調べていく以外、対策やっていく以外ないんじゃないですか。
僕はそう思いますが。
その上で、行政かなんかに対して、説得力が初めて出てくると思いますけれども。
非常に冷たい言い方で申し訳ありませんが、まずはそういうことです。


武井弁護士「ありがとうございます。それではもう一人、江川さんもこういう問題に関わってきたと思うので、お願いします。」


江川氏:
はい、あのー、確かに今おっしゃったように、地域でどうするかという問題はあるんですけども、もう一つは団体規制法の対象になっていて、監察が行われてるってことが、みなさんにとっては、まあ結構、心狭い(?)みたいのがあると思うんですね。やっぱり後方的にそれを観察するってことは、とても大事で、ただ、団体規制法って結構、期限があったりするもんですから、だんだん、みんなの関心が薄らいでいくと、もうこの辺でいいんじゃないかっていう・・・そういう風になりかねないこともあるんで、やっぱりオウムの問題を考える機会をできるだけ持ってですね、団体規制の対象にしていって、彼らをみていくと。
例えばですね、麻原の死刑が執行されたりするとどうなるのか、遺体が家族のところに戻されるわけですね、で、その中で、火葬されてですね、一番可能性あると思うのはですね、彼らは骨を売るんじゃないかって。一粒いくらで売って、金儲けの道具にして、それでまたお金いっぱいもうけてですね、なんかいろいろやろうとする可能性だって、ある・・・ということを念頭において、これはきちんとみていく、ウォッチしていかなければならないっていうことを、言っていくことも、改めてお話伺って、大事かなあって思いました。ありがとうございました。


武井弁護士「ありがとうございました。時間になりましたので、以上にさせていただきます。」




閉会の辞については録音していません。
書き起こしは以上です。

2016年3月27日日曜日

2016年3月13日「地下鉄サリン事件から21年の集い」テーマ:死刑についてーオウム事件を考えるー ⑥

すみません、体調をハデに崩し、今週中に終えようと思っていた書き起こしですが、終わらなくなってしまいました。
がんばります。

今回は、西田公昭教授、アンソニー・トゥー博士、滝本太郎弁護士の意見です。
オウム事件におなじみの方々のお話ですが、とても勉強になりました。
特に西田教授の、専門家として死刑囚や被告人に会えない状況というのが、本当に問題だと思いました。
トゥー博士は、いつもニコニコされていて素敵な紳士でした。
滝本先生には、個人的にもお世話になっていてこの間も貴重なお話とともにビールをおごられてしまいました。おいしかったです!すみません!


①はこちら
②はこちら
③はこちら
④はこちら
⑤はこちら


武井弁護士「あらかじめ主催者団体の方で、三人の方にご意見をお願いしております。まず、立正大学教授の西田公昭さんにお願いします。」


西田教授:
みなさんこんにちは。立正大学心理学部、そして日本脱カルト協会の代表をやっております。西田と申します。
わたしからひとこと申し上げますと、わたしがこの問題に関わってマインドコントロールの問題を根幹としてですね、心理鑑定として弁護人から依頼を受けた、オウムの裁判っていうのは11名いらっしゃいます。そのうち7名が死刑確定者です。ただしですね、ちゃんと研究ができたわけではないんです。
目的がまぁ、「証人」や「鑑定」ですので、研究ではないんですけども、当然わたしにとっては研究になったわけなんですが、先ほども出てたんですが、専門家がですね、研究する際、本当に貴重な資料といえるし、それをさせない国家ってどうなんだろうと。ある・・・学者が言ったことなんですけど、世界のテロリズムってのは今、大きな問題なんですけど、それに対してですね、日本が貢献できるチャンスというか、そういうデータを得ているにもかかわらず、それをさせないっていうことで、一体日本って国はどうなのっていうような、厳しい批判があってですね、わたしもそこにですね、そうだなーって思っております。
実はこのオウムの裁判でですね、正式に鑑定が認められたのはわずか2件しかありません。
わたしが、私的に鑑定を弁護人から頼まれてですね、何人かにチャレンジしたんですが、わずか15分とか30分しかお会いできない。しかも刑務官はついている、っていうような、典型的な状況の中でしか、この問題について・・・向き合うことができなかった、っていうのがあります。

わたしも死刑云々いう前にですね、無駄に長い時間、20年の間、彼らをおいておく、っていう、そういう発想がおかしいんじゃないか、裁判終わったんだったら、とっとと、彼らに貢献してもらった方がいいじゃないか、と、わたし含めてですけども、おそらく、何人もの、関係にある・・・さまざまなですね、分野の違う研究者が、彼らに興味を持っていたはずなんですね。

もちろん、後でお話ししていただけると思いますけども、トゥー先生なんかは、生物化学兵器の研究者という立場で、アメリカの方として特別に(交流を)許されているというのが、ある意味・・・不思議な感じもするかもしれませんが、日本人の学者は、一体どうなっているのか、ほとんど誰も接触できないという、こんなことでいいのかっていうのが、非常に、心の中で、もやもやと、してきた・・・ですね。

で、事件は解明されてないとかいうこと言われますけども、それをさせないっていうか、そういったことをさせないでいて・・・その、死刑、執行はいつなのか、という話にするのはですね、あまりにも勿体無いなと、先ほど、江川さんがおっしゃっていたように、本当に・・・教育的にも、反省している方々何人もいらっしゃいますので、彼らがなんで、こういうことになってしまったのか、いうようなことをですね、語り部とでもいいましょうかですね、みんなの前で、彼らの直接の言葉で語っていただければ、これからの日本社会を考える上で、大変役にたつだろうと思います。

そういった意味での、制度ということですね、死刑制度だけではなくて、裁判の制度そのものに、大きく疑問を投げかけております。

もう一つそれに加えたいんですけども、最近は、裁判員裁判ですね、これは高橋さんが最初に言ってくださったように、「公判前整理手続き」っていうのがあってですね、そこで争点だけが決められて、それに関わった内容だけが、裁判員に開示されて、法廷で審理されて・・・つまりですね、例えば、わたしに鑑定を頼まれて、書いたとしてもね、裁判員が読めるかどうかはわからないと。
実際、ぼくのケースであったのはですね、書いたんですが、届きませんでした。裁判員も裁判官も、読むことはできなかったんですね。これいらないんだ、という風な判断をですね、勝手になさるわけですね。もし、裁判員の方が、対等であるならば、読みたいという人がいたかもしれません。そういう人たちに、鑑定書を読めない、そういう制度っていうのも、どうかなっていう風に、思っております。

裁判員の負担を減らすという言葉は非常によく聞かれるわけですけども、確かに、負担は負担です。
ですから、制度そのものの見直しが必要なんだとおもいますけれども、ある以上は、ちゃんと、裁判員だからといって、負担だけではなくてですね、きちっと、序せるようになっていただきたいと思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「西田先生ありがとうございました。今お話しに出てきました、アンソニー・トゥーさん、毒物が専門でコロラド州立大学名誉教授でもあられます。ぜひよろしくお願い致します。」


トゥー博士:
はじめまして、私は、アメリカのコロラド州立大学の化学の教授です。今日は二つ、報告したいんですけれども、一つはですね、私は、法務省から特別に(死刑囚との)面接を許されてですね、今、面接を許されてるのはですね、二人なんですね、私と、先ほど誰かが申された、ダンジグですね、ダンジグは、今ではアメリカの海軍長官ですから、日本でいうと、日本の海軍大臣に相当するですね。
しかし、日本の法務省が許可にする理由は今、ワシントンDCでですね、テロ対策のシンクタンクを作るっていってて、それで、非常に活発にですね、オウム真理教が、なぜ、テロの段階に走ったかということを、非常に熱心に調べてると。ですから、ダンジグさんと、日本に十何回か来て、死刑囚と面接してですね、アメリカでも、英語で報告書が二回出されてます。日本でも翻訳されて、日本でも見れるはずです。

それで一つ、一番初めに話したいのはですね、私は中川智正死刑囚とですね、今までに8回面接したんですね、そして、明日また面接する予定なんですけど、中川さんが私にいうにはですね、「本当に、被害者に対して、また被害者の家族に対して、非常に悪かった」と。自分は、誤りをですね、裁判所で言うだけでも、裁判所は、聴く人が非常に限られてるから、「先生はいろんなところで講演するから、そういうところで、私に代わって被害者や、家族に対して非常に悪かった」ということを、伝えてくれ、って、それで今、忘れないように、お伝えしたいと思うんですね。

さっきも、西田先生がいうようにですね、今のところ、オウムの死刑囚の面接、二人しか許可になってないんですね。日本人は一人も許可になってないんですね。実際にはですね、日本の人にも、そういう機会を与えるべきだと、私は思うんですね、ダンジグさんも、私もですね、許可になった理由はですね、「テロを調べる」という面から日本政府から許可になってるんですね。で、私は、化学者なもんですから、面接してもですね、主に化学兵器・生物兵器のプログラムについて聞いてますね、私がその時に感じることはですね・・・今までに発表されたオウムの化学兵器・生物兵器のことはですね、かなりわかっとるんですけどね、わからないこともたくさんあるというのはね、それは日本の警察の制度によるんじゃないかと思うんです。なぜかっていうとですね、警察が調べるのはですね、犯罪と関係あったことだけ、調べるんですね、ですから、犯罪と関係ないことはですね、全然、調べないんです。だから、化学兵器・生物兵器についてですね、わからないことたくさんあるんですけども、私は個人的に、中川死刑囚からたくさん、いろんなことを教えてもらって、かなり分かるんですけども、そういうことは一般の人には全然、発表されてないからわからないんですよ。

それからもう一つはですね、日本の警察ではですね、犯人を尋問する時はですね、それ専門の警察官がいるんですよ。
ところが、日本の警察の中でもですね、実際に化学兵器・生物兵器のことをわかるのはですね、化学警察・・・研究者だけです。尋問する人はですね、そういう人たちはしないんです。ですから、犯人を尋問する係の警察の人が、まあ刑事が知らんけど、専門に聞かないのです。
ところが、オウムの地下鉄サリン事件とか、松本サリン事件というのは、化学なんですね。ところが、質問する人は、化学全然知らないんですよ。
それで、ペンと、紙を持ってきて、お前書けって、書かせてるわけです。ですから、聞かれないことは書かないわけです。ですから、まだまだですね、オウムのことで、知られないことがたくさんあると思うんですよ。でそういうのはですね、日本の方に機会を与えて、真実を明らかにするべきではないかと思うんです。

私はただ、化学兵器・生物兵器的な理に興味を持っておりますから、そっちの方しか聞かないんですけど、また、日本の方が聞く場合にですね、もっと広くいろんな点で調べることがあるのではないかと思うんですね。

それからもう一つはですね、ちょっと、死刑とは関係ないんですけども、(資料に)関連年表ってのがありますね、関連年表の、2ページの・・・とこに、9月・・・20日、江川さんの次のところに、「杜博士が、科警研に土壌からサリン残留物を検出する方法を伝えた」それからその次に、「警察当局が、第7サティアン付近の土を採取し、科警研が調べたところ、11月にサリン製造の際の複製物が検知され、松本サリン事件で現場に残留してる複精製物とほぼ一致したことが判明する」。
私が日本の警察をサポートしたのは、ココなんです。それで、おそらく日本ではですね、どういう風にして私が、日本の警察の手伝いしたか、知らないと思いますから、そこをちょっと簡単に、内幕の話をお伝えしたいです。特にですね、サリンというのはですね、毒ガスなもんですから、みんな空気と連想してしまいます。しかし、サリンてのは揮発性の強いもんですからね、すぐに調べれば見つかるんです。二、三時間経ったら、空気として消えてしまう。ところが、土壌、土ですね、土の方はですね、あらゆる毒ガスを吸収して、地面の中で、非常に安定した化合物になってしまうんです。

ですからその、安定した化合物を調べればですね、誰がサリンを作ったかとかわかるんです。そこをですね、日本の警察はですね、教えてくれっていうわけで、お手伝いし始めたんです。
ところが実際に、そういう分析をするのはですね、やはり、アメリカ本土でないと、そういう情報がないわけです。
私は、1980年以来ずっと、アメリカ政府の特捜事件をお手伝いしたんですけども、それは主にですね、それに対しての生物兵器、特性兵器ですね、それで私はですね、アメリカ陸軍の生物兵器の人たちはかなり知っとるんですけども、化学兵器のは、知らないんです。それで日本から、FAXがきてですね、手伝ってくれと言われた時にですね、「困ったなー」と思ったんですよ。サリンていうと化学兵器ですからね。

そうするとアメリカ陸軍の化学兵器を担当してる人に聞かなければわからないわけです。
それで、先にですね、生物兵器で、私の知ってる人に、電話して聞いたんです。
そしたら「化学兵器のことなら、誰々に聞いたらいい」と案をもらった。知らない人にですね、電話するの怖いんですよ、しかもアメリカ陸軍で、そんな、地面の中からサリンの分解物を検出するという方法を教えてくれなんて・・・非常に、怖かったですよ、聴くのがですね(笑)。ですけども、日本からの、警察のFAXはですね、「今日本が非常に困ってる」と、あの、「分析の方法を教えてくれ」ってありますからね、それで私はですね、アメリカの陸軍の、化学兵器の司令官にですね、「今日本で非常に困ってるから、お手伝いしていただけないか」と、勇気を出して聞いたんです。そしたらですね、その司令官がですね、教えれるかどうかは、今答えられないけども、みんなと相談してから、返事しますと、それで私は日本の警察にFAXを送ってですね、2週間経って、返事がない場合は、こちらからまたアメリカ陸軍に電話して聞くから、それまで待ってくれって言いました。
翌日大学に来たらですね、私のFAXの紙を動かしてるのが見えるんですよ、びっくりしたですよ、アメリカ陸軍から、分析方法を、バーっと送ってきてるんですよ。
びっくりしちゃってね、全部で32枚送ってきたんですよ。それですぐに、日本の警察にまずそのFAXを送ったんですよ。
私が日本の警察から、手伝ってくれと言われたのが1994年の、9月19日、それで、アメリカ陸軍に電話したのが、その日ですから、9月19日。でFAXをいただいたのは、9月の20日。ですぐに日本にそのFAXを送るからですね、ですから、日本の警察は、1994年の、9月21日、日にちがアメリカと1日、時差がありますから、日本の警察は、1994年の9月21日に、地面の中からサリンの分解物を検出する方法を知ったわけです。
それで、あのころはまだ、オウムは宗教法人ですからね、日本の警察も非常に遠慮してですね、公に、上九一色から土を持ってこれないから、警察がですね、農民のような格好をして、山草をとるというような格好をして、上九一色の土を持って帰って、東京に持ってきて分析したんです。そのサリンの分解物の、メチルホスホン酸というのが、出て来たと。だからここ(資料)に、11月に、「日本の警察が土からサリンの分解物を検出した」と。これでですね、日本の警察は、科学的証拠を得たわけです。私のお手伝いはここだけなんですね。
私はこれだけで、日本から勲章いただいて・・・私はこれで、終わりにします。(拍手)


武井弁護士「ありがとうございました。それでは、引き続きまして、滝本太郎さんにお願いします。」


滝本弁護士:
滝本です。10分ほど、ということで、要領よく喋ります。
まず忘れないうちに、麻原の弁護団が、「麻原が宗教者である」「宗教だから事件をxxx(聞き取れず)」とか、今もそのニュアンスでおられたので驚きました。

宗教であることと、破壊的カルトであることはなんら矛盾しなくって、危なっかしい株式会社であることと同時におんなじように危なっかしい宗教があるし、宗教と殺人は多く結びついてる「宗教だから」という発想も「テロと結びつかなかった」ってのも驚きで、まさに「テロだった」っていうのはむしろ新實(智光)の弁護士がハッキリゆって、「内乱だから死刑は麻原だけに」と。内乱罪というのは、首謀者だけが死刑ですよと。麻原弁護団の話がそういう状況だったのは、今聴いても驚きました。
麻原裁判は、わたしから見ると実は理想的だったと思っています。麻原がみっともなく、ああいうアホな弁明をしたという。吉本隆明が期待したようにですね、「これは宗教殺人であって、ポアだ」と言ったらどうするのか、といったことを吉本氏は言ったんだけど、そういう期待はできなかったということです。

ただし、12人の弟子に至っては明らかに宗教殺人です。藤田先生が言われる全くその通りだと思います。
箇条書きで申すと、もう二十何年も経ったので、確認のためですけども、この事件は核兵器に匹敵する化学兵器サリンを無差別に大量に二度使われた、戦争だったということです。3月22日からのあれは、刑事捜査を使った代理戦であり、内乱だったと、実体としては、そういうもんだと、実質、自衛隊はあの日警官の格好をしていたんだと。自衛隊は、小銃の一発でも、またサリンの少しでも使われたら、治安出動もできるように準備もしていたわけで、内乱だったという認識でいます。

当時、ぼくもテレビでたり、いろいろしましたが、自分は心理捜査官だとメディアに言ってきました。主に現役信者相手だと、麻原さんに言ってた、心理捜査官だと自分は思っていたものです。

もう一つの特徴は、破壊的カルト団体においては、これは西田先生が言われた通り、本当に空中浮揚を信じてるんですよ、現役信者は。あのアホなわたしもできるんですが。本当に信じてる。それをわかってやってほしい。
事件の中の一つが、1994年5月9日滝本殺人未遂で、動機はわたしが脱会カウンセリングをしてきて30人くらい結局やめさせてきたと。それから、アホな空中浮揚をしてしまったというのは、麻原としては絶対許せなかったからという、極めてアホな動機です。
で、(滝本弁護士襲撃の)実行犯は麻原の愛人ですと。当時17歳の女性、出家して数ヶ月です。そのくらいの人でも、ポアするんだと思ってやったという、そこまでの、絶対者であるということ。麻原は絶対者であるということは別に犯罪だけの話じゃありません。尾籠な話ですが、女性信者にウンチをさせて、それを男性信者に食べさせてるんです、みんなの前で。いいですか、体はボディであって魂が大事だと、どんなに美人な人でも、けしてそれは人の本筋ではない、ということをお知らせするためにこうやっていい仲になった男女にそういうことをさせてるんです。もっとも女性も、麻原の毒牙にかかっちゃって、それに抵抗をしてない女性も多くいたわけです。
そこまでの絶対者だということを、認識していただきたいと思います。
さて死刑については、資料の11ページにオウム被害対策弁護団のものがありますので、ご参考にしてください。要は、麻原以外の12人は絶対的な麻原を信じてしまい、麻原の手足として(事件を)起こしたんだから、死刑にはしないでほしい、麻原は一方で死刑でいい、というものです。

こっから先は個人的な意見ですけどね、わたし自身は、強固な死刑存続論者です。麻原法廷でも堂々と述べてきました。死刑廃止論を言われる方は、「死刑の理由(井上薫・新潮社)」という本・・・多くの判決文の、死刑の理由なんですけど、それを整理した本なんですが、それさえも読んでいない。
意見がどういう実態だったか、自分が被害者・遺族になった気持ちになろうとした上で判断しようとしていないのが、非常に不満に思います。

麻原法廷では、後ろに、その娘らが、傍聴席にいる場で、やむなく、「あなたは死刑」と言ってきました。冤罪の可能性と、死刑執行の苦悩を考えるときには、死刑というものの制度を存続するかどうか、悩むものでありますけども、やはり、現世の責任は現世でとってもらわなければいけないものですから、もっとも大切な命を奪う刑罰というものの存続が必要だろうと思うわけです。

産まれながらの犯罪者はいないんです。だからこそ、煩悩、欲望を満たすために、多くの人をひっぱりこんで、ここまでのことをした。実は、(オウム事件は)起訴されてないのを含めて50人は死んでいる。これだけの事件を起こした麻原を死刑にしないでどうするのかと思ってはいます。

なお、受刑能力の点は先ほど小川原先生が言われた通り、今としてはわかりません。情報も入ってないし、専門家でもありません。麻原死刑にしても、今更神格化されることもありません。後追い自殺は数人あるかもしれませんが、その程度だろうと実は思ってます。残念なことですが、それはある。

それからずっと、(弟子)12人についても、死刑というかというふうに思われるかもしれませんが、そこはやっぱり違う。12人は坂本一家を殺し、またわたしを殺そうとした人たちです。だけども、やはり、脱会カウンセリングをし、また岡崎被告(ママ)、井上被告、早川被告にも会ってきましたが、早川なんてのは、宗教好きなただのおっちゃん、ほんとそう感じました。岡崎被告の頃は、まだ薬物は使われていませんでしたが、漆黒の闇の中に数十日間(岡崎氏によると50日を超えるとか)麻原のビデオを見せられて(岡崎氏によるとビデオは見ていない、他の信者にはあった)・・・

94年からの事件、これは、松本サリンのあとですけども、薬物宗教、LSD、覚せい剤で、さまざまな体験をしている。
カウンセリングも、この薬を使われた以降は非常に難しくなってきた感じがしています。その薬物の点は起訴は取り下げられてしまったので表に出てないのですが、途方もないLSDが押収されてるわけです。これ薬物宗教だったということ。(弟子たちは)マインドコントロールの結果手足となっていたということから、彼らはやるべきことを他にすべきだろう、と、言うべきことをやるべきだと思うわけです。

なお、実際は死刑執行すると、麻原が喜ぶことになるので、麻原にこれ以上殺されたくない、と思っているものです。実際早川に面会した時は、「生きてても同じなんです、早く死にたい」みたいなこと言ってて、「そう簡単には死なせないぞ」と言ってきました。
井上の高裁の裁判で出たので、「出てくれることをありがとう」っていうから、「ありがとうじゃないよ、あんたを簡単には死なせないよと、自然に死ぬまであなたにはじっくり考えてもらわなきゃいかんから、だから死なせないんだよ」と言ってきました。

死刑については、ちょっと申しますと、一審で終わっちゃって本人がいいってするのがけしからんので、国が人を殺すんですから、国の機能ではありますが、最高裁まで当然行くべきだと思ってます。
死刑執行は、立ち会った人もいますが、法務大臣以外にも立ち会うのが当たり前だと思っています。それから被害者らも希望する場合は立ち会わせてほしいと思います。

ただ、執行までの間でですね、特にオウムの男性信者は、現実感をまた失ってく。オウムではもともと、麻原への絶対服従もいけないんだけど、現実感がない。
映画の中にいるような感覚、あれが大いに問題なんで、生き物を飼わせるとか、ヒヤシンスを・・・冗談じゃなく本当にねえ、東京拘置所はひどいです。昔は緑が(独房の窓から)ちょっと見えたけど、今は全く見えない。あれが現実感覚をなくしていって、今も死刑囚の人で、宗教には逃げないはずなのに、やっぱり宗教の本ばっかり読み始めちゃうという。

現実感覚の重さがあったから、平田信も出てきたわけです。
2011年3月11日の東日本大震災だけではなく、あの年、10年間以上飼っていたうさぎが8月に亡くなったんです。うさぎと比較して本当に申し訳ないんですけど、やっぱり始めて飼ったいきものが・・・おなかの上で死んだんです。その重さ、それで彼は、現実感覚をとりもどし、かつ、愛し合っていた女性がいたことから、彼は出頭までに至った。

高橋克也と平田の大きな違いは、そこにあると思います。

もう一点だけ、松本死刑囚ですけども、法廷では、中島みゆきの「誕生」という歌を覚えてくださいと言ってきました。安田弁護士からは、「誰かに生まれ変わったら自ら言ってほしいですね」という尋問がございました。
97年の秋は、わたしは彼の元の家、金剛小学校というんですが、そのそばにある家を訪ねました。その(麻原の)弟さんからですね、「貧乏や、目が見えなかったことが原因だとは言わないでください」と。
つくづく言われました。他の兄弟はみんなまじめにやってるからです。親のせいだと言わないてくれと。そりゃそうだろうと思います。
だからこそ、自分の選択でもって、生まれながらの犯罪者じゃないから、死刑しかないと思っています。それに立ち会いたいとも、申してきております。

そして、最後に申すと、今日も、教団の現役信者が来てます。冗談じゃないと思います。ヒトラーを信仰するものが、ヒトラーの被害者らの集まり、その研究会に来るという状況と同じです。それは「聖無頓着」・・・オウム流の、心を閉ざし、感じないこと、その無頓着の実践のこととしてのことだと思います。自らを恥じなさいとつくづく思います。「麻原さん」と呼びましょう、と親御さんに言ってきたわたしとして、つくづく、恥を知りなさい、と思います。以上です。(拍手)


武井弁護士「はい、ありがとうございました。」