2015年11月13日金曜日
佐木隆三「三つの墓標」
佐木隆三氏が亡くなった。
とてもショックだった。
佐木氏のオウム幹部ひとりひとりの丁寧な描写を読んで、信者にも、それを見つめる作家にも、人間らしいものを感じることができた。オウム事件に、より興味をもつきっかけになった。
謹んでご冥福をお祈りする。
「三つの墓標」は、副題が「小説・坂本弁護士一家殺害事件」で、「小説」ならフェイクも結構入っているのかな。微妙かも、と思っていた。
しかし、佐木氏が傍聴したオウム裁判など綿密な取材に基づく内容だった。
坂本弁護士一家を殺害した実行犯6人の、ひとりひとりの入信のきっかけや経緯、心情が掘り下げられているのが興味深い。そこには憶測も含まれると思うけど、どうしてこのような事件に至ってしまったのか、とても考えさせられる内容だった。
6人それぞれの検察調書が掲載されていることも、興味深い。これは、小説ではなく本物の調書なので、6人それぞれの陳述を読み比べられる。
1989年11月4日深夜 事件当時、実行犯は以下のメンバー。()はホーリーネームと呼ばれる教団名。年齢は当時。
早川紀代秀(ティローパ大師 40歳)
新實智光(ミラレパ大師 25歳)
村井秀夫(マンジュシュリー・ミトラ大師 30歳)
岡崎一明(アングリマーラ大師 29歳)
中川智正(27歳)
端本悟(22歳)
中川さんと端本さんは、このとき入信したてで、事件後にホーリーネームを与えられることとなる。
純粋に求道をしていた若者たちが、なぜ殺人に至ったか、本書にはたくさんのヒントがあった。
殺された坂本龍彦ちゃんは、生きていたら27歳になる。今のわたしと同世代だ。
事件発生当時から6年間、失踪事件として扱われていたため、一家3人はどこかで生きていると信じられて、度々報道されていた。その6年間の記憶は、わたしの中になんとなくあり、今もこの事件について聞くと、暗く、重たい、恐怖のようなものを感じる。
死刑囚の支援をはじめた今でも、考え続けていきたい。
2015年10月29日木曜日
ToshI「洗脳」
みなさますでにご存知かと思いますが、今更ながら読みました。
想像以上に壮絶でした。
ホームオブハートの倉淵透(MASAYA)と守谷香から、12年にも渡り、壮絶な暴力、暴言を浴びせられ、洗脳されていたToshIさんのすべてが綴られています。
優しい顔で近づいて、個人の尊厳をずたずたに切り裂いて、お金を搾取し・・・
MASAYAや守谷が、何食わぬ顔でホームページなどを未だに公開しているのもすごい。検索してゾッとしました。
ToshIさんが「アゴ」と呼ばれまくってるのもひどい。
守谷が入院した病院へ迷惑をかけまくっているのもすごい引きました。
感覚が全然違います。
いるんですね・・・こういう人って・・・サイコパスっていうんですか。
また、守谷に暴行を受けるToshIさんの前で、ブクブクと太ったMASAYAが、食べきれないほどの料理を頬張っているのは、なんとなく麻原を思い出さずにはいられませんでした。
紀藤弁護士のあとがきに、「洗脳事件は交通事故のようなもの」という言葉がありました。
ToshIさんの場合、歌手としての生活がうまくいってなかった矢先にHOHと出会って騙されてしまった。被害者側が弱っていると見られると、搾取対象にされてしまうようです。
他人からお金は借りない、困ったら友人か相談機関へ相談する、どんな時も一人にならないで、抱え込まないことが大切なんじゃないかなと思う今日このごろです。
2015年10月12日月曜日
小野一光「家族喰いー尼崎連続変死事件の真相」
こんな恐ろしいオバちゃんや若い人らが乗り込んできたらどうしたらいいかフローチャート
従う→オバちゃんのだんなとの子供を産まされ子供をオバちゃんにとられる→犯罪に巻き込まれる→逮捕、自供
従う→歯止めが効かなくなる→逮捕→再犯を目論む
従う→洗脳される
逆らう→暴行を受ける→殺される
家族呼び出し→監禁、暴行→殺される
逃げる→養子縁組で身内になっているため、住民票や捜索願で連れ戻される→殺される
懲りずに何度も逃げる→何度でも連れ戻される→殺される
女友達に匿って貰う→連れ戻される→無理やり結婚させられる→殺される
警察に相談する→「民事不介入」と言われ取り合ってもらえない
強面大将に匿ってもらう→追っ手が来る→大将が追っ手を叱る→通報する→来なくなる
改めて、沢山の犠牲者がでたことに驚いた。
虐待され、亡くなられた方はお年寄りが多い…
自分より上のものには従い、下と見たら服従させる。
大人も子供も関係ない。
本当にひどい。
世の中どういう人がいるか分からないから、自分からしたら異常だと思っても、彼らにとっては普通のことということも沢山ある。
大きな声と暴言暴力で、ずかずかと自分たちに危害を加えられそうになったら、とりあえず、お金を一銭も払ってはならない、また暴力を受け入れてはならない。恥ずかしくても、迷惑に思われても、なるべく沢山の周りに相談するということが大事だなと思った。
弱気な態度を見せたら、付け入れられる。
わたしが子供の頃、目の前で父が変な人に絡まれたことがある。
普段は温厚で真面目な父、どうするのか見ていたら、その人の胸ぐらを掴み、叱りとばした。
そうしたら変な人は逃げていった。
皆吉敏二(仮名)さんを匿っていたお店の人も、角田ファミリーが来た時、彼らを叱り、警察に電話したら、来なくなったという。
良い人を取り込もうとする人たちがいる。気をつけなければ。
2015年10月7日水曜日
見沢知廉「囚人狂時代」
獄中の様子がわかるということで読んでみました。
壮絶でした。
人はこれほどまでに、残酷になれるのでしょうか。
なれるのでしょうね。
わたしも今まで、どれほど、残酷になったかわかりません。
しかし、その中にいてみえる優しさを追いたいです。
見沢知廉さんの追った獄中の人たちは、精神疾患を抱えた人が多いです。
わたしからみても、統合失調症、認知症、発達障害などさまざまな病気を感じました。
しかし、彼らはきちんと治療もされていませんし、社会復帰もままなりません。
どうなんでしょうか。
見沢知廉さんが亡くなっていることもはじめて知りました。
生き辛い世の中・・・きっとわたしより、何倍も、それを感じていたのだと思います。
2015年10月5日月曜日
渡辺 脩, 和多田 進「麻原裁判の法廷から」
冤罪と信じる人が多かった奥西勝さんが、獄中死された。
名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHB27V75HB2OIPE03G.html
悲しい。
10月2日は、フォーラム90による「響かせ合おう 死刑廃止の声2015」というイベントがあった。
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/event/2015/1003_5520.html
わたしの大好きな、辛口講評の死刑囚の表現展も開催されていた。
行きたかった。今は体の自由がきかない。「オウム」「死刑囚」と聞いたらすぐイベントへ飛んでってた頃が懐かしい。
死刑制度については、一概に大反対とは言えない。
単に死刑囚と知人だから反対したい、という気持ちもない。
彼らには、常に自分の罪と向き合っていてほしいと思っている。
人が人を裁くことはおこがましいと思う。目には目をという考えも古いと思う。
国際的にも批判があるというが、諸外国と比べて日本の司法はどうなのだろう。
いろいろと考えてしまう。
そんな中、奥西さんが亡くなった。
奥西さんの再審をしないことで、被害者も、加害者も、誰も得をしない。得をしたのは、司法側であり、その行程も結果も間違っているとしか言いようがない。わたしたちの税金は、間違っている人たちの間違っている行程と結果に使われてしまった。
多数決、名誉、権力で正義が決まってしまうのだろうか。
でもわたしはその正義を覆すことができない。無理だ。
情報を知ること、発信すること、考えることなら出来る。
幼稚で世間知らずでも、やらないよりマシなのかもしれない。
いろいろぐるぐる考える。
1998年出版。
麻原裁判において、弁護人をつとめた渡辺脩弁護士と、ジャーナリストの和多田進氏の対談形式の本。
出版年が古いけど、今読むと弁護の現場の臨場感が伝わって来る。
「もうこういう判決と決まったからこうだ」という見方はしたくない。
どのような方針で、麻原氏を弁護しようとしたのかをうかがい知ることができた一冊。
印象が強かった部分
①弟子たちが事件を実行したことと、麻原氏が命令を下したところが有機的に結びつかない。
②坂本弁護士が失踪した同年から岡崎一明氏をマークしていたのに5年放置したなど、警察の怠慢。
③リムジン謀議を井上証言のみで立証するのは難しい
④重要な幹部だった石川公一氏が何も語らず消えた、無罪なのはおかしい
①について。
これこそまさに、宗教的観点から見るべき視点だった。
オウム真理教では、弟子は、グルに全て・・・行動も、転生をも委ねることとされていた。グルが殺人を命令したら実行すべきだ、という説法も何度もされていた。一見、理解できないことを平気で実行するに至る心理、マインドコントロール、時に洗脳・・・という観点からみると、麻原氏の罪は十分に立証される。
②について。
警察は、坂本弁護士事件でも松本サリン事件でも怠慢し、オウム真理教を止めることができなかった。高橋シズエさんは、国松元警察庁長官から「坂本事件が早く解決していれば、と責められているが、我々が事件にもうちょっとつっこんでいれば、と思う。その通りだと思う。どうしようもない。警察としては一言も弁解しようがない。」(脱カルトシンポジウムでの発言 http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/05/2013622.html)と言われたという。
③について。
さらに、井上氏は一貫して「リムジンの中ではサリンをまくことと決まってない」と主張している。他に謀議をしていたメンバーは故村井氏を除き語らない。難しい。
④について。
石川氏については、あまり資料がないのでわたしも分かりかねている。
重要な幹部だったのかもしれないし、違うのかもしれない。
でも何も話さず主張せず、無罪放免で所在知れずなのはちょっと無責任なのかもしれない。
NHKの未解決事件という番組で、麻原の説法テープを寄贈したのが石川氏だという噂がある。あくまで噂である。NHKがあの番組で活かせたかというと、微妙といったところだけども。
現在の解釈とは少し異なる、弁護人からの視点が興味深かった。
こちらの本の方が、主張がまとまっているかも。
参考リンク:滝本弁護士ブログ「麻原さんの答え-沈黙」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1605.html
名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHB27V75HB2OIPE03G.html
悲しい。
10月2日は、フォーラム90による「響かせ合おう 死刑廃止の声2015」というイベントがあった。
https://www.amnesty.or.jp/get-involved/event/2015/1003_5520.html
わたしの大好きな、辛口講評の死刑囚の表現展も開催されていた。
行きたかった。今は体の自由がきかない。「オウム」「死刑囚」と聞いたらすぐイベントへ飛んでってた頃が懐かしい。
死刑制度については、一概に大反対とは言えない。
単に死刑囚と知人だから反対したい、という気持ちもない。
彼らには、常に自分の罪と向き合っていてほしいと思っている。
人が人を裁くことはおこがましいと思う。目には目をという考えも古いと思う。
国際的にも批判があるというが、諸外国と比べて日本の司法はどうなのだろう。
いろいろと考えてしまう。
そんな中、奥西さんが亡くなった。
奥西さんの再審をしないことで、被害者も、加害者も、誰も得をしない。得をしたのは、司法側であり、その行程も結果も間違っているとしか言いようがない。わたしたちの税金は、間違っている人たちの間違っている行程と結果に使われてしまった。
多数決、名誉、権力で正義が決まってしまうのだろうか。
でもわたしはその正義を覆すことができない。無理だ。
情報を知ること、発信すること、考えることなら出来る。
幼稚で世間知らずでも、やらないよりマシなのかもしれない。
いろいろぐるぐる考える。
1998年出版。
麻原裁判において、弁護人をつとめた渡辺脩弁護士と、ジャーナリストの和多田進氏の対談形式の本。
出版年が古いけど、今読むと弁護の現場の臨場感が伝わって来る。
「もうこういう判決と決まったからこうだ」という見方はしたくない。
どのような方針で、麻原氏を弁護しようとしたのかをうかがい知ることができた一冊。
印象が強かった部分
①弟子たちが事件を実行したことと、麻原氏が命令を下したところが有機的に結びつかない。
②坂本弁護士が失踪した同年から岡崎一明氏をマークしていたのに5年放置したなど、警察の怠慢。
③リムジン謀議を井上証言のみで立証するのは難しい
④重要な幹部だった石川公一氏が何も語らず消えた、無罪なのはおかしい
①について。
これこそまさに、宗教的観点から見るべき視点だった。
オウム真理教では、弟子は、グルに全て・・・行動も、転生をも委ねることとされていた。グルが殺人を命令したら実行すべきだ、という説法も何度もされていた。一見、理解できないことを平気で実行するに至る心理、マインドコントロール、時に洗脳・・・という観点からみると、麻原氏の罪は十分に立証される。
②について。
警察は、坂本弁護士事件でも松本サリン事件でも怠慢し、オウム真理教を止めることができなかった。高橋シズエさんは、国松元警察庁長官から「坂本事件が早く解決していれば、と責められているが、我々が事件にもうちょっとつっこんでいれば、と思う。その通りだと思う。どうしようもない。警察としては一言も弁解しようがない。」(脱カルトシンポジウムでの発言 http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/05/2013622.html)と言われたという。
③について。
さらに、井上氏は一貫して「リムジンの中ではサリンをまくことと決まってない」と主張している。他に謀議をしていたメンバーは故村井氏を除き語らない。難しい。
④について。
石川氏については、あまり資料がないのでわたしも分かりかねている。
重要な幹部だったのかもしれないし、違うのかもしれない。
でも何も話さず主張せず、無罪放免で所在知れずなのはちょっと無責任なのかもしれない。
NHKの未解決事件という番組で、麻原の説法テープを寄贈したのが石川氏だという噂がある。あくまで噂である。NHKがあの番組で活かせたかというと、微妙といったところだけども。
現在の解釈とは少し異なる、弁護人からの視点が興味深かった。
こちらの本の方が、主張がまとまっているかも。
参考リンク:滝本弁護士ブログ「麻原さんの答え-沈黙」
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1605.html
2015年9月27日日曜日
現実主義のわたしによるおすすめ本のラインナップ
どんな事件や事故にも言えるけども、真相や事件の闇などというものは分からない。
ひとりひとりの視点はそれぞれ違う。
その人にみえないものはみえないし、みえるものはみえる。
ある人にとって都合のいいことでも、ある人にとっては全く目に入らない。
わたしはもともと、スピリチュアルが理解できる人ではない。
朝テレビの占いで「今日はラッキーデー」などと言われても、5分後にはそんなこと忘れている。
「ケガをしてしまうのは、あなたのカルマです」と言われても、「だからどうせいっちゅうねん!」とチョップをかましたい。
現実に起こった結果はもう変えられないので、起こってしまった現実に対してどう対処していくかという前向きな考えをしていたい。
そのためのパワーとして、原因を突き止めるのは、心が癒されるのでいいと思う。
でも、原因や真相を突き詰めようとすればするほど、何も見えなくなる。
原因や真相はほどほどでいいのだ。大事なのは今。
というわけで、わたしはいろいろな関係者の視点を知りたいと思って、
なるべくいろいろな本に触れたい、いろいろな人にお話を聞きたいと活動してきた。
そんな中でいろんな視点に触れられる本をご紹介したいと思います。
●実行犯視点
2005年出版。オウム初期から関わりの深かった、死刑囚早川紀代秀さんと宗教学者の川村邦光教授の共著。早川さんの正直な描写や葛藤がみえる。
2001年出版。無期懲役囚で地下鉄サリン事件実行犯、林郁夫さんの手記。
誠実な郁夫さんの人柄がみえる。だが、なぜ彼だけ無期懲役なのか、疑問が残る。
●ジャーナリスト視点
2004年出版。カルトスリーとも自称する、青沼陽一郎氏の傍聴記。
独特でおもしろい視点で、読みやすい。
1997年出版。江川紹子氏の著作は、どれも女性らしい優しい気持ちと、情熱で満ちている。
降幡 賢一によるオウム法廷シリーズ。麻原だけでなく、さまざまな幹部の傍聴記録が確認できる。
それにしても、ほとんどの本が絶版なので、探すのが大変。
●元信者視点
1996年出版。元信者の高橋英利氏による手記。
彼がどのようにオウムへ入信し、村井秀夫など科学技術省の幹部を中心に関わっていったかが興味深い。自身のポエミーなブログが2012年で更新が止まっていて、少し心配。
1996年出版。元信者の田村智氏と住職の小松賢壽氏の共著。
「麻原はただのおっさんだ」と法廷で言い切った元信者。ユーモラスに書いてあって面白く読みやすい。
●娘視点
2015年出版。三女アーチャリー、松本麗華さんの手記。
2010年出版。四女さんの手記。
どちらも何かが嘘だ本当だと論争があるが、お二人の境遇には涙なしには見れない。
●麻原国選弁護人視点
2004年出版。渡辺脩弁護士著。
このあたりまで読んでいると、麻原氏について自分がどれだけ理解が浅かったかを痛感し始める。
●被害者視点
1998年出版。地下鉄サリン事件被害者の会による手記集。
1999年・2001年出版。村上春樹による被害者、元信者たちへのインタビュー集。
他の記事に紹介した本ももちろんおすすめ。
どの本が真実を語っているとか、どの人がどうとかという検証は、わたしはもうしない。個人的な感想も省いた。
以前も書いたが、「オウム真理教」と名のつく本を片っぱしから読むことをおすすめする。
ひとりひとりの視点はそれぞれ違う。
その人にみえないものはみえないし、みえるものはみえる。
ある人にとって都合のいいことでも、ある人にとっては全く目に入らない。
わたしはもともと、スピリチュアルが理解できる人ではない。
朝テレビの占いで「今日はラッキーデー」などと言われても、5分後にはそんなこと忘れている。
「ケガをしてしまうのは、あなたのカルマです」と言われても、「だからどうせいっちゅうねん!」とチョップをかましたい。
現実に起こった結果はもう変えられないので、起こってしまった現実に対してどう対処していくかという前向きな考えをしていたい。
そのためのパワーとして、原因を突き止めるのは、心が癒されるのでいいと思う。
でも、原因や真相を突き詰めようとすればするほど、何も見えなくなる。
原因や真相はほどほどでいいのだ。大事なのは今。
というわけで、わたしはいろいろな関係者の視点を知りたいと思って、
なるべくいろいろな本に触れたい、いろいろな人にお話を聞きたいと活動してきた。
そんな中でいろんな視点に触れられる本をご紹介したいと思います。
●実行犯視点
2005年出版。オウム初期から関わりの深かった、死刑囚早川紀代秀さんと宗教学者の川村邦光教授の共著。早川さんの正直な描写や葛藤がみえる。
2001年出版。無期懲役囚で地下鉄サリン事件実行犯、林郁夫さんの手記。
誠実な郁夫さんの人柄がみえる。だが、なぜ彼だけ無期懲役なのか、疑問が残る。
●ジャーナリスト視点
2004年出版。カルトスリーとも自称する、青沼陽一郎氏の傍聴記。
独特でおもしろい視点で、読みやすい。
1997年出版。江川紹子氏の著作は、どれも女性らしい優しい気持ちと、情熱で満ちている。
降幡 賢一によるオウム法廷シリーズ。麻原だけでなく、さまざまな幹部の傍聴記録が確認できる。
それにしても、ほとんどの本が絶版なので、探すのが大変。
●元信者視点
1996年出版。元信者の高橋英利氏による手記。
彼がどのようにオウムへ入信し、村井秀夫など科学技術省の幹部を中心に関わっていったかが興味深い。自身のポエミーなブログが2012年で更新が止まっていて、少し心配。
1996年出版。元信者の田村智氏と住職の小松賢壽氏の共著。
「麻原はただのおっさんだ」と法廷で言い切った元信者。ユーモラスに書いてあって面白く読みやすい。
●娘視点
2015年出版。三女アーチャリー、松本麗華さんの手記。
2010年出版。四女さんの手記。
どちらも何かが嘘だ本当だと論争があるが、お二人の境遇には涙なしには見れない。
●麻原国選弁護人視点
2004年出版。渡辺脩弁護士著。
このあたりまで読んでいると、麻原氏について自分がどれだけ理解が浅かったかを痛感し始める。
●被害者視点
1998年出版。地下鉄サリン事件被害者の会による手記集。
1999年・2001年出版。村上春樹による被害者、元信者たちへのインタビュー集。
他の記事に紹介した本ももちろんおすすめ。
どの本が真実を語っているとか、どの人がどうとかという検証は、わたしはもうしない。個人的な感想も省いた。
以前も書いたが、「オウム真理教」と名のつく本を片っぱしから読むことをおすすめする。
2015年9月21日月曜日
宗教情報リサーチセンター「オウム真理教を検証する そのウチとソトの境界 線」
地下鉄サリン事件20年目は、色々なことが本人の中で時効になったのか、様々な情報が飛び出す。
事件当初、裁判当初から分かっていたけれども、マスコミによって捻じ曲げられた情報も、より真実に近い状態で発信される。
宗教情報リサーチセンター・井上順考氏は、情報時代のオウム真理教
それらの情報が最新にして最強に集合したのがこの一冊といえる。
すごくおすすめです。20年目にして最強の入門書!
この本の優れた点は、総勢10名の執筆陣からなる多視点からオウム真理教・オウム事件について論じられているところである。
第一章 藤田庄市先生による「麻原言説の解説」
藤田先生といえば、オウム真理教事件 (ASAHI NEWS SHOP)
この第一章で、麻原が教団の前身団体設立当初から、反社会的野望を持って組織へ君臨しようとしていたことを当時の説法の紹介を中心に語られる。
第二章 高橋典史氏「引き返せない道のりーなぜ麻原の側近となり犯罪に関与していったのか」では、新實智光さん、早川紀代秀さん、広瀬健一さんの三名を主に取り上げ、彼らが「なんの不自由のなさそうなそれまでの社会生活」を全てなげうち、なぜ側近として引き返せない行為へ及んでいったのかが論じられる。
特に「宗教事件の内側―精神を呪縛される人びと
新實さんは、けして特異な存在ではないと感じる。
わたしの知人にも、未だにカルト信仰を捨てられない人は何人かいる。
彼らが真剣に語ることは、はたから見たらカルトで、わたしですら簡単に論破できるけど、彼らは「でも・・・」と言ったまま口をつぐみ、現状を維持しようとする。
わたしは彼らについて、色々な考えが巡る。過去に人を信じられないなにかがあったんだろうか?他に大切なものを見出せないのだろうか?失礼ながら、病気だろうか?発達障害だろうか?・・・
でもそんなことを、第三者であるわたしが考えても仕方のないことなのだ。
彼らは存在し、わたしと仲良くできるところがある。それでいいんじゃないか。仲良くできない、イラっとしたからって排除しようとも思わない。もうお付き合いやめようかな?くらいの気持ちになるくらい。
気持ち悪い、下賤、いやらしい・・・そのように感情的に排除しようとしたら、あとになにが残るのだろう。
カルト信仰者は、極論に寄っている。対するわたしも極論に寄ったとしたら、なにも生まれない。結局はバランスをとろうとすることが大切だと思う。(かといって完璧なバランスなどとれない。)
第三章は、藤野陽平氏による「疑念を押しとどめるものー脱会信者の手記にみるウチとソトの分岐点」
第二章よりもう少し身近にフォーカスされ、世の中にたくさんいる脱会信者についての章である。脱会者による手記は、カナリヤの会、滝本太郎弁護士、家族の会永岡氏の息子さんを中心に、村上春樹 約束された場所で―underground 2 (文春文庫)
脱会信者で、一生懸命社会復帰されている人も何人もいる。しかし同時に、社会復帰が難しい、精神的な病に悩まされたり、悲惨な状態にある人もいると聞く。形だけ脱会していても、信仰を持っている人もいる。わたしたちは、その現状を知るべきであると思う。
第四章は、井上順考氏による「科学を装う教えー自然科学の用語に惑わされないために」。
麻原は「オウム真理教は、宗教を科学する!」とドヤ顔でよく言っていた。どゆことやねんと思っていたが、ダルドリシッディをする信者の脳派を測るとか、アンダーグラウンドサマディをするとき空気量と呼吸量を測っていたとか、そういうことをやり、結果をドヤ顔で本にしたり、機関誌で発表したりした。しかし当然のことながら、記録は改ざんされている。こんなのに、超伝導の最先端研究者だった広瀬健一さんが騙されていたのだから、本当に手に負えない、一筋縄ではいかない手品をしていたのだと思う。
この章では、理系出身の信者が多かったことなどに焦点をあて、彼らがどのように騙されていったのか、彼らの思考回路から解き明かされていくので大変興味深かった。
全ての事象を科学で説明しようなんて、奢りも甚だしいことだ。
第五章は、矢野秀武氏による「暴力正当化の教えに直面したときー何をよりどころに考えるか」。
「洗脳」と「マインドコントロール」の違いは、暴力があるか否かで例えられることがある。暴力を伴うマインドコントロールが「洗脳」であると。
オウム真理教は暴力を肯定した。「ヴァジラヤーナの考え方が背景にあるならば、これは立派なポワです」という迷言が有名だ。ポワというのは、もともとはチベット仏教による魂を引き上げる儀式。人に暴力をしても殺しても、「尊師」がやるなら「ポワ」になる。これは信者にとってはむしろありがたいことなのですよ、というのが言い分だ。アホか。
なんJやツイッターで、素早くネタにする現代の若者の方がステージが高いと思う。
第六章では、平野直子氏、塚田穂高氏による「メディア報道への宗教情報リテラシーー『専門家』が語ったことを手がかりに」である。
オウム事件とメディア論は、切っても切り離せない。そんな報道でよかったの?ということがたくさん出てくる。そしてさらにこの章では、待ってましたの中沢新一・山折哲雄・島田裕巳批判である。
現代にオウム真理教を調べようと思った時、当時の空気がわからなくて、また当時週刊誌でされたであろう論戦もわからない。この章では、当時の宗教学者がどのようにオウム真理教にコケていったかが、わかりやすく論じられている。
第七章、井上氏による「学生たちが感じたオウム真理教事件ー宗教意識調査の16年間の変化を追う」。
地下鉄サリン事件から20年、いまや当時生まれていない、記憶がないレベルの学生が大多数だ。そこを狙って現代のオウム(アレフ・ひかりの輪)も、勧誘をしかけてくる。他のセクトも。学生のみなさまは是非注意してもらいたい。
オウム真理教の関心の度合いなどが、統計で論じられ問題定義されていて、大変興味深い章の一つだった。
第八章 井上まどか氏による「今なおロシアで続くオウム真理教の活動ー日本とロシアの平行現象」。
ロシアオウム、キター!!と言わざるをえない。
最近このブログを読んだわたしにはなおさらである。もう全然ロシアのオウム(ロシ輪)元気じゃないですか。大丈夫ですかねこれ。
特別寄稿は、高橋シズエ氏による「地下鉄サリン事件遺族の20年」。
村上春樹氏の アンダーグラウンド
以上、全体を通していかにこの本がおすすめであるかを記してみた。
やはりオウム真理教事件は、宗教的なものと有機的に結び付けないと理解が難しい。
最後に、井上氏によるあとがきから。
それぞれの宗教の素晴らしい点については、その信奉者が説いてくれる。幸せなことに、現代の日本は、歴史のあるなしにかかわらず、個々の宗教が自分たちの主張を自由になせる国である。どのような主張にも耳を傾けたい人は傾けることができる。宗教系の学校はそれぞれの建学の精神にもとづいて、その宗教の理念を教えることができる。ところが、公立学校や一般の私立学校では、それはできない。では現代宗教については何も教えなくていいのだろうか。少なくとも若い世代が陥りがちな危険性については、前例を示して注意を喚起することくらいは必要ではないだろうか。「さわらぬ神に祟りなし」とか「臭いものに蓋」といった態度ばかりでは、日本における宗教文化の望ましい展開にとってもマイナスであろう。
本日は以上です。
2015年9月17日木曜日
佐木隆三「大義なきテロリストーオウム法廷の16被告」
わたしは、オウム本を選ぶ時まず出版された年月を見ます。
古い本だからといって読むに値しないというわけではありません。
ただ、その時の事件や裁判経過の背景を知っておかないと、流れがわからないというか、なんとなく落ち着かないので・・
ちなみに、オウム真理教年譜 に元幹部である12名の死刑囚の方達の確定年月日を追加しておきました。
佐木氏の本は元幹部たちの人間性を物語のように紡いでゆくのが魅力です。
この本は、オウム信者16被告それぞれの裁判をなぞって書かれています。
しかし、2002年に出版されたこともあり、オウム裁判はまだ終わっておらず、情報が不確かな部分もあります。
広瀬健一さんが、事件後のショックのあまり声が出なくなり、それでも出廷し続けたのが印象的でした。
ボリュームがあるけどとても読みやすいです。
2015年9月11日金曜日
伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生」
自宅にある本をかたっぱしから見直してみよう。
と思ってリビングにオウムの本を積み上げたら、夫にいぶかしげな顔をされた。
わたしは、オウム真理教ってなに?と聞かれたら、まずこの本をおすすめしています。
地下鉄サリン事件実行犯である豊田亨さんの同級生の筆者が、親友としてみた豊田の素顔、どうして空中浮揚などの神秘体験といわれるものが起こるのか、出家システムとは、麻原の世界観とは、全部この本を読んだらわたしの中に論理的に落ちたからです。
こんなエール文も見つけました。
上野千鶴子「イトケンシュタインの冒険」
さて、タイトルと上記とは加藤茶のブログ並みに関係ないのですが
元少年A 公式ホームページで公開した自作イラストと全裸写真 許せますか
元少年Aさんの公式ホームページをご覧になられたでしょうか。
今落ちてるんですかね。
わたしは見てしまいましたが、アーティストな人なのかなーと思いました。
今はアウトサイダーっぽいですが、芸大や美大で、技術を学んだらそれなりのアーティストになれそうな片鱗を感じます。実際、ダリやユトリロ、ゴヤ、日本なら太宰治とか・・・精神病を患っていたアーティストはたくさんいます。元少年Aさんも、猫を殺してしまう前に、なにか自分の作品に向かえなかったかと悔やまれます。
ちなみに精神病に働きかける、図画工作などの手作業を作業療法といいます。ちゃんと作業療法士という国家資格を持った職業の人もいます。
少し変わってるかな、おかしくなってるな、という子供を大人がちゃんと感じ取って、適切に対処してあげれる社会になったらいいなと思います。
わたしが以前聞いた話で、授業中に陰鬱でシュールな絵を描いた中学生の男の子が、その翌日に自殺したと。どうして指導教諭は、その子のSOSを感じ取ってあげられなかったのかというお話がありました。
ところで、この記事にもありますが「許せますか」とは、世間に言ってるのでしょうか。
許すか許さないかは、被害者の方たちが決めることだと思います。
この事件は、被害者の方たちは元少年Aさんを全く許していません。これはわたしたち世間が知っているべきことです。
しかし、仮に世間もが許さなかったら、無意味に憎悪が増幅してゆくだけなんじゃないかなーと思います。
少数の病気や、社会的にハンディを持っている人たちを排除・攻撃するだけの社会になってしまったら、結果的に排除された側が「健全で普通な人たち」を攻撃することもあり得ます。
嫌悪感があるなら、関わらなきゃいいんじゃないですかね。
2015年9月10日木曜日
塚田穂高「宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学」
個人的にお勧めな本について、「本」ラベルで綴っていきたいと思っていたのですが
わたしの表現力が乏しく、感想は基本的に「この本、よかった!お勧め!」しかないのです。
でも、本を読んで事件を学ぶことはとても大切です。
いろいろな本が出ていて、いろいろと情報をおさえた上での考察がお勧めです。
わたしは、事件に興味を持ってから、図書館やamazonでかたっぱしから「オウム」「麻原彰晃」と検索してヒットしたものを読んできました。
この本は、2015年4月に発売されました。
地下鉄サリン事件から20年を迎えてから出版される本は、なにやら今までの本とは違う雰囲気があります。
この本は、タイトルからわかるように、オウム真理教だけではなく、新興宗教・新新宗教など様々な宗教と政治を絡めて論じられています。
第6章 オウム真理教=真理党ーシャンバラ化の夢想、ハルマゲドンの回避ー にオウム真理教について論じられています。
オウムの裁判の結果では、「麻原は参院選落選をきっかけに武力革命に思想を転じた」とされていますが、「麻原彰晃の誕生」にもあったように、麻原は、1984年に「オウムの会」を立ち上げ、その翌年には「地球が危ない」「ハルマゲドンが起こる」など「ムー」や「トワイライトゾーン」に記述し、麻原自らが神に選ばれた存在であることをアピールするとともに、反社会的思想も見え隠れしていました。
オウムと麻原には、その当初から、その運動(政治進出)を方向づけるような強い国家・社会観、ユートピア観といった理念が確かにあり、繰り返し表明されていた。本章では、そのことを明らかにし、それと政治進出との連関を示したい。(本文より)
オウム真理教の歴史・事件を宗教的・政治的に丁寧に紐解かれた記述で、大変興味深い内容でした。
2015年8月16日日曜日
高山文彦「麻原彰晃の誕生」
今更ですが読みました。
なんでもう少し早く読まなかったんだろう。
九州から東北まで、とても綿密に取材されていて、麻原がどう誕生してどう歩んでいったのかがよくわかりました。
滝本弁護士も絶賛の書のようです。
以下気になったところ引用させていただきます。
松本智津夫の幼少期〜青年期の歪みぷり(ただの不良学生)を体感していた先生の言葉。
「古くからいる教師たちは、智津夫のことをまったく信用していなかった。オウムのいろんな事件が起きても、あの智津夫が人の上に立ってやれるわけがない、だれかに担がれとるだけじゃないか、と思っていたんです。ところが、だんだん真相がわかってきた。私らは、オウムの信者たちは、智津夫に騙されているとすぐに思った。智津夫の得意なこけおどしですよね。智津夫がオウムでやったことは、もう学校でしょっちゅうやっていたことの延長です」
チベット仏教の高僧やダライ・ラマに褒められたことなどを勝手に書くこと
あるとき智津夫は、法王にこんな話もした。
「密教の修行のひとつである血管と風の修行を、私はものすごくやりました。それで目が見えなくなりました」
法王はこのときも大きく笑った。
「それはおかしいです。ほんとうは修行すればするほど、目はよくなるはずですよ」
しかし、このように言われたことは機関誌などにはひとつも書かず、麻原はひたすら自分が法王にホメられたことなんかを書いていました。実際そんなこと言ってないのに。
これはマインドコントロールの手法にも使われる「権威付け」になります。
人は、警察とか、大臣とか、博士とか、教授とか、法王とかいった地位の人たちに言われたら、そういう人の言っていることはみんな正しくて、その人が認めている人ならその人もまた素晴らしいと思うそう。
上祐さんの小言も載っていました。
すべての財産を布施し、遺書を書き、家族との縁を断ち切ってきた彼らには、帰る場所はなくなっていた。上祐史浩は教員免許をもっているある女性信者に、ぽつりと洩らしている。
「あなたはいいですね。教師の免許ももってるし、力もあるから、社会にもどってもやっていけるでしょう。でも僕は、もうもどれません。社会にもどっても、生きていけないから」
生きていけるので、大根作りましょう。
身勝手なポアの思想のはじまり。
「チベット密教というのは、非常に荒っぽい宗教で・・・私も過去世において、グルの命令によってひとを殺しているからね。グルがそれを殺せと言うときは、たとえば相手はもう死ぬ時期に来ている。そして弟子たちに殺させることによって、その相手をポアするというね、いちばんいい時期に殺させるわけだね。」
智津夫がはじめて「ポア=殺人」というものに具体的にふれたのは、殺意をもって最初の殺害にいたった田口修二事件より二年前の1987年1月、丹沢でおこなわれた集中セミナーでのことだった。
「解脱者はカルマをつくらない。解脱者には自分のエゴがないから、すべての行為は必然なんだよ。たとえば、ひとを殺したとしても、それは必然だ」
斎藤誠(元信者・仮名)はそんな奇妙な論理をふりかざす智津夫を、茫然と見つめていたことがある。最終解脱者であるということが、すべての正当化につながっていた。
オウム初期の頃、確かにヨーガはやっていて、自分のエネルギーを人のために使っていたところもうかがえる。しかし、チベット仏教の「ポア」の思想を、本来の高い世界へうつすという意味を歪曲させて説いていたのは、やはり初期の頃からでもおかしさを感じる。
麻原彰晃とは何だったのか
ひとりの男が、壁に向かってじっとなにかを凝視している。いったいなにを見ているのだろうか。
群衆が集まってきた。そのまわりを、新しい群衆がとりかこんだ。彼らはいつかきっとこの男がふり返り、なにを見ているのか教えてくれるにちがいないと待ちわびている。集まってきた群衆は、千を超え、万を超えた。
じっとその場を動かず、結跏趺坐を組んで、ひたすら壁と向き合っていた男が、ゆっくりとふり向く。人びとの期待は最高潮にふくらむ。
つぎの瞬間、彼らは、その男がなにも見ていなかったことに気づかされる。男の顔には目もなく、鼻もなく、口もない。男はのっぺらぼうだった・・・。
そんな映像を、私は智津夫に思い描いてみることがある。
とても想像し易い映像でした。
恐ろしい詐欺師です。
井上嘉浩さんにも触れられていた。
地方都市の典型的な核家族の一員としてなに不自由なく暮らしていたはずの中学三年生の少年が、こんな詩をノートにしるしている。
救われないぜ
これがおれたちの明日ならば
逃げだしたいぜ
金と欲だけがある
このきたない
人波の群れから
夜行列車にのって
麻原の側近のなかで最年少であった井上嘉浩が(略)尾崎豊の詩をアレンジして書いた詩だ。
<このような、尾崎豊さんの歌にある詩の内容に、現代の若者を中心とした多くの人たちが共感を覚えていったという事実が存在する理由は、戦後、この日本に、経済成長とともに、「経済的に、物質的に、豊かになることが、幸せなんだ」というような価値観が広まっていった結果、そのなかにおいて精神性を失ってしまった日本の現実のなかで、多くの人たちがこの「物質主義」でできた現実のなかで、本当の自分を確かめようとし、「精神性」を必死になって見つけ出そうとする衝動を有していたからだと思います。
一方、私たちを豊かにするはずだった物質主義は、人類そのものを破滅に導いてしまうような「核兵器」等の様々な近代兵器の開発にもつながって、「第三次世界大戦の恐怖」が現実的なものとして感じられるようになり、かつ、つぎの世代が生きていけないような「地球規模における大規模な環境汚染」を生じさせていくことにもなっていったのです>(降幡賢一『オウム法廷〈9〉』より)
おりしも、昨日は70年目の終戦記念日だった。
焼け野原の都市の写真を見ると、物質主義に走りたくなる気持ちもわかる。
わかるけど、やはりあのとき、物質やお金より大切ななにかも失ってしまったんだと思う。
井上家は、父親が家に帰らず、母親は幼稚園児だった井上さんの目の前で自殺未遂をしているので、「典型的な核家族」に分類されるのかどうか不明だけども。オウム事件をおっていると喪失された何かを感じることがたくさんある。
「麻原彰晃の誕生」は、麻原の半生を追いつつ喪失された何かに触れることができそうな一冊だった。
わたしも、他人も、きっとたくさんのものを喪失している。
でも無理に集めなくても、もういいんだとも思う。
本日は以上です。
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