2015年11月16日月曜日

早坂 武礼「オウムはなぜ暴走したか。―内側から見た光と闇の2200日」


読みました。
読んだ感想を簡単に申しますと、「なぜ暴走したか」がサッパリ分かりませんでした。

この早坂氏(ペンネーム・名前の字が難しくてなかなか出てこない)は、元キレーサなんちゃらかんちゃらという師?という、一般の在家信徒や、サマナ(出家信者)をまとめる役の人だったそうです。

ここで拙ブログを引用させていただきます。
http://akaneyamada03.blogspot.jp/2015/05/2013622.html
この中の『基調報告③「何人もの被告人と面接、心理鑑定をして」』という西田公昭教授のお話が非常に分かりやすくて腑に落ちたのですが、少し引用します。

◇ 西田先生は、信者の犯罪心理を分析し、教祖の指示に対して、次の5つの心理的影響力が極めて強力に作用した結果であったと、結論づけた。

 1.権威の影響力(Authority):教祖への畏敬 →教祖麻原は神である、故に自分の考えなど出してはいけない。服従することが良い事となる。これは一般人にもある考え方で、「おかしいのにみんな口を出さない」なんてことは集団の中でよくあることである。

 2.信念の影響力(Belief):超越的に優れた教義 →オウムの修行メニューはかなり成果が出やすい、そのジャンルではよく出来たものだった。変性意識状態で、死についてよく説かれた。(バルドーの導きのイニシエーション、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」 というマントラなど)それに対して「ポア」という解決策があり、それは教祖が「今その人にとって一番いいタイミン グ」で死なせてくれるというもの。

3.自責念の影響力(Commitment):人生を捧げた行動 →出家は自己犠牲である、それによって「自分のものを家族も財産もいっさいがっさい捨てて来た」という自負と自責(後戻り出来ない)がある。

4.生理的剥奪の影響力(Deprivation):思考力の低下 →修行生活は労働過多、睡眠不足、栄養枯渇状態であり、欲を封印すること、身体、心へのそれぞれのストレスが 快感を与える脳内物質を分泌し、「修行の成果」と思える様に作用した。

5.習慣化の影響力(Habituation):条件付けられた行動 →出家生活は基本的に単調な生活パターンであり、自分で考えられない頭が出来上がる。普通、人は「思考」の後 に「行動」がくるが、「行動」の後に「思考」がくるという状態であった。

西田先生によると、ここから一つの方程式を導き出した。
それは、それぞれの英語の頭文字をとって

V(犯行)=(A+B+C+D)H となる。




本を読み進めつつ、あまりに違和感を感じたので、この西田教授の話を思い浮かべながら読みました。
わたしは、この早坂氏の本を読んで未だにオウムを信仰している立場にあると思い、とても残念で悲しくなりました。98年に出版され、近年電子書籍化もされたようですが、現在はどう思われて生活されているのでしょう。NHKの未解決事件の取材を受けたのは、電子書籍化の宣伝のためだったのでしょうか。
以下、上と同じ西田教授のお話より引用です。

西田先生:あの事件はなんだったのか…ということについて、
1.殺人、虐待、無差別テロを含む未曾有の事件であった 
2.手段がVXやサリンなど戦争ですら禁じ手の武器 だった
3.目的としては宗教として人を救うためにやったのだ
…ということを知って欲しい。

また、目的→手段→結果の順に並べると、3→2→1となること。
なぜカルトがなくならないのか?それは、宗教、家族、社会が若者にとって欠けているから。 欠けているものをカルトに求めてしまう。 現実の社会を良くする努力をするべきで、その中で鬼っ子のように産まれて来るカルトを忘れてはいけない。 オウム事件は負の遺産として伝えていくべきである。

早坂氏の見解は、1と2の項目が決定的に欠けまくっていると思います。
そして「いかにオウムや麻原尊師が宗教として素晴らしかったか」がたくさん書いてあります。
なぜオウムが暴走したのか。
なぜ早坂氏は脱会したのか。
これが知りたかったんですけど・・・
特に、早坂氏の脱会の過程が分からず残念です。

わたしは、「マインドコントロールだった」ということで話を終わらせようとも思わないし、「信者さんはみんな悪い奴らでアホ」とも思いません。

最近よく考えることがあります。

世間から見たら、オウムや麻原は
・不気味で気持ち悪い
・なんかおかしい
・がめつい
・破壊的カルト

であり、これらは証拠や証言がたくさんあるので、言い逃れのない実態です。
そして、これは麻原の実態とイコールです。
麻原は、不気味で気持ち悪くて、普通から見たらなんかおかしいし、がめついし、オウム設立当初から反社会的な思想を持っていて、その危険思想を信者へ命令して犯罪行為をさせました。

しかし、信者さんからしたら上記の見方はがらりと変わります。
オウムの教義や麻原は
・神聖
・すごい
・救世主
・期待できる

などといったものとして映ります。
これらの証拠は、教団や麻原の雰囲気、神秘体験などが証拠になります。
ただし、雰囲気は、人によっては騙されたり、いじめられたり、監禁されたりと体験が異なります。様々な体験談を読んでいると、早坂氏のように、安全に生活できていた人はラッキーだったと言わざるをえません。
また、神秘体験は、呼吸を制限する修行から起こる作用や、脳の暗示作用などで説明がつくので、(このあたりの解明は伊東乾氏の「さよなら、サイレントネイビー」という本が分かりやすいです。)特別なものではないことが分かります。

オウムの実態麻原の実態 と
信者さんたちの見方 は全く異なり、実態とのミゾを感じます。

早坂氏も、教団が事件を起こしたことは認識しているようです。(迷っているというような書き方でしたが)
しかし、きちんとした教団や麻原の実態を認識していないし、認めていないと感じます。

ただ、世間が認識している実態に対して、必死に説明をして自分たちを肯定しようとしているようにしか見えません。
信者さんひとりひとりが、どんな形であれ社会に迷惑をかけたという紛れもない事実を、どうして認識しないのかが、分かりません。

それを認識し、深く反省され、反省を実行にうつしている人もたくさんいます。

早坂氏が書くべきだったことは、自らがどういう気持ちになって脱会したのかや、被害者やご遺族の手記に目を通したり、裁判や色々な資料から教団や事件を学んで考えたことだったと思います。
被害者やご遺族に、「内部はみんないい人で、まじめに修行をしていた」と面と向かって言えるのでしょうか。わたしはそんな人は軽蔑します。
これが、滝本弁護士のおっしゃる「善意の殺人」の根本なのだな、と感じます。

早坂氏の本に疑問や不快感を持つ理由に、本の中に数々の矛盾点を発見したことがあります。
以下詳述します。

・1番目の奥様との結婚生活は、在家信徒として戒律を守って生活されていたと書かれます。戒律の中には「不邪淫」(浮気をしない)、「不悪口」(悪口を言わない)などがあり、これらを守っていたので仲良く暮らしていた、とのことですが、次のページには、激しい喧嘩の描写があり、奥様はヒステリックになって、暴力をふるい、事故を起こして亡くなってしまわれます。
奥様のご冥福を心からお祈りします。
しかし、やっぱり、戒律を守って生活していると胸を張った次のページには大喧嘩をされているという流れが、理解できない・・・・

・P.135 不真面目と見られる信者が出てきますが、早坂氏はご自分と異質な人について「問題がある」「彼の存在は自分には悪影響」とすぐに見下したように書き、その不真面目な信者について「不悪口」の戒律を破戒している、などと書きます、が、ご自分も十分、人を見下して、悪口言ってることになるんじゃないんでしょうか・・・また、P.139で精神障害者の方や、修行が上手にはかどらない人を見下す描写も出てきて、とても残念な気持ちになります。

・P.158 「マインドコントロール」という言葉が「定義されていなくて曖昧」である、と不満を露わにされていますが、マインド・コントロールとは何か という西田教授の本がすでに95年には発行されており、きちんと定義されています。早坂氏が「マインドコントロール」の提唱者である西田教授の本をも読まず、曖昧であると批判するのは残念です。

・修行内容やオウムの生活、麻原との会話や説法果ては入信された方のインタビューが無批判にたくさん掲載されており、これでは教団の機関誌と変わらないな・・と残念に思います。

・P.252では「未曾有の犯罪行為の件を別にすれば」と書いてあり、遂に事件を別にしてしまいました。どんな時も事件を忘れないで、被害者やご遺族のことを考えるべきだと思います・・・
奥様という大切なご家族を失った早坂氏ですが、なぜこのように考えてしまうのかが分かりません・・・
さらに、P.369では、ついについに、事件を「救済方法」として捉えて描写されてしまいました。そして、これらの事件の考え方について一切の批判がないことがとても残念です。

・P.306 省庁制度は弟子に責任を分散させ、犯罪行為の責任をも分散させる麻原の思惑なのかなと思いました。それによって、事件に直接関わらなかった弟子達も「省庁制度で権利を譲渡された大臣たちが暴走した」と読み取るかもしれません。

・「真相」は麻原が話さないから分からない、と書かれていましたが、麻原が話そうが話すまいが、その場、その時、その人でなければ、真相は誰にもわかりません。ただ、麻原からきちんとした話を聞きたかったのは、世間も、信者さんたちもみんな同じだったと思います。麻原が話すか話さないかという事実に丸投げして考えることを放棄するのは、なんか違うなじゃないかなと思います。


以上、早坂氏の本は上記の西田教授がお話された「カルトの定義」に当てはまり、それを筆者自身が自覚せず書いていることは、残念だと思いました。

最後に、やや日刊カルト新聞の藤倉総裁のコメントが印象深かったので、貼ろうと思います。上祐史浩氏、つぶやく(2010年8月)この記事のコメントで、藤倉総裁が

「あれだけの事件を越した団体の“顔”だった人物と、そこの信者だった人々が、いまも団体を存続させ、『新しい宗教』とか言って布教活動している状況を、道義的に受け入れていいものなのか」

と書いているのに納得しました。
信者のみなさんは、オウムの一連の出来事について、「道義的に」いかがお思いなのでしょうか。


本日は以上です。

2 件のコメント:

  1. 受け入れるのは問題ないと思います。
    問題は、宗教活動をやる側の道義心です。

    ひかりの輪の問題にしぼると。
    わたしは、オウムの後継団体は、他の新興宗教団体と同程度の危険しかないと考えています。脱会妨害や家庭崩壊くらいあるかもしれませんが、その程度は他の宗教団体でもあります。
    しかし世間は違いますよね?そして、アレフとひかりの輪では、アレフの方が危険であるというのが普通の認識でしょう。
    そして、上祐さんは、自分たちはアレフから何人も脱会させたり入信阻止させている、と主張しています。
    それは事実のようですし、ひかりの輪に移ってさらにひかりの輪を脱会した人も少なくないようです。
    ですから、アレフが危険という前提にたつなら、上祐さんのいうことは一理ありますし、ひかりの輪のみなさんは、わがままでは、宗教活動やってるわけじゃなくて、いいことしているつもりでやっているんだと思います。
    いいことしているつもりだから厄介なのです。
    アレフもひかりの輪も危険はない、しかし、オウムの後継団体が存在していると、苦しい思いをする人がたくさんいる、人を不幸にするのは宗教の実践者ではない。自分たちが宗教活動することで苦しい思いをする人のことをおもいやれませんか?という論理しかないとわたしはおもいます。
    しかし、オウムの後継団体が危険であるという認識にたつなら、今の状況はどうしようもありませんね。

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    1. 遅くてすみません。
      道義心、まさにその通りだと思います。
      後継団体は、確かに実力も技術も全盛期よりはないと思います。現在サリン作ったりはできません。だから問題がないと言われると、確かに違います。社会や、被害者の方たちに対して、思いやりがないことですね。
      あとアレフ脱会しても、ひかりの輪で上祐さんに搾取されているのなら、あまり変わらないように思います。

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