2015年6月11日木曜日

死刑囚の生活

東京拘置所の死刑囚の生活について



特集:死刑囚の生活空間公開 「その日」までの生 医療設備充実、「スタミナ焼き」人気

http://mainichi.jp/graph/2013/01/14/20130114ddm010040034000c/006.html

少し前にこんな記事がありましたが、死刑囚は死を待つだけの単調な生活を送ります。
私は東京拘置所について少し知っているだけですが、東京拘置所は、建て替え前は、自然に囲まれ、桜や、ネコや、鳥たちを房内から見ることができました。

しかし、建て替えられ現在の重厚な姿になり、房内からは自然がほとんど見えなくなりました。
空もあまり見えません。

メディアは、ラジオとビデオ(月に何本かのw制限)鑑賞、毎日新聞のみです。

確定死刑囚になると、面会人は限られ、手紙のやりとりも限られます。

弁護士とのやりとりですら、限られます。

自然を見ることができず、ほとんど人と触れ合うことのできない生活。

このような生活では、人は精神に異常をきたします。

オウムの確定死刑囚たちは、このような生活を、建て替え前から建て替え後にわたり、20年ほど続けています。

どうにか、自分を保とうと頑張っている方もみえますが、残念ながら精神病と思われるかたもみえます。

拘禁障害と言われる病気がありますが、ほとんどの方が罹患していると思われます。

精神科医の加賀乙彦氏は、以前、東京拘置所の死刑囚の2/3が精神に異常をきたしていると報告していたといいます。


このような環境下で、自分や事件を見直したり、手記の執筆、被害者遺族への謝罪を行うことは大変難しいと思います。

ここで、様々な疑問がでてきます。


刑が確定したら、すぐ死刑になるべきでしょうか。

冤罪の可能性は無視されるのでしょうか。

裁判の性質により事件のすべてが明らかにならないまま、犯人が死んでしまってもよいでしょうか。

人が人を殺したら、犯人が死ねばすべての苦しみが終わるのでしょうか。

一人も死者が出ず、また前科もない横山真人さんは、死刑でよいでしょうか。

人を直接手をかけることが出来なかった井上嘉浩さんは、死刑でよいでしょうか。

人ひとりを精神病になるくらいの環境下へ置くことは、同じ人として酷くないでしょうか。

疑問はたくさん湧きますが、答えは出ません。


死刑囚に興味を持って、死刑囚のごはん代や諸々の施設管理費などは、私たちの税金から支払われているのに、私は彼らのことを何も知らないと思いました。


お釈迦様は「憎しみは憎しみによって止まず、愛によって止む。」といいます。


事件を猛省し、拘禁障害に苦しみながらも、仲間、家族、大切な人たちを思う彼ら。

私は、できる限り死刑囚を愛していきたいと思います。

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