2016年8月4日木曜日

事件が起きるのは環境の歪み

相模原市の障がい者施設で起きた事件から一週間以上が経過した。
無抵抗の人たちを突然刺し殺すという発想が、残虐すぎて閉口する。


最近、わたしは療養生活が長引いていていて時間があり、まあまあ本を読んでいる。
読書メーター
といっても集中力が続かなくてあんまりまとめて読めない。


事件のルポルタージュが興味深い。


ただ、いくら加害者とその家族についてルポをしても、どうしても加害者の気持ちがわからない。
例えば「14階段」の新潟で少女を拉致監禁していた男は、老齢の両親に育てられた一人っ子だったということだが、わたしの近しい人に全く同じ家族形態の人がいる。
でも、彼は立派にサラリーマンやっていて自立している。
老齢の両親に育てられた一人っ子だからといって、犯罪をおかすわけではない。
エロ本の切り抜きのくだりも謎だ。お父さんのエロ本を見つけたからって、息子が歪むだろうか。
小さい頃から「ボクちゃん」と呼ばれていて可愛がられすぎたのが要因だろうか。
全然わからなかったけど、細かくルポしてあって、パズルのピースをひとつひとつ見せてもらったような感じはした。

事件は、全てが育てられた環境のせいみたいに解釈することは違うと思う。
どんなに劣悪な環境でも、親を反面教師にすることだってできる。常識的に成長する人が大多数だ。

なんだかまとまらないけど、最近、加害者の背景をルポしてもらっても結局何が原因となるのかわからなくて、またスタートに戻されてしまう感覚がある。

結局、加害者と環境が複雑に絡み合って事件が起きてしまうのではないか。
加害者一人を攻め立て、死刑にして殺しても何の解決にもならないんじゃないか。
山路悠起夫さんみたいに、死にたがっている人もいるし・・・

など、いろいろなことを考えさせられる。




また手術などが控えているので、秋の死刑囚の表現展などは、また行けないと思う。残念だ。


おわり。

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