2015年5月11日月曜日

松本麗華さんの本「止まった時計」

いろいろと意見を読んだりしていますが
いまひとつモヤリとしているので
自分なりの考えをまとめたいなと思います。



まず、絶賛されている方と、読む価値もないと言っている方と、両極端な意見が多い、
そりゃそうか。
特に、アレフ当時内部にいた幹部たちは、そろって読む価値がないと言っている。
それは、長老部にいたころに、アーチャリーに嫌な印象を持ってしまったのかなと思う。麗華さんも自分のこと「目の上のたんこぶ」といっていた。

書いてあることは本当か?
いろいろな事実、おおまかな流れについて、ほぼ嘘ではないみたい。
しかし、ほとんどの事象なんてそんなものだが、ものの見方によっては、真実とも嘘ともとれる。


◾︎事実誤認

教団の解散を促した →解散を促す場面もあれば、やはり出家信者たちの居場所をなくしてもいけないという、アーチャリーなりに悩んだりして、人によって言うことが違ったのでは。結果、特に強く解散を望み、それを実行したり、強く止められたりしたわけではないので、なんだかもやっとしていて関係者によって感じ方が違っていそう。
他にも旭村事件についてや母親に担ぎ上げられたことも、内部で起こったモメ事や話し合いについては、関係者によって感じ方や主張が違う気がする。

教団から生活費の援助をもらっていない →これは嘘という指摘が多いので、嘘かも。"表向きの脱会者の支援"だから、"教団"から援助をもらっていることにはならない、ということかもしれない。
現在も教団の脱会者と暮らしていると言われてるが、麗華さんや次女さんにとっては、大切な親代わりであり、信仰の有無にかかわらず、大切な人と大切な時間を過ごしているなら、それでいいのではないかな。


◾︎書いてないことが多い

・青沼陽一郎さんのブログ(引用したりリンクしたりするにはひどすぎる内容なので、見たい方は検索してください)では、麗華さんが、松本サリン事件の実行犯に対して、サリンをまいてきたと知っているようなことを書いていた。
実行犯の一人が、松本から帰ってきてそのまま麻原に会いに行こうとしたら、アーチャリーが「あなた、着替えずに来ないで」というようなことを言ったという、昔の証言内容。
しかし、それだけで、アーチャリーが、彼が松本にサリンをまいてきたと知っていたと断定するのは奇妙。
なぜなら、当時、教団は毒ガス攻撃を受けていると麻原に言われていたので、毒ガスだらけの外から帰ってきて、「尊師に会うなら毒ガスが付着した服を着替えてきてほしい」と思うのが、アーチャリーではないのかなと。
と、一般人である私でも容易に想像できることだが、ともあれ青沼さんのブログ内容だけで、アーチャリーが松本サリン事件を知っていたかどうか、その責任を問えるのかどうか微妙だと思う。

・修行で人を傷つけたこと →話したくない、話せないならそれでいいと思う。中途半端でなく、時期がきたと思ったら話ればいいかと。暴力を振るったことは、振るった本人にとっても大変なトラウマになっていることがある。なので、安易に語りたくないのなら、今は、それでいいのではないかと。


◾︎他

・上祐さんが「アーチャリー」と呼び捨てにしていた →どうでもいいこと。読者にわかりやすいようにしただけかもしれない。

・事件は弟子の暴走 →ちょっと弟子に責任をなすりつけ過ぎている印象がある気も。が、飽くまで見解のひとつなので、子供だったし記憶違いもあるのでは?と思うのが普通だと思う。個人的に、死刑囚下げられるのはちょっと悲しいけど。

・3/20に出版するのは不謹慎である、社会・被害者遺族への謝罪がない →これについては同感。


結論、細かい事実誤認はあるが、彼女なりの真実をだいたい語っている。
なにより、過酷な運命をよく生き抜いてきたなと。そしてそれをよく、本にしたなと。
まだまだ、しんどいことたくさんあると思うけど、無理せずがんばってほしい。
そして、話せること、訂正すべきこと、詳述できることが増えたら、その時にすればいいと思う。
この本や、SNSを始めたことによるいろいろな出会いによって、麗華さんの人生が豊かに、自分らしくを見つけられるように。

個人的に、麗華さんたち麻原の子供達は、私と同年代で、麻原は私の父と同い年。
そんな親近感を持って、彼、彼女たちを見ていると、時に共感したり、時に涙したり、エールを送りたくなる。

そういえば、次女の宇未さん(仮名)もブログを始められた。
http://ameblo.jp/matsumoto-umi
四女さんについて読み、悲しい気持ちしかない。


死刑囚の方や服役中の方でも、自分では脱会したつもりが、オウムの教義から抜け出せない人がたくさんいる。
そういうものに出会うと、宗教ってなんだろうと考えさせられる。
でも、仏教には「中庸」という教えがあるはず。
中庸はなににも寄らない心、争いを生まない心。
私の大好きな中庸。
オウムで仏教を少しでもかじったなら、中庸を忘れないでほしい。


参考:
滝本太郎弁護士「日常生活を愛する人は?」麻原彰晃三女の本について
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/1810.html

1 件のコメント:

  1. 大変複雑に感じましたね。特に被害者・社会に対するお詫びがないのが・・・。

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